(43)主張
戦いの後、私は横たわる雨澄の身体にデルミッションの投げたローブをかけた。目のやり場に困る以上に忍びないという思いがそうさせたのであるが、
「雨澄さんの介抱は私が受けます。流石に、この状態の彼女を博貴には任せておけませんから」
と、すかさず割って入った水無香によってその身体は抱きかかえられた。
一方、台座にもたれかかった霧峯は、技令が空になったこともあってか、気を失ってしまっていた。返り血もあって渡会に任せようとしたところ、
「俺、きついからパス。あんだけ濃い技力見せられたから、頭いてーんだよ」
と、にべもなく断られてしまった。仕方なく、水技令で血を流し、霧峯を背に乗せる。前屈みになって十字を組むように負ぶった少女の手足を両の腕で固定する。抱き抱えられるような余力はなく、迎えに来た辻杜先生の車へ乗せる頃には、私の手足は棒となっていた。
「そうか、雨澄を祭壇技令の生贄に捧げていたのか。通りで、大がかりな大祭壇になったわけだ。これほどの大呪術を用いられた以上、いつでも動けるようにしていたが、必要以上の用心になってしまったな」
報告を受けた辻杜先生が、運転しながら淡々と状況を分析する。車で来た、ということはそれだけの負傷者が出ることを想定していたのだろう。
「まあ、気絶者三人で済んで良かった、というところだな。もう少し判断が遅かったら、手が付けられなかったかもしれん」
後部座席には雨澄と霧峯に加えて水上も横たえられている。とはいえ、水上のそれは敵に襲われたためではなく、召喚のし過ぎにより技力が枯渇したためであった。
「中心から外れていたので助かりましたが、流石に水上君が倒れた時には僕も駄目かと思いました」
微笑む山ノ井も技令はほとんど残されていない。隣で鼾をかいて眠る渡会以上に消耗しているはずなのであるが、変わらぬ姿を見せているのは流石と言ったところか。
「それで、二条里は大丈夫なのか。結果的にデルミッションを討ち取ったのは二条里なんだ。この前みたいに落ち込んではないか」
辻杜先生の問いかけに、一瞬だけ躊躇う。それでも、逡巡はその一瞬であった。
「はい。守るためには、必要でしたから」
私の答えに、辻杜先生は何も答えることなく、ただ、僅かに窓を開けた。隙間から吹き込む風が火照った頬に当たり、切り傷の痕が少しひりつくようであった。
家の前に着いた車は、水無香をそのまま乗せてそのまま坂を上っていった。
「悪いが、内田は雨澄の介抱があるからもう少し付き合ってくれ。後で三人分の荷物と一緒に送ってやるからな」
それに素直に従って霧峯を降ろしたところまでは良かったものの、霧峯の家は鍵がかかっていた。本人が気を失っている以上、どうすることもできない。仕方なく、自分の家の鍵を開けて少女を自分のベッドに寝かせることにした。珍しく、車通りも人通りもない中で家へと入ると、やや薄暗い廊下が続く。いつもは楽々と超える階段を息も絶え絶えになりながら上り、やっとのことで自分の部屋に入ると、彼女を横たえ上に布団をかけてから暖房を点けた。
深く、息を吐く。緊張から解き放たれ、心が弛緩する。
辻杜先生にはああ答えたものの、決して後悔や嫌な思いがなかったわけではない。剣を突き立てる瞬間にも、その前に剣を以って戦うと決めた時にも躊躇いはあった。しかし、それを覆した。
静かに寝息を立てる霧峯を見る。この少女は私に死と戦う勇気を与え、最後の決断を促した。毎度のことながら情けなくもあり、頼もしくもある。ただ、この少女と出会ったおかげで、今の私はある。
思い返してみると、霧峯と出会ってまだ一か月半しか経っていない。水無香と出会ってからも半年は経っていないのだが、可笑しいほどに懐に入られてしまっている。それこそ今、霧峯のいない生活を思い出そうとしても難しい。
見詰めているうちに、なんだか顔が熱くなってくる。目を逸らしてみたところで、どうしようもない。一旦階段を降りて風呂の準備をして戻る。
冷静になってみるとすごい状況である。自分の部屋に女の子を連れ込み、昏睡した状態で自分のベッドに寝かせている。状況だけを口にしてみると、思わず身が震える。今更どうしようもないのだが、意識してしまうともういけない。慌てて、本棚の奥が見えないようにする。そして、何気なく取り出した数学の参考書を広げ、余裕を取り戻そうとする。
うん、そうだ。霧峯が自分の部屋にいるのも、私が数学を解いているのもいつもの通りである。少女がベッドで寝ているのはいつもと違うが、そのようなことは些細な違いでしかない。一組の対辺が等しく、平行であれば四角形が平行四辺形になることに比べれば、絶対的なことではない。
証明を三つほど書き上げたところで、霧峯がその目を開いた。
「ん……ここ、あれ?」
虚ろな目をした少女は、ゆっくりと瞳を動かす。
「気付いたか」
「あ、博貴……。そっか、私、きぜつしてたんだ」
「ああ。辻杜先生がここまで送ってくれたんだが、霧峯の家が開いてなかったから、私の部屋に運んだんだ。悪いな、あんまりいいことじゃないと思ったんだが」
「ううん、ありがと。博貴だったら、だいじょうぶだもん」
いつもに比べてか細い声でありながらも、その笑顔の輝きは変わらない。それだけに、少女の顔が眩しい。三時を過ぎたからか、小学生の声が外を覆う。
「そういえば、デルミッションのことは訊かないんだな」
「うん。ここにいるっていうことは、博貴が倒してくれたんだよね」
「ああ。祭壇技令を破ったのは渡会だっただけどな」
「うん。でも、博貴の顔、見てたら分かるよ」
どきん、という音がする。遠くで防犯ベルの音がする。穏やかな表情で首だけをこちらに向け、霧峯は私を見据えている。
「なんだか、心が疲れてるって顔してる。ねえ、私、まだ身体が重たいから、もう少しこうしてていいかな」
「ああ、それはいいんだが」
「じゃあ、博貴はその間にちょっとシャワー浴びてきたらどうかな。少し、すっきりするから」
それ程、酷い顔をしているのだろうかと思い、促されるままに風呂場に向かう。いつものように着替えとタオルを準備し、服を脱いで冷たい浴室へと入る。トニックシャンプーの香りで頭を覆い、石鹸の泡で身体を包む。回復技令をかけ忘れたのか、右腕にできた痣が痛む。入念に身体を流し、湯船に浸かる。
足を伸ばして手の匂いを嗅ぐ。
「血の匂いって、取れないもんだな」
溜息と共に、今日の戦いが思い出されて再び震える。また、日常が壊れることを防ぐことには防いだが、その代償は大きかった。特に、デルミッションの命をこの手で奪ったことが大きい。戦い始めから、いずれかの死を以っての終戦を覚悟していたのであるが、同時に、そうならなければいいという思いもあった。それを断ち切ったのは、結界を破られ、満身創痍となった先に霧峯を狙ったことであった。あの剛腕に握られてしまえば、抵抗もできない少女は潰され、二度とあの笑顔を拝むこともできなかっただろう。その恐れが私を突き動かしたのは事実である。
ただ、他に方法はなかったのか、本当にそのようなことが起きたのかという疑問は尽きない。その疑問が雪のように降り積もり、私を押しつぶそうとする。
両手でお湯を掬い、顔を洗う。今は考えても仕方がないと頭を振って、深い溜息を吐く。前向きに、少女を救えたことを今は考えよう。
その時になって初めて雨澄の肢体が生々しく頭の中に浮かび上がった。戦闘中は意識して直視を避けようとしていたが、躱しきれるものではない。丸みを帯びたその身体つきと、豊かに主張する女性としての在り方は、今になって私にやり場のないものを与える。小学生の頃であれば、何事もなく看過できたであろう膨らみは、今の私にとっては手を伸べたくなるものとなっていた。
気付けば溜ったものが主張を始めている。紅潮し、戸惑う。この場で何かをする訳にもいかず、かといって、このまま部屋に戻ってしまえば明らかに目立ってしまう。それに、自分を抑えられる自信もない。深呼吸をして素数を数え、心を鎮めようとする。それも、七一を数えたところで再び四肢が浮かび、七二を数えて振出しに戻る。鼻まで湯船に浸かり、戯れに息を吐いて情けない自分を笑う。触れれば破裂してしまいそうなものは、今の私の生き写しなのかもしれない。
「血の匂いって、取れないものなんだな」
もう一度、手の臭いを嗅ぐ。染みついたその臭いに溜息を吐くと、自然と心もへの字に曲がるようであった。
私服に着替えて部屋へ戻ると、霧峯はまだベッドで横になっていた。自分の部屋にノックして入るという稀有な経験の先には穏やかな少女の笑みがあった。
「うん、少しだけいつもの博貴に戻ったかな」
全く、霧峯にはやられっぱなしであるが、このタイミングでのこの一言は酷く効く。やはりこの少女は天真爛漫に見せかけながら、その技と同じように相手の核心を的確に捉えてくる。
「ああ、おかげさんでな。霧峯の方はどうだ、少しは良くなったか」
「うん。さっきまで頭がくらくらしてたけど、もう大丈夫そうかな。ありがとう、博貴。そして、ごめんね」
「ごめんって、何で謝るんだよ」
「だって、博貴に、ナイフ」
少し切なそうな顔をする霧峯に、思わず笑った。
「いや、ああでもしてくれなかったら、私は戦うことができなかった。それに、霧峯が私に投げてくれたんだ。危ないはずはないからな」
「もう、そんな適当なこと言っちゃって」
私の一言に霧峯がはにかむ。その様子を見れば、少女が起き抜けに比べて回復している様子がよく分かる。もう少しすれば起き上がれもするだろう。
「そういえば、若菜ちゃんは大丈夫だったの」
「それは何とも言えないんだよな。水無香の話だと回復に時間がかかるらしい。でもまあ、目立った問題はないそうだから、暫くしたら大丈夫だろう」
「なら、よかった。リベンジできなくなってたらって思ったけど、安心しちゃった」
中々に怖いことを笑顔で言う少女であるが、そこに裏表がないのが霧峯らしさなのかもしれないと思うようになった私も、また恐ろしい側になったのかもしれない。
「瑞希、大丈夫ですか」
軽いノックの後に、水無香が少し慌てた様子で部屋に入ってくる。よほど急いで上がってきたのか、珍しくスリッパすら履いていない。
「うん、だいじょうぶ。ごめんね、心配させちゃて」
「いえ、悪いのは瑞希ではありません。それにしても、無防備な状態で二つの祭壇技令を受ければもう少し回復に時間がかかりそうなものですが、予想外に早いですね。時間差で博貴の技令が入ったからでしょうか」
「いや、それはないだろう。私の守りは間に合わなかった。単純に霧峯の回復が順調に進んだと見た方がいいと思う」
あの瞬間に覚えた無力感というのは強いものであった。水無香の考えも分からないではないが、事実として私の技令はデルミッションの技令が発動してから詠唱が完了している。それが防壁となったとはとても考えられるものではなかった。
「まあ、いいんじゃない。みんな無事で済んだんだから」
そう言って上体を起こした霧峯の一言に、珍しく水無香も微笑む。そこには、いつものような諦観ではなく、安堵のみが浮かび、彼女の霧峯に対する想いがどこか透けて見えるような気がした。
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