第21話 京街騒動・開幕

 八兵衛はちべえ反物屋たんものやが店を開き始めてから、ざっと3時間ほどが過ぎた頃。


 雲ひとつない青々あおあおとした空に浮かぶあたたかなの光を感じながら、衛実もりざねは店先でおのれ薙刀なぎなたたずさえ、ぼんやりと目の前を通り過ぎて行く人々をながめていた。


 八兵衛の言葉通り、店を襲う強盗ごうとうの姿は一向いっこうに見られず、そのあまりの平和っぷりに『楽な仕事だ』と思いながら、ふと軽い眠気ねむけおぼえた衛実はついと欠伸あくびらす。


 そこへ、店の中から2本の短刀を腰に引っさげた歳の若い用心棒ようじんぼうが、ひまを持てあます衛実に歩み寄りながら声をかけてきた。


「おい、そろそろ交代の時間だ。朝から今までお疲れさん」


 自分に向けられた声に気づいた衛実は、びをして気を持ち直すと、1つ深呼吸をしてからそれにこたえた。


「もうそうな時間か。悪い、気が抜けちまっていたみたいだ。にしても、本当に何も起きねえな」


 頭を軽く前後左右にかたむけて首の体操をしながら、感心しきった表情で称賛しょうさんのような感想をらす衛実を見た若い用心棒は、顔に苦笑にがわらいを浮かべながら、そのわけを説明する。


「無理もないだろう。なんせ、ここにやとわれている用心棒達のうでは、この清水きよみず一帯いったいに知れ渡っているほど有名だからな。

 この店を襲おうとするほどのきもの太い奴は、そうそう出てこないってわけなのさ」


 その口ぶりはどことなくほこらしそうで、『周りから一目ひとめ置かれる所に所属している自分』に少しばかりっていそうな雰囲気をかもし出している。


 衛実もそんな彼の様子をさっしつつ、八兵衛から受けた話との間に生まれた差について聞き出した。


「だが、八兵衛さんから聞いた話だと、ひと月に1・2回程度は襲いにくる奴らがいるんだよな? それはなんでだ?」


 すると若い用心棒は、『簡単なことだ』とでも言うように衛実の疑問に答えた。


「もちろん、そういった奴らがいないとは言ってないさ。

 これだけの戦力をそなえた所に襲いに来るってことは、それ相応そうおうの人数だったり、装備を調ととのえている。それをもってかせぎのいいここの店をねらうのさ」


 若い用心棒は話の最後に『まあ結局、個人的な能力じゃ、ここの戦力が圧倒的だから、いつも楽勝だけどな』として、説明を終えた。


 彼の話を聞いて衛実は、納得した表情でうなずきながら、自分がいだいたざっくりとした襲撃者しゅうげきしゃの印象を若い用心棒に確認する。


「なるほどな。つまりは組織化そしきかした野盗やとう集団ってとこか?」


「ああ、そのとおりだ。だから一応いちおう、襲撃計画みたいなのがあって、それに乗っ取った連携れんけいをして来るから、そこだけが厄介やっかい、という感じさ」


 そこで若い用心棒は、衛実の身体からだつきをめ回すように見ながら話を続けた。


「それにお前、衛実って言ってたかな?

 八兵衛が自信ありげにお前のことを紹介してたから、中々に腕が立つんだろう? なら、きっと上手く対応できるはずだと思っているんだけど、どうかな?」


 若い用心棒の少しあおるような口ぶりに触発しょくはつされた衛実は、1つ鼻を鳴らし、さも自信ありげな表情を作っておうじる。


「ああ、必ずやりげてみせっから、まあ見とけよ……って、そういやあんたの名前をまだ聞いてなかったな。あんた、名前は?」


 大事なことを今思い出したかのように問いかけてくる衛実に、若い用心棒は笑顔を作って手をべながら答えた。


権八ごんぱちだ。頼もしい仲間が出来てうれしいよ」


 差し出された手を衛実もにぎり返し、2人はたがいを見据みすえながら固く、握手あくしゅわした。


 互いが同時に手を離した後で、権八が『そういえば』というような顔を作って、衛実に話しかける。


「それより、引き止めて悪かった。とりあえず交代だから昼ごはんでも食べていてくれ。お前のれも確か今ぐらいに休憩きゅうけいのはずだから、仲良く、な」


 権八の茶化ちゃかすような口ぶりに、衛実は『ここの用心棒はこんなやつばっかか』と心の内であきれながら、適当に受け流す。


「余計な詮索せんさくはよしとけよ。それじゃ、後しばらく頼むわ」


「ああ、まかされた」





 権八に店の守りを任せ、ひかえ室へと戻って来た衛実は、同じく休憩に入ったばかりで、従業員じゅうぎょういん用の食事卓のそばえ置かれた椅子いすに座って、昼のまかないを食べ始めようとしている朱音あかねを見つけた。


 衛実が気づいたのと時を同じくして、朱音の方も控え室に入って来た青年を視界の中にとらえて、そちらに顔を向ける。

 その時の表情は『前から仲良くしてくれている、頼れるとしの近い男の先輩が来てくれた』とでも言うかのようであり、3時間ごしの再会に喜んでいる様子が衛実の方にも伝わって来ていた。


 顔をほころばせて、嬉しそうな視線を向けている朱音に、衛実は『やれやれ』というような気持ちになりながら、昼のまかないを受け取り、彼女と机をはさんで向かい合うような席にこしろした。


 衛実が席にくのを確認して、朱音がを乗り出しながら話しかける。


「衛実、そちらの首尾しゅびはどうであったか?」


 朱音の問いに、衛実は肩をすくめながら答えた。


「どうって言われてもな。ただ立ってるだけだったから、なんにも起こりゃしねえよ。

 それより、朱音はどうだったんだ? 結構けっこう人来てただろ?」


 八兵衛の読み通り、開店直後から店先に出て客寄きゃくよせを始めた朱音の姿は、まちゆく人々の視線を釘付くぎづけにし、その見栄みばえの良さから、ひっきりなしに客が店へと集まって来ていた。


 たまに衛実にあやしい者がいないか聞きに来る八兵衛は見るからに上機嫌じょうきげんな顔をしており、彼は『本当に、今日はよく売れているんだな』とさっして、今まで気づきもしなかった朱音の持つ強みがすさまじいものなんだと思い知らされていた。


 衛実の問いかけに朱音は、乗り出した身を引き戻してどっかりと座り込みながら、どこか充足感じゅうそくかんりたような顔で話し出す。


「うむ、とてもつかれたのじゃ。

 まさかあそこまで人が集まるとは思いもしなかったのでな。開店から多くの人間様達に話しかけれて、わらわもてんてこいじゃ。

 衛実、八兵衛の店の人気ぶりは凄まじいものであったのじゃな」


 そう言いながら、ひかえ室の外かられ聞こえて来る店のにぎやかな人々の声に反応した朱音は、控え室の入口の方へ、どこか余韻よいんひたっているような感じの視線を送る。


 そんな朱音の横顔を、衛実は『それでも、ここまでの人を集めることが出来たのは、お前のおかげだろうよ』と心のうちで思いながらながめつつ、先程さきほどからほとんど手つかずになっているまかないを見て、彼女に早く食べるよううながす。


「とにかく、お疲れ様だな朱音。

よく頑張ったと思うが、まだ俺達の仕事は終わっちゃいない。午後もあるんだから、今のうちにしっかり食べとけよ」


 その言葉に視線をこちらの方に戻した朱音は、納得したようにうなずいてはしを手に取ったが、そこで何やらからぬ事でも思いついたような顔をすると、途端とたんに箸をたくの上に置き、その手を後ろに回してふんぞり返るように席に座りながら衛実の方をじっと見つめた。


 その様子を不審ふしんに思った衛実は、キョトンとした顔をして首をかしげながら問いかける。


「どうした? そのまかないは、お前の口に合わないのか?」


 だが、朱音は答えない。むしろ、その言葉を聞いてより面白くなってきたのか、ニマニマとしたみを顔面にり付けている。


 朱音の真意しんいが分からず、ただずっとこちらの方を意味ありげに見つめてくる彼女に、衛実はしびれを切らして再度、問いかけた。


「なんなんだよ一体いったい。何かあんなら、さっさと言ってくれ」


 すると朱音は顔だけを衛実の方へと寄せて来て、目を閉じて口をぽかりと開けながら、『ん』とだけ言ってくる。


「……は?」


 わけが分からない衛実は、まゆをひそめて困惑こんわくの表情を浮かべた。


 衛実がいつまでたっても動き出さないので、不満に思った朱音は口を閉じて目を開けると、ほほふくらませてそっぽを向きながら、目だけを彼の方にくれてやって愚痴ぐちをこぼす。


「……むう、ぬしは女心おんなごころというものが分からぬのか? わらわがこうしておるということは、やることは1つじゃろう」


 それでも、まだ衛実には検討けんとうもつかない。


「分かんねえよ。なんなんだよ、ったく」


「こういう時は、衛実がわらわにご飯を食べさせるというのが相場そうばと決まっておろう」


「はあ?」


 衛実はいよいよ訳が分からなくなり出して、頓狂とんきょうな声をあげる。朱音は確かに疲れてはいそうだが、めしを食べることが出来なさそうな状態にあるとは到底とうてい、思えなかったのだ。


「なんで俺が、わざわざお前に飯を食べさせねえといけないんだ? 朝餉あさげだって自分1人でえてただろ?」


心底しんそこ分からない』といった顔で問いかける衛実に、依然いぜん不服ふふくそうな視線を向ける朱音は、その理由を話そうとして、その内容をめんと向かって話すにはあまりにもずかしいことであるのに気づき、思わず小声こごえになって答える。


「……こんな時ぐらい、あまえさせてくれてもいではないか」


 衛実と別々になったのが短い時間であることは、朱音も分かっていた。それでも彼がいない所で頑張って来たのだから、せめてこの昼休憩ひるきゅうけいの時ぐらいは目の前にいる青年にねぎらってしかったのだ。


「んあ? 悪い、なんて言ったんだ?」


 だがそんな朱音の意図いとまったく気づかない衛実は、少女の言葉が上手く聞き取れなかったようで、図々ずうずうしくもう一度いちど聞き直してくる。

 少なくとも朱音にはそんなふうに感じたのである。それでも衛実の問いに答えなければいけないと思った少女は、わりの答えを口にする。


「じゃから、わらわは今、店の売り物を身につけておるのじゃぞ? まんいち、こぼして服をよごせばどうなるか、ぬしにも想像つくじゃろう、ともうしておるのじゃ」


 そのどこかイライラしていそうな感じをふくんだ言葉に、少しばかり不思議に思いながらも、衛実は朱音の服装を見て『それもそうだな』とつぶやくと、少女に少し待つように言って、離れた所に置いてあるおのれの荷物から30cmほどの手ぬぐいを取り出して持って来た。


「それじゃ、これを使え。手ぬぐいで悪いが、汚れるよりはマシだろ。前掛まえかけにして使ってくれ」


 衛実としては気をつかったつもりなのだろう。それでもし出された手ぬぐいを受け取る朱音は憮然ぶぜんとした表情をしており、青年はなぜ彼女がそんな態度を取るのか、その理由を最後までさっしきれなかった。


 やがてあきらめたのだろう。朱音は『はぁ……』と1つため息をらすと、衛実から渡された手ぬぐいを服の上にせて、自分で昼のまかないを食べだした。




 それからは2人で向かい合うようにして、時折ときおり、どうでもいいような些細ささいな話をり広げながら、食事を進めて行った。


 先に衛実が食事をえ、朱音が食べ終わるのを見届ると、『さて』と言って席を立ち、自分と彼女のわんを手に持って流しへ運んで行こうとする。


 それを不思議に思った朱音は、その理由わけを衛実に聞き出した。


「わらわでも、そのくらいのことは出来るぞ? 何故なにゆえ、衛実がわらわの分まで運ぶのじゃ?」


 朱音の問いに、衛実は『当たり前だろ?』というような顔で自分が取った行動の意図いとを説明する。


「そりゃお前、俺はもうすぐにでも仕事に戻れるが、お前は着崩きくずれしていないか確認したり、化粧けしょう手直てなおしとか色々いろいろやることあるだろ?

それなら、飯の後片付あとかたづけくらい、俺がやるのは普通じゃねえか?」


 実にあっけらかんとしたように言うので、朱音は軽く驚いた。そして心の中で『そこまで気をつかえるのであれば、何故なにゆえさきのわらわの思いに気づけぬのじゃ』と思いつつ、衛実に感謝を伝えた。


「そうであったか。いや、なんでもないのじゃ。ありがとうなのじゃ、衛実」


 朱音のどこか引っかかるような感じのする物言ものいいに、衛実は軽く首をかしげながら返事をする。


「おう」




 そのまま午後からの仕事に向けて準備をゆっくりと進める2人だったが、そこへ非常事態ひじょうじたいげる大声が店の方から聞こえて来た。


強盗ごうとうだ! 奴ら、また大人数おおにんずうで来やがったぞ! 手のある者は応戦してくれー!」


 途端とたんひかえ室の中は緊張きんちょうつつまれる。衛実は自分の防具と武器の状態を今一度いまいちど確認してから、目が合った朱音に言伝ことづてを残す。


「朱音、お前はここにいてくれ。最悪、ぞくが入ってきて誰も守れる奴がいなかったら、わりにお前がここの人達を守ってやってくれ。頼めるか?」


 衛実の頼みに、朱音も真剣な眼差まなざしをしながらうなずいてこたえる。


「分かったのじゃ。わらわにまかせよ。衛実も、くれぐれも無理をするでないぞ。必ず生きて、わらわのもとに帰って来て欲しいのじゃ」


 朱音の末尾まつびの言葉にめられた願いが衛実に届いたかどうかは彼女には分からなかったが、彼は『当然だ』というように力強く頷いて、店の方へと急行きゅうこうしていった。



 八兵衛の店を舞台ぶたいり広げられるさわぎのまくが今、切って落とされたのである。

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