(8)対比

 翌日、とんだ落ちの着いた騒動に、他の部員達は一斉に辻杜先生へと詰め寄る事態となった。特に、最後のドラゴンの襲撃を受けた面々は死線を越えさせられたためか鬼気ききせまるものがあり、流石さすがの先生も笑うより他になかったようである。とはいえ、先生もこの件に関しては校長先生から話をもらってはいなかったようであり、


「俺も知らんかった。知らんことに答えようはない」


と断言してしまい、全ての文句を封殺ふうさつしてしまった。それに加えて、校長先生が直接図書室に来て事情を説明したこともあり、何とかこの騒動は比較的平穏へいおんに幕が切れることとなった。

 そんなこんなで騒々しい一日も何とか終わり、部屋で久方ひさかたりの平穏へいおん満喫まんきつしていた。炬燵こたつの中にもぐりこみ、微睡まどろみに任せてごろ寝する。上に置いてある蜜柑みかんの香りが鼻腔びくうくすぐるるが、それが殊更ことさら夢見ゆめみ心地ごこちを強くする。そのため、


「博貴、炬燵こたつで寝ますと風邪かぜを召されますよ」


内田の突然の襲来に思わず炬燵の中で跳び上がってしまった。


「だ、だ、だから、人の部屋に入る前にはノックをしてくれと前に言っただろう」

「ええ。ですから、ノックをしてから数秒置いた後に入りました。返事はありませんでしたが、少々ドアが開いていましたので」


 言いながら、内田は既に私と対峙たいじする形で炬燵こたつに陣取っている。内田がこうして部屋に入ってくることは時々あるが、その度に彼女と炬燵こたつとがりなすミスマッチに少しだけ笑ってしまいそうになる。第一、座り方が綺麗きれい過ぎて炬燵こたつの持つなごやかな雰囲気ふんいきが泣いてしまっている。


「で、今日はどういう風の吹き回しなんだ。今週はそんなに難しい数学の宿題は出てなかったはずなんだが」

「いえ、特段の理由はありません。ただ、少々お話をと思ったまでです」


 珍しい事もあるものである。そう思いながら、眠気ねむけましに蜜柑みかんへ手をかける。指を突っ込んで皮に穴を開けると、それだけで香気こうき充満じゅうまんする。


「それで話って、何か気になることでもあったのか」

「はい。渡会さんとのことです」

「渡会って、何か変わった事でもあるのか」

「いえ、そういう訳ではありません。ただ、お二人で会話をされている際、私と瑞希の事について触れられていたようでしたので」


 内田の一言に、思わず蜜柑みかん一房ひとふさを丸ごと飲み込んでしまう。

 渡会との『会話』と内田は言っているが、内容はそんなに清純せいじゅんなものではない。


「おめぇ、家で洗濯すんだろ。内田の洗濯せんたくモンで何か変なことしてんじゃねぇだろうな」

「霧峯んちとなりなんだろ。屋根づたいで夜這よばいなんてすんじゃねぇぞ」


 といった感じで、主に私を茶化ちゃかすのに出てくることとなる。ただ、往々おうおうにしてそうした話の後で、


「ま、俺はやんねぇけどな。ミリイがいいかんな」


惚気のろけに走るのが定型となっているが。

 そういう訳で、話の流れ自体は解説してもいいのではあるが、その内容自体に触れることはできない。そして今、目の前の彼女が求めているものは明らかにその『内容』そのものであった。そうである以上、流れに力点りきてんを置いて、こういう事態をもたらした張本人ちょうほんにんにはピエロになってもらいながらかわすしかない。


「いや、別に大したことじゃないんだ。最近、渡会に彼女ができたんだが、それを惚気のろけて私に自慢じまんしてくるんだ。で、その時に私の身近な女の子を引き合いに出して、その彼女のミリイって子はいいんだって言ってくるんだ」

「はあ、それに何の意味があるんでしょう」

「そりゃ、自慢じまんして喜んでんだろ、きっと。か、もくしくは、彼女ができた実感をより味わいたいんじゃないか。私としては迷惑めいわくなだけなんだけどな」

「いえ、そこではなく、私を比較対象にして何の意味があるのかが分からないのです」

「ん、どういうことだ」

「ですから、瑞希のように明るく可愛かわいらしい女性であれば比較してより上であると話すことで大きな満足感につながるのでしょうが、私などを引き合いに出したところで意味はないでしょう」


 凍結、そして、抱腹ほうふく


「博貴、どうされたのですか、何か間違ったことでも言いましたでしょうか」


 笑いが止まらない。私も相当に世間ずれしている方だとは思うが、今日ばかりは内田に格の違いを見せつけられた。


「そんな訳ないだろ、内田。内田は男子から人気がある方だろきっと」

「博貴もおかしなことをおっしゃいますね。私にそのような魅力みりょくはありません」


 それなら、今日も昼休みに陳情ちんじょうに来た級友きゅうゆうはどうなるんだと言ってしまいそうになったが、それだけは胸の内に仕舞しまい込む。それこそ、ここでこの三ヶ月ほどの『惨状さんじょう』について話をすれば楽になれるのであろうが、話そうものなら色々と修復の難しい問題に発展しそうであるため、その面倒はひかえることとした。


「いや、あるだろ十分に。霧峯も霧峯で魅力みりょくはあると思うが、内田も内田で十分にあるだろう」

「ですが、私は筋肉質ですし、人と話すこともあまり得意ではありません。それに、背が高すぎます。可愛かわいらしさという観点からすれば、女性失格とも言うべきです」

「まあ、そのあたりは否定も肯定もできないが、基本的に整った顔立ちと姿勢をしているだろ。それで十分に点数高いんじゃないか。筋肉質って言うけど、別に運動してるんだなっていうぐらいで、そんなに隆々りゅうりゅうって言う程でもないだろ。むしろ、無駄な肉がない分体型いいからプラスだろう。あまりしゃべらないのもミステリアスな感じで面白そうだし、身長高いのはモデル体型を考えればありなんじゃないか」


 と、ここまで言った時点で私は自分の失言に思わず絶句してしまった。明らかに褒めすぎである。自分でも思う程に、口説くどくぐらいの褒め方をしている。私としては単純に『他からの情報』を陳述ちんじゅつしただけなのであるが、それが明らかに不味かった。

 ここで、内田がいつものように軽く驚いた表情で一言返してくれればまだ救いようもあったのである。が、目の前の彼女は目を丸くして胸の前で握りしめた左手を右手で握り、顔を紅潮させて固まってしまっている。

 思えば、二週間ほど前に霧峯に対しても同じような失態しったいおかしてしまったような記憶がある。なぜ、こうも後先を考えずに話してしまうのかと、我ながらに失望しつぼうする。

 十時七分前の時計の音はかほどに大きいのか、と思う。何か言うべきなのであろうが、私という男にはこうした場合の救いなどない。ゆえに、結局この状況を破ったのは赤面せきめん止まらぬ彼女の方であった。


「ま、まあ、ひ、博貴が、だ、男性の立場として、そ、そう、おっしゃるのでしたら、そうした、意見もあるのでしょう」

「そうそう。男の好みは十人十色だから、渡会も色んな女の子と比較してその中で一番って言いたいみたいなんだ」


 なんとか平生へいぜいを表面に張り付けながら話をする。ここで動揺どうようすればまたどうなるか分かったものではない。内田の方もやっとの事ではあるが、石化から解放されて腕も自然に戻っている。


「しかし、博貴もそうした目で女性を観察されていたんですね」

「渡会のうけ売りもあるけどな。逆に女子のことが気にならなかったら、それはそれでちょっと違う方向に行ってしまうだろ。ま、私も一応は年頃の男ですから、ね」


 話をしていて少しむなしい。ただ、これ以上話を掘り下げるのはもっと不毛になるので、抑えることとする。


「そういえば、内田は明日どうするんだ。また図書館にでも行くのか」

「はい。本の返却期限もありますので」

「なら、これとこれ返してから、次の巻を借りてきてくれないか」

「はい、ではお預かりします。それにしても博貴は西洋史にも教養がおありだったんですね」


 そう言いながら、内田はコインの裏表を確かめるように紫の文庫本を眺める。


「いや、別に西洋史なんて今まで知らなかったよ。三国志とかは詳しかったんだけどな。ただ、そのローマ史の本とビザンツの分厚い奴を土柄が図書館に入れたもんだから、読んでみようと思ったんだ。そしたら、これが意外と面白かったから、読んでるだけさ」

「はあ、ですが、博貴はてっきり数学や科学の本と小説ぐらいしか読まれないのかと思っていましたので」

「本について偏食へんしょくなのは確かだけどな。でも、内田からもそんな風に思われてたんだな」

「ええ。失礼かと思いますが、数学などにしか興味がないと思っていましたので」


 他愛もない談笑だんしょうに夜はけていく。炬燵こたつの中で乾燥してゆく肌を感じながら、私は彼女との雑談に珍しく花を咲かせた。






 翌朝、図書館に行く内田を見送った後、私は再び敵襲を受けることとなった。


「ね、ね、遊び行こう」


 炬燵こたつの中でやることもなくごろ寝する私を窓の外から呼ぶような少女は一人しかいなかった。もう開けずに放置していこうかと思ったが、ふと見た少女の無邪気むじゃきな笑顔に、私は素直に従って中へと迎え入れることなった。


「うーん、やっぱり外は寒いよね」


 そう言いながら少女はそそくさと炬燵こたつに入る。見れば少女の細い手は赤くなっており、少しだけ待たせてしまったという罪悪感にさいなまれることとなる。ただ、霧峯は私の卑小ひしょうな思考など一切気にすることなく、嬉々ききとして口を開いた。


「ねえ、ねえ。ミカン食べてもいい」


 そう言いながら、霧峯は既に蜜柑みかんの一つに手をかけている。私は思わず出てきた溜息ためいきをそのままに、少女の意思に任せた。


「で、遊びに行くのはいいんだが、宿題は大丈夫なのか。内田なら大丈夫な感じだったが、霧峯だと時間かかるんじゃないか」


 私の一言に少女が少し跳ねる。この二週間ほどの付き合いで分かった事であるが、霧峯はそう勉強ができる方ではない。怠けたり、不真面目であったりするわけではないのだが、何が悪いのか英語を除けば主要五科目は理解が低いようであった。


「だ、大丈夫。そのために来たんだから」

「その為に、ってまさか」

「宿題教えて」


 少女は一瞬にして主題を変えた。なるほど、居直いなおり強盗というのはこういう風にして生まれるのだな、などと思わず感心してしまう。とはいえ、私にとって悪い話ではない。この北風が猛威もういふるう港町に出ないで済むのであれば、それに越したことはない。

 霧峯に宿題を持ってくるように指示し、その間に煎茶せんちゃ煎餅せんべいのセットを準備する。子供ではないのだが、外に出ずに済んだ所為せいひどく心が躍っていた。

 その喜びがぬか喜びであったということに気づくまで半時間もかからなかった。

 霧峯が数学を苦手としていることは百も承知であったため、それから取り掛かったのであるが、これがいけなかった。学年末試験が近いということで、今週から二年生の学習範囲を網羅もうらしたプリントを今原先生が準備したのであるが、目の前の少女はその十問目には行き詰まりを見せていたのである。仕方なく、そこから説明を始めたのであるが、明らかに理解が低い。まずって連立方程式を理解しておらず、場合によっては一次方程式や比例すら怪しい。そうなると完全に一からの指導となるのだが、それはイコールで自分が解きながら教え方を考えて教えていくというローテーションを辿たどることとなり、恐ろしいほどの労力を要することとなった。そのため、いつもは省く計算過程も細かく書くようになり、プリントが半分完成する頃には私のものとは到底とうてい思えない解答用紙が仕上がっていた。


「っていうか、これで前の学校だと半分ぐらいだったんだよな。学年にいる生徒は五人ぐらいか」

「だって、数学は苦手なんだもん」


 といった形でただただ疲労の蓄積ちくせきしていく時間だけが経過するような状態であったが、


「でも、博貴が教えてくれるのが分かりやすいから、苦手な数学も楽しく勉強できちゃうかな」


こう言われて欺瞞ぎまんおちいってゆく自分の姿もあった。何だかんだで、霧峯も頭の回転自体はいい方なのできちんと教えれば素直に飲み込んでくれた。それが私も気分が良い。決してそんなことはないのだろうが、何だか自分の教え方が上手くなったような気がして、そこにある満足感というものが私を明らかに高揚させていた。そして、この目の前にいる少女の笑顔を見ていると、それだけでほのかな喜びがき上がってくる。


「あれ、もしかして私、何か間違えちゃった」

「ん、別に間違ったところはないが、どうしたんだ」

「だって、博貴が少しにやついてるんだもん。それで、どこか間違えちゃったかなって」


 とんだ失態しったいである。慌てて表情を戻そうと格闘する。よもや手遅れという感もいなめず、また自己嫌悪じこけんおおちいってゆく。


「いや、間違ってたらもう指摘してきしている。そうじゃなくて、霧峯に教え方が上手いって言われて少し嬉しかっただけだ」

「どうして。だって、上手いじゃん」

「自分では別に考えたことなかったんだ。それに」


 言いかけたところを呼び鈴が切り裂く。突然の出来事に私はにわかに戸惑ったが、霧峯の振る手に見送られ、階下に降りて玄関を開ける。


「お、二条里いるじゃねぇか。ひまだから遊びに行こうぜ」


 渡会の変わらない様子に肩の荷が下りる。おかしかったのか、それだけで目の前の青年は笑っていた。







 青年と少女とのマッチングは見事なものであった。あの瞬間、用事があると言って追い返せばまた別の形になったのであろうが、不覚ふかくにも不測の出来事にそれをそのまま受け入れてしまった。受け入れた以上、私が巻き込まれていくのは避けられず、街へと繰り出す羽目はめになってしまった。そして、後はなし崩し的にビデオショップ、ゲーム屋、ハンバーガーショップ、ゲーセンへと連れて行かれ、昼の二時を回る頃には私は完全に撃沈していた。

 それもそのはずで、ゲームセンターに入ってからはずっと格闘ゲームで対戦する運びとなり、その全てに負けていたのである。勝負的にも精神的にも完全な撃沈である。特に、渡会相手には一矢いっしむくいることなく完封された試合が三回もあり、自分の千円は何のためにあったのかと、なげかずにはいられなかった。


「百円、ツークレジットでよかったな、おめぇ」

「全く、そうだな。それともう少し手加減してくれる友人に恵まれればもっと良かったんだけどな」

「お、手加減ならしたぜ。つか、おめぇが弱すぎんだよ」


 二時半過ぎ、ギブアップした私のために散会した三人は帰りのバスを待つべく、近くのデパートに来ていた。バスまでは十分ちょっとというところで霧峯は用事を思い出し、デパートの奥へ向かい、そのせいで、私と渡会は男二人でベンチに並んでしまっていた。

「でもやっぱ霧峯はうめぇな、アクションゲー。俺とタメ張る奴なんざ中々いねぇぞ」

「ま、確かにな。いい勝負してた」


 実際、霧峯と渡会との戦いは周りに人だかりができる程の盛り上がりを見せた。互いに負けん気の強い二人はたがいに瀕死ひんしになりながらの勝利と敗北を分け合い、完全に五分五分の成績で終わらせていた。特に、同じキャラクター同士を使っての対戦では一度、終了間際にあい打ちとなり、館内に歓声が広がった。


「ま、今日は良い一日だったぜ。こんだけ戦えんのも珍しいからよ」

「それは良かったな。まあ、図書部で集まってやったところで、山ノ井がそこそこ戦えるぐらいだもんな。そういう意味だと、霧峯がいたのは良かったよな」


 思えば、テレビゲームなどで対戦する場合、山ノ井を除けば渡会は図書部の中で一人浮いた存在となってしまっていた。それだけではない。運動が得意で喧嘩けんかが強いという意味でも、図書部の中では比肩ひけんのできない存在であった。それが、霧峯が入ってきたことで少しずつ緩和されようとしている。均質化を狙うわけではないが、孤高という壁を少女が壊しつつあるのは事実であった。


「おめぇ、俺に向かってよくそんなこと言えるな。おめぇの方が、霧峯がいていいんだろ」

「ん、何でだ」

「ばか言うな。おめぇ、霧峯のこと好きだろ」


 渡会の思いがけない一言でにわかに頭が沸騰ふっとうする。


「いやいやいやいや、急に何言いだすんだ」

「急にもくそもねぇだろ。おめぇが今年に入ってから急に活き活きしだしてんだよ。何つーか、目の輝きが違うっつーか、動きに張りがあるっつーか。どっちにしろ、霧峯といる時のおめぇは何か違うんだよな」

「それは女の子とこんなふうに親しく話したことなんてなかったから、そう見えるんだろ。内田は基本的に無駄口むだぐちを多くく方じゃないから、そうでもないだろうし。何といっても思春期の男なんだから、急にこんなことになればそうなるだろう」


 自分としては理路りろ整然せいぜんと話したつもりであったが、それがいけなかった。最初はそうでもなかった渡会の表情が『思春期の男』の件から急にゆるみ始めている。


「そういや、そうだったな。悪い、悪い。でもやっぱ変わったよな。二条里から『思春期の男』はサカって当然みてぇな発言が飛び出すんだからな」

「だから、別に霧峯はそんなんじゃないさ」

「ま、そういうことにしといてやるよ。おめぇのコレも戻ってきたみてぇだしな」


 渡会が小指を立てると同時に、後ろの方からお待たせという少女の明るい声が響く。その冬にはあまりにも不釣ふつり合いな笑顔に、私はただただ息をんだ。

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