(4)侵食

 翌朝、私は早速少女の不法侵入まがいの訪問を受けることとなった。


「おい、玄関から入れよな」

「だって、こっちの方が楽じゃない。ね、ね、買い物に行きたいんだけど、どこか連れてって。こっちに来たばかりで、お店のある場所が分かんないんだよね」


 突然の先制パンチである。日曜日の朝から安息あんそくどころではない事態が起きている。


「それとも、水無香ちゃんとかと用事あるの」

「いや、内田は今日、さとに戻って用事があるらしい。それに、私も用事はないんだが」


 が、である。時計を見れば九時前である。通常であればこの後、音楽会をテレビで鑑賞した後、生活情報番組でくつろぐ予定が入っている。


「用事がないんだったら、どこか連れてってよ」


 それが、こうなってしまったのはどうしてなんだろうと、思わず考えてしまう。しかも、霧峯の笑顔は圧倒的に明るい。年明け早々から春や夏が来たのではないかと錯覚してしまうほどである。そして、私は昨日も感じたことであるが、この笑顔に弱いようである。


「まあ、分かったから、準備するまで待っててくれ。すぐ行くから」

「じゃあ、玄関で待ってるね」


 そう言うと、霧峯はまた窓から飛び出し、そのまま自分の部屋へと戻っていった。それを見送ったうえで、急いで着替える。さすがに、部屋着のままで外に出るわけにはいくまい。珍しく日曜の早朝から歯みがきも洗顔も朝食も済ませてしまっていたことが幸いして、さほどに時間はかからない。着替えが済めば、ジャンパーに財布を詰め込んで出るだけである。

 玄関で、母親とはち合わせる。休日はゆっくりとしている母とこうして朝からはち合わせることは少ない。


「なんね、どっか行くとね」

「ちょっと、町まで。ほら、昨日話をした霧峯っていう子に町案内を頼まれたから」

「ああ、あの子ね。そいやったら、ちゃんと案内すっとよ」


 母親に見送られて外に出る。冬だというのに、太陽が輝いている。それでも寒さのみる冬空の下、霧峯ははずむような笑顔でそこに待っていた。


「悪い、待たせたな」

「ううん。私もちょっとだけ準備してたし、あんまり待ってないよ。さ、行こう」


 確かによく見てみると、霧峯は肩からポーチをかけている。以前、何かで女の子のかばんは四次元空間という話を聞いたことがあるため、中身を詮索せんさくすることなどはなかったが、ただ、中からは少しだけ技令の気配が感じられた。


「でも、こんな天気のいい日に博貴と一緒に出掛けられるなんて、嬉しいな」


 こんなことを、平然と霧峯は言う。屈託くったくのない笑顔が隣に並ぶ。その光景を見つつ想像しながら、私は少しだけうつむいた。


「そういえば、博貴と水無香ちゃんってどうなの。水無香ちゃんには言わないから、どんな風に思ってるか言ってみてよ。可愛かわいいから、やっぱり気になる?」


 霧峯の攻勢に息が詰まる。そんな顔で迫られたところで、困惑する以外にない。正直なところ、霧峯の顔が近づいてきただけでも全身が熱くなるのが分かる。


「あはは、赤くなってる。やっぱり気になるよね」


 少女が笑う。どうやら、私はこの笑顔に弱いようだ。息をみながら、それでも、霧峯と対した。


「べ、別に、内田とはそんな関係じゃないさ。それに、可愛いっていうんなら、霧峯だって可愛かわいいだろ、普通に考えて」


 と、ここまで言って、思わず私は口をつぐんんでしまった。今の場面では、ある意味では失言だ。後悔しても、もう遅い。隣の少女はすっかり赤面している。私も頭に血が上っているのが分かる。一月の風は何とも冷たいものだ。


「そ、そ、そんなことないよ。だ、だって、水無香ちゃんと比べたら、わ、わ、私なんて」


 霧峯の動揺どうようする姿を見るのはこれが初めてだ。だが、そのようなことを悠長ゆうちょうに考えているような余裕よゆうはない。


「だいいち、うちの学校は話によると可愛かわいい子が多いらしいから、可愛いだけで気になってたら、何またかけることになるんだよ」

「ま、まあ、それもそうよね。でも、私なんか本当にそんなんじゃないよ。大体、小学校の頃とか、よく、男の子泣かしてたし」


 その光景だけは、なぜか安易あんいに想像することができた。それこそ、足元にひざまずきながら泣いている私に似た男の子の姿さえまぶたに浮かぶようである。第一、体則の素養が凄いのである。腕相撲でもしようものなら、男子はなし崩し的に倒されていくだろう。

 だが、私の目の前にいるこの少女は、長い黒髪を黄色のリボンで束ねた、可愛らしい乙女であった。本当に笑顔が眩しい。こうして一緒に歩いていると、私も自然と明るい気分になってくる。


「まあ、霧峯の強さなら納得だな。私も戦った時には負けると半分確信してたからな」

「そう言って、博貴だって強かったじゃない。ぼさってしてるから大丈夫かな、って思ったけど、びっくりしちゃった」

「そ、そんなにほうけてるか、私は」

「うん。出てる技力はすごいのに、雰囲気は優しそうで、最初は間違ってるかと思ったぐらい。そうね。司書は司書でも、本当に町の図書館にいるような司書さんみたいかな」


 まあ、実際に図書室でカウンター係をしている以上、当たらずといえども遠からずといった感じである。

 緊張して背筋の張った電線の向こう、澄み切った青空の中を、一片の雲が流れる。北風に吹かれて、南に逃げてゆく雲が、なぜか、私たちに近づいてくるような気がした。




 昼下がり、静かなレストランでゆっくりとした時間を過ごしていた。昨日、二合を平らげた霧峯であったが、さすがに、ここではライス二枚に抑えていた。食後の紅茶が、香り高い。


「まさか、お昼にこんなお店に来れるなんて思わなかったな。博貴って、こんなお店によく来るの」

「まあ、時々な。料理もうまいし、最後のデザートが最高なんだよな。千円程度とは思えないだろ」


 私が言うと、霧峯は笑った。


「な、何か可笑しいことでも言ったか」

「ううん、別に。でも、本当にいいお店ね。いつもは買い物に出たらハンバーガー屋さんとかで食べることが多かったから、なんだか新鮮な感じ。周りに大人が多いのも変な感じだけど」


 確かに、客層は三十代を過ぎた人たちでほとんどが占められている。無論、同年代の人など皆無かいむである。あと、女性客が多いのも特徴であり、男は私を含めて狭い店内とはいえ二人しかいなかった。


「そういえばまだ聞いてなかったな、私をなんで攻撃したのか。内田が言うには技令士を誘導してたらしいから、誰か探してたのか」

「うーん、探してたっていうより、夢の通りにしただけかな」

「夢?」

「うん。私、時々はっきりした夢を見るんだけど、そんな時は実際に同じことをやってみて反応をみるの。上手くいくかは分かんないんだけど、意味はあるみたいだから」


 説明する霧峯の表情には一点のくもりもない。ただ、ありのままを淡々と話しているだけである。ある意味では少女にとってさらけ出すという行為はごく自然な行いなのかもしれない。


「でも、技令士を誘導するアイテムなんてどうやって」

「奇跡の石っていう技石があるんだけど、これを使えば簡単に誘導できるみたい。理由は分かんないんだけど、おじいちゃんがくれたものなの」


 霧峯は嬉々ききとして答えるが、正直なところ技令士としては笑えない代物である。だが、それ以上に気にかかるのは少女の行動原理である。夢の通りに行動したということはその夢に何かしらの論拠があってのことである。


「霧峯、まさか、君は技令士なのか」

「ううん。私は体則士の方。技令はまだ使えないの。おじいちゃんは私が技令素養をたくさん持ってるって言うんだけど、使えないんだって。練習はしたんだけどね」

「使えないって、何かあったのか」

「よく分かんないけど、何かあったら使えるようになるんだと思うの。だから、気長に待ってるの」


 一月の日差しはやけに優しい。その日差しを窓越しに浴びながら、少女は幼げに笑って見せた。


「はぁ、でも明後日あさってから学校か」

「いいじゃない、あさってからお友達に会えるんだし。それとも、博貴って友達いないの」


 半分は当たってないでもないが、まあ、友達といえる変な仲間はいるからそこまで問題ない。ただ、普通の友達はそれこそ少ないだろう。


「いや、そういう訳じゃないんだが、色々とな」

「そっか、宿題とかあるもんね。テストとかも」


 そう言うと少女は一瞬で顔をくもらせ、この世全ての悪を抱え込みでもしたかのように、沈痛ちんつうな面持ちとなった。以後、霧峯のトレードマークである黄色いリボンは張りをなくし、切ないまでに斜陽しゃようが似合う表情となってしまっていた。

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