(20)金色の声 冬の一夜

「魔の大地よ、この世界から去りなさい。私の手には大いなる聖剣と、人々を守る盾があります。魔の力よ、この人々の営む、神の宿る自然へと帰しなさい」


 遠くから、聞き覚えのある幼い、しかし、りんとした声が響く。その瞬間、全ての技令は活動を止め、放たれた十二の銃弾は失速して大地に転がり落ちる。


「どうやら、間一髪のところで間に合ったようですね」


 出島ワーフの方から、二つの影が姿を現す。一人は内田。用事があると言って出掛けた彼女は、しかし、臨戦態勢を整えた格好でカルビン先生と対している。そして、もう一つの影、


「な、エミリー、どうして」


ストールを羽織った女の子の姿に、私とカルビン先生は同時に驚嘆きょうたんの声を上げてしまった。


「水無香ちゃん、来てくれたんだ」

「ええ、瑞希の危機ですから当然です。遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」


 内田はそのまま霧峯の方に向かっていく。その後ろに従うエミリーは私とカルビン先生の間に立つと、


「お兄ちゃんのばか! 何をしてるのか、分かってるの」


今までに聞いたことの無いような強い口調で、その兄を叱りつけた。


「何って、今、こうやって、俺達の母さんと父さんのかたきを討っている」

「そんなの、そんなの、ダメ」

「ダメも何もないだろう。お前も、悔しくないのか、母さんと父さんが殺されたんだぞ」

「でも、霧峯先輩は関係ない。それに、お兄ちゃんも同じことすれば、同じ人殺しになるんだよ」

「それが殺された方の覚悟だ」

「なら、私、お兄ちゃんを絶対に許さない。お兄ちゃんが霧峯先輩と戦うなら、私は霧峯先輩と戦うんだから」


 エミリーの声が震えている。見れば、明らかに耳が紅潮している。普段、大人しいエミリーが怒りをき出しにし、必死にある『日常』を守ろうとしている。それに対して、カルビン先生も紅潮を隠さず、妹に怒っている。


「いい加減にされたらいかがですか、カルビン先生。瑞希の両親が殺したという確証もないまま彼女をあだにするのは駄々だだねる子供と同じです。それに、貴方はその仇以外も殺そうとした。それは最早、汚らしい殺人鬼と同じです」


 内田が霧峯に回復を施しながらカルビン先生をにらむ。思えば、内田も似たような境遇にあったのだ。そして、同じ事で苦しんだ当事者でもある。だからこそ、そのにらむ姿には一種の高貴さのようなものが漂っていた。


「そして、それ以上されると仰るようでしたら、私もエミリーも相手をします。金言招来きんげんしょうらいの能力を持つ彼女を相手にその銃口を向け、かつ、関係ない人々を皆殺しにするなどという畜生ちくしょうにも等しい行いに身を投じるというのであればですが」


 内田の言葉に、カルビン先生は首を振り、崩れ落ちるようにしてその場にうずくまった。その後に残るのはエミリーの泣き声。そして、港から吹き込む冷たい風だけであった。




 カルビン先生が戦意を喪失して終わった戦いであったが、その後は散々たるものであった。戦闘に参加した六名は全員が重傷。加えて、カルビン先生も突撃の際に左肩に深手を負ってしまっている。その中で回復技令を使えるのは三人であり、私と内田と山ノ井の三人は回復にてんてこ舞いとなってしまった。


「仕方ありません、実際には敗戦でしたから」


 と、山ノ井などは冷静に分析しつつ、脇腹わきばらを撃ち抜かれた土柄に手当を施していた。


 結局、カルビン先生はその後、一言も発することなくその場を後にした。エミリーに支えられるようにして去っていくその姿からは深い後悔と悲しみがにじみ出ていた。そのような中でエミリーは皆に、


「兄がご迷惑をおかけしました。ごめんなさい」


と言って回り、その心の傷をいやそうとしていた。日頃は恥ずかしがり屋の彼女が本当の勇気を振り絞って見せた精一杯の誠意に、渡会などは頭をなででてやりながら、ま、お前にめんじて兄ちゃんのことは許してやるよ、などと応えてあげていた。


「で、内田は最初からエミリーが何か変な特殊能力を持ってるって気付いてたんだな」

「ええ。最初に見た時から技令とは違う気配を感じていました。ですが、それを確信したのはあのゲームをご一緒した際です。あの時、エミリーは食前のお祈りを上げていましたが、キリスト教のそれとは違っていました。それで確信したのです。特殊な祝詞のりとを紡ぐ金言招来きんげんしょうらいの使い手ということに」

「それだけで気付けるものなのか。っていうか、金言招来きんげんしょうらいって何だ」

金言招来きんげんしょうらいは反技令に編み出された能力の一つで、口伝くでんによって一子相伝いっしそうでんされます。特殊な言葉を紡ぐことで、その時に展開されている技力を自然の散逸さんいつした状態に戻し、それによって技令を無効化する能力です。色彩法と違って、対象にダメージを与えることはできませんが、色彩法よりも強力に技力を封じてしまいます。ですから、技令銃の使い手ということを考慮してエミリーに手伝ってもらおうと考えたのです」

「ということは、日曜の時点でエミリーをこうして参戦させる気だったんだな」

「ええ。ですから、戦いに参加することはありませんと申し上げました。カルビン先生が家を離れた後にエミリーを説得して連れ出す必要がありましたから」


 内田は確かに「戦いには参加しない」と明言したが、それ以上のことは言わなかった。あの時彼女は怒ったふりをしながら、着々と戦略を実行に移していたのであろう。


勿論もちろんあの時、博貴が謝らなければどうなっていたかは分かりませんが」


 頭を振って前言を撤回する。やはり彼女は怒っていた。


「しかし博貴、あまりのんびりとしている余裕はないようですよ」

「ん、どういうことだ」

「家を出る前に辻杜先生から家に連絡がありました。レデトールの一隊が迫っているようです」

「迫っているって、どういう状態なんだ」

「三千が県境にまで来ているようです。この戦闘が片付き次第、二日分の準備をして中学校に集合するよう指示が出ています」


 回復していた渡会と思わず見詰め合う。が、次の瞬間には先程までの戦闘が嘘であったかのように、次の戦場へ向かう表情へと変化していた。






「それじゃあ、作戦の話をする」


 七人を乗せたワゴンを運転しつつ、辻杜先生はいつもと変わらない様子で口を開く。あの後、散会した私達は急いで準備をし、中学校で再度集合して先生の車に乗り込んでいた。次々と遠ざかってゆく電燈でんとうと海岸線を眺めながら、先生の言葉に耳を傾けた。


「今回は長期戦になる。で、お前達の守る場所は県道一三六号線の先の山中だ。ここで、三部隊に分かれて守ってもらう。一隊は渡会、土柄、水上の三人で一三六号線の末端に陣取ってもらう。一隊は山ノ井と内田の二人でそこから百メートル程北北西に行った地点を拠点に守ってもらう。そして、最後の一隊は二条里と霧峯で北西五百メートルの地点を守ってもらう。司書の塔付近の防御は他の面々でやっているが、場合によっては二条里の組に下がってもらう。後は俺が遊軍で回るから、可能な限りここで防衛すること、以上だ」


 言い終わると、先生は缶コーヒーに口を付ける。出がけに見た荷物の中にやたらと大きな荷物があると思っていたが、どうやら宿泊用の道具のようである。


「しかし、三千が相手と聞いていますが、敵はこちらに集中するのですか」

「読みが正しければな。四キロ手前に司書の塔があるが、そこを狙う経路として前回使わなかったということを考えれば、ここが妥当だとうなところだろう。まあ、外れたら俺が焼け野原を作るだけだ」


 山ノ井の質問に、先生は飄々ひょうひょうととんでもない返しをする。


「しっかし、俺のとこだけ野郎三人なんすけど、どういう分け方したんすか」

「お前らを後方に下げたのは土柄、水上の索敵能力とお前の各個撃破力が理由だ。後の二隊は集団性と突破力の組み合わせを考慮した。相性もいいからな」


 先生の話を聞きながら、少女の様子をうかがう。流れゆく景色を静かに眺めるその姿は、いつものそれとは異なり、ひどくはかなげでおぼろであった。


「まあ、カルビンとの戦闘でそこそこ消耗しているだろうから、校長先生から技石を貰ってきておいた。テントで展開すれば暖かい中で眠れるだろう。それに、交代の時間には俺が行ってやるから、二晩の長期戦になっても安心しろ」


 先生の話に耳を傾けながら、その先にある少女の物憂ものうげな表情に思いを巡らせずにはいられなかった。街灯も線路も消えて山道の闇にまれてゆく自分達の事を思いながら、その先に待ち受ける戦いへ頭を切り替えるべく、私は静かに腕を組んだ。




 到着後、霧峯と二人でテントを組み立てる。他愛たあいもない話をしながらではあったが、やはり、いつものような元気はない。考えたところで仕方がないので、敵の襲来まで一休みするべく、早速寝袋に潜り込んだ。


「今日はごめんね、博貴」


 だからこそ、背中の方から少女の言葉を聞いた時、私は少し緊張した。


「なんで、謝るんだ」

「だって、私のせいでみんなが、あぶない目に」


 少女の声が震えている。木々のざわめく中で静かに揺れる心を、漆黒しっこくと温もりを浴びながら感じる。


「そんなこと気にするな。悪いのは霧峯じゃないんだ。エミリーも怒っていただろう。あれで、あの戦いは終わりなんだ」

「私、甘えちゃいけなかった。博貴が守ってくれるって言ってくれて、みんなも戦うって言ってくれて、それでも、甘えちゃダメだった。私が弱かったから、みんな、みんな、傷ついて、殺されそうになって」

「でも、実際には無事で済んだだろう」

「エミリーちゃんが来なかったら、みんな死んでたんだよ。私、あのとき、みんなを助けるのに、自分が死ぬって、言わなかった。怖くて、言えなかった」


 霧峯の口から思いがあふれ出す。震えているのか、嗚咽おえつも漏れているのか、闇のせいで判然としない。ただ、私は少女の方に向き直ると、光技令で微かな明かりを灯した。


「霧峯、あの時、そんな事をしても皆死んでいたさ。少なくとも、皆で殴りかかって気の立ったカルビン先生に殺されるのがオチだ。私も皆も、霧峯を護る為にあの時は戦っていたんだ。だから、その目的は死んでも果たそうと努力していた。最後には、盾にでもなってな。だから、その、なんだ、霧峯には笑っていてほしい」

「えっ……」


 少女がこちらを振り向く。ほどかれた髪が灯りに照らし出され、黒く映える。


「だから、霧峯が切ない顔をしてるなんて似合わないんだよ。笑ってくれないと、私達が命をけた意味もない」


 明らかに霧峯の表情はきょとんとしている。逆に、私は似合わない事を言ったせいで顔から火が出る程熱くなってしまっている。故に、少女がくすりと笑った瞬間、少しだけ救われた気がした。


「もう、バカなんだから」

「まあ……な。私はこの皆の日常を守りたいから戦ってる。だから、霧峯を護るのも、霧峯の為であり、同時に、自分の為でもあるんだ」

「じゃあ、私は博貴を守ろっかな」


 無邪気な笑顔に戻った少女の言葉に、更に顔が熱くなる。思えば、少女と二人きりで一晩を明かそうとしているのである。考える程に、恥ずかしくなってゆく。


「でも、こんなに助けてもらっちゃったから、何かみんなにお返ししなくちゃね。うん。博貴って、何か欲しいものとかある」


 息をむ。この少女の無邪気むじゃきさは反則だ。自分の中で眠らせているオスとしての部分がややすれば飛び出しそうになる。それを必死で抑え込むようにしながら私は少女の問いかけの答えを探す。


「欲しいものなあ。別にお礼が欲しくて戦った訳じゃないから思いつかないんだよなあ。まあ、何か貰えるんなら喜んでもらうけど」

「うーん、じゃあ、甘いものとか好き」

「ああ、それは図書部の全員が好きだな」

「そっか、じゃあ、いいこと思いついちゃった」


 霧峯が嬉しそうに微笑む。もうそれだけで今回のお礼は十分だな、などと思ってしまうが、流石にそのような事を言う訳にもいかず、ただただ、少女の笑顔に吸い込まれてゆくだけであった。


「でも、今日はホントにありがとう、博貴」


 とどめを刺された私はその夜、静かに寝息を立てる少女を横目にただ悶々もんもんとする身体を抑えつつ、明日の戦いに備えて必死にまぶたを閉じるだけであった。

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