(5)警笛

 週が明けて一月八日、三学期の開幕は霧峯の鮮烈なデビューによって始まった。

 全校集会での登場こそ普通であったものの、廊下ろうかでガムを吐き捨てた上級生に注意し、一瞬でその名が全校に知れ渡った。キレた不良が攻撃したことをいいことに、軽い挨拶あいさつであった(と本人は主張する)裏拳が見事にあごとらえ、撃沈させてしまった。


「ねえ、何か上級生の人が来てるみたいだけど、みんな仲がいいんだね」


 この一言の瞬間、霧峯の位置が校内で決定的となったのは明らかであった。その後は案の定、ケンカを仕掛けてきた先頭の一人を呆気あっけなく撃沈させ、敵襲を見事に四散させた。それも、直接的に攻撃を加えた訳ではなく、チョークを右目端に打ち込み、そのまま壁に当てて爆散させただけであった。

 クラスでの自己紹介もひと波乱があった。クラスの中に私の姿を認めるなり、手を振り、


「そこにいる博貴の家の隣に引っ越してきました」


と大声で言ってしまったがため、あえなく死者の招きにあずかることとなってしまった。ただ、救いであったのはこの少女に男女の境がなく、おおらかに全て動いてしまうことであった。そのため、クラスの男女とすぐに仲良くなってしまい、周囲の思惑やら勘繰かんぐりやらを一瞬で吹き飛ばしてしまった。あと、図書部への入部が決まった瞬間にも色々と殺気が立ったようであるが、霧峯の本が好きという一言に、周囲は一瞬で納得してしまっていた。

 そうした騒動の中で学校は昼前に終わり、翌日の実力テストに向けて解散となった。ただ、部活生と図書部員だけはその中でも淡々と集まりつつあった。


「でもよ、つえぇな、こいつ。体則使った腕相撲で俺とタメ張るなんてすげぇな」


 そう言ったのは、霧峯と三勝三敗で五分の腕相撲勝負を演じた渡会であった。これでも、ほぼ全滅した他の面々に比べれば健闘した方である。ちなみに、私は体則に加えて技令の強化を徹底的に重ねてようやく一勝を得ることができた。それこそ、司書の剣による支配以来覚醒かくせいした内田であればいい勝負になったのであろうが、当の本人は山ノ井と図書移動の打ち合わせをしていた。


「で、何でおめぇは急に女運が上昇してんだよ。今までそんなことなかっただろうがよ」

「女運っていうか、女難じょなんそうの方が近いかもな。女子から攻撃されることが増えてるんだからな」

「ま、俺も人のこと言えねぇけどよ」


 そう言う渡会はこの冬休みの間になんと彼女ができてしまっていた。きっかけは知り合いに誘われてサバイバルゲームに参加したところ、そこでいい勝負になった体則士といい感じになったそうである。ミリイというハングルネームだそうで本名は稲瀬いなせ紗綾さあやと言うらしい。会ったことがないため詳しくは分からないが、当人が言うには、


「内田よか良い身体してるぜ。胸でえぇし、いい感じなんだ」


とのことであった。


「つーか、霧峯の方は胸だけ幼児体型だな。内田の方がいいんじゃねぇのか」


 この直後にセクハラ発言が飛び出す渡会であったが、それだけ、巨乳好きらしい彼は上機嫌であった。とはいえ、真に気に入ったのはその強さと性格だったようであり、正々堂々と勝負して見事に分けて理解しあえたそうである。スポ根もいいところであるが、豪傑ごうけつを好む渡会からすればごく自然な流れであったのだろう。


「っていうか、別に私は内田や霧峯をそんな対象として見てるわけじゃないぞ」

「ま、おめぇのこった、そんなとこだろうな」


 私の返答を渡会は軽く笑って済ませた。その細めた目は何か釈然しゃくぜんとしないものを残していたが、それ以上の詮索せんさくは無用とそのまま胸の奥に仕舞しまい込んだ。


「で、二条里、お前は勝てたのか」


 ふと、後ろを振り返る。そこには、冬休み前と変わる事無く黒いナイロンのジャンパーに身を包んだ辻杜先生の姿があった。


「せ、先生」

「お前がこうしてこの霧峯を連れてきたあたり、お前が勝ったんだろうがな」


 火こそいてはいないものの、すでにその口元には煙草たばこが添えられている。吸う気は満々な様子ではあるのだが、数日前に保険教諭から『教育的指導』を受けて以後、校内での喫煙を控えていた。その為、その実はどこか落ち着きなく、しきりに辺りの様子をうかがっている。


「まあ、勝敗は別に構わないが、問題はレデトール側が行動を強めていることだ。先のハバリート戦以降、積極的に地球へ干渉を行い、各地で技令士や体則士と交戦している。間違いなく、この地も戦いの舞台になってくる」

「もう始まってるんですか」

「ああ、俺自身も既に十数ほうむった。ただ、先の大戦で大将を仕留しとめたのはお前だ。重々気を付けておけよ。お前の役割は導くことだしな」


 そう言うと、先生は流石に我慢がまんならなかったか煙草たばこに火を点けた。


「霧峯と言ったな」


 静かに辻杜先生が霧峯を見下ろす。それをきょとんとした瞳で見据みすえる。対極にある両者は互いにその姿を認め合うと、わずかに口元がゆるんだ。


成程なるほど、陽の二条里に対して陰の霧峯と言ったところか。しかし、体則だけなら二条里を軽くしのぐな。渡会とほぼ同格と言ったところか」


 先生の眼は明らかに鑑定士そのものであり、何度も何度もその背中から腕までを見据みすえている。


「そうか。闘いがあったのか」


 鳥が一羽、せつなげに鳴く。その声に先生の声はき消された。






 早々と、皆と別れて三人で帰途きといた。方向が同じということで何の違和感もない道中となったが、何よりも霧峯がにこにこと笑みを絶やさないことでこの平穏へいおんは保たれていた。一方、内田と言えば先程から不機嫌そうに眼を落しており、落ち着きがない。


「でも、近道でこんなとこ行くんだ」


 霧峯が嬉々ききとしてしげみの中を行く。内田と出会った森とは違いまだ明るげな場所ではあるのだが、それでも、人一人が隠れるには十分な場所でもあった。


「で、博貴、ここっていつもこんなに残留技令の溜まってる場所なの」

「いえ。そのような危険な場所であれば私達が使うはずがありません」


 状況が今一読み込めない。そうこうしている間に内田も霧峯も戦闘態勢をとっている。


「なんか敵がいるのか」

「いえ、親玉はいません。ですが、幻想種が数体召喚された跡があります」

「そうね。私も技令は詳しくないけど、これだけ強い技令の残りがあったら、さすがに気づくかな」


 その中で全く気付きづかなかった私はどうなるのか、という問いに答える声もない中で、内田は静かに抜刀ばっとうした。


「陰の幻想種、マンドレイク」


 黒い影が内田にとびかかる。内田は剣でなし、わずかに後退する。その先には二股ふたまたの根を持つ禍々まがまがしい形相ぎょうそうの生物。口からしたたる樹液のようなものは、しかし、地面に落ちると煙を上げていた。


「博貴、マンドレイクは陰の召喚体です。陽の技令を当てれば容易に打ち破れます」


 内田は簡単に言うが、相手が幻想種でかつ素早すばやい以上そう容易たやすく命中しない。むしろ、その粘液ねんえきによって身体を溶かされかねない。


「博貴、マンドレイクは粘液ねんえきよりも催眠さいみん技令の方が危険です。レベルが低いのでそこまでではありませんが、絶叫による死の催眠さいみんから軽度の弱体化まで幅広く使います」

「それって、音波なんだろ。なら、防ぎようがないじゃないか」

「ええ。風技令でも軽減するのが精一杯です。ですから、下級でも急いで仕留しとめなければなりません」


 内田の起こす風が金切かなきり声を上げる。それでも、ヒステリックな悲鳴は延髄えんずいを直接焼切ろうと襲う。


「博貴、彼女が」


 内田の声に、反応する。草叢くさむらの中、霧峯が息をあらうずくまる。技令への耐性の低い彼女にとっては、既に催眠さいみんが脳全体へと回ろうとしているのか。

 状況を視認する。マンドレイクは五体。二体は内田が懸命けんめいに相手をしているが、残りは私と霧峯の間をかちながら弱った霧峯に迫ろうとしている。


「霧峯、そこを絶対に動くなよ」

「うん」


 身に余る技令を浴びながらも、霧峯はしっかりとうなずく。それを確認でもしたかのように三方のマンドレイクが一斉に霧峯へととびかかる。


「二重円陣」


 霧峯を中心に二つの円陣をき、その中にマンドレイクをとらえる。陰の召喚体である以上、その効果は絶大であり、霧峯に襲いかかろうとした瞬間に円陣の光に触れ、一瞬にして炭と化した。


「霧峯、大丈夫か」

「うん。ちょっと眠気が来てるだけだから、まだ大丈夫。それより、水無香ちゃんが」

「大丈夫です。私でしたら問題ありません」


 そう言いながら、内田は難なく、飛びかかってきた一体を切り落とす。が、一瞬で起き上がるとその一体は再びぎ合わさり、そのまま襲いかかってくる。


「博貴、技令は」

「標的が小さいうえに速くてとらえきれない。霧峯の時みたいに襲いかかってくれば円陣に誘い込んで撃ち落とせるんだが」

「もう、技令って肝心かんじんな時に使えないのね。私のナイフなら当たるのに」

「それだ、あいつに向かって二発放つんだ」


 一瞬だけ目を丸くした霧峯は、しかし、うなずくとかばんから二振ふたふりのナイフを放った。魔法のように吸い込まれたナイフはマンドレイクに深々と突き刺さる。それを内田は見逃さなかった。


「この星の祈りを天上よりささげよ。落雷」


 雷撃に二体のマンドレイクは消し炭となる。特殊な技令的装飾のほどこされた霧峯のナイフは、内田のかみなり技令を引き寄せるには十分であった。


「全く、問題ないと答えたところで、博貴はすぐに加勢をされるのですね」

「ま、帰るのが遅くなるのもなんだからな。それより、霧峯は大丈夫なのか」

「体力の消耗しょうもうはありますが、問題はないようです。それより問題は、このような事件を起こした主犯です。博貴、他に技令の気配を感じ取れる場所はありませんか」

「いや、他に技令の形跡はなさそうだ」

「おかしいですね、私達を襲うつもりであればもう少しいてもおかしくないはずですが」


 内田はそう言いながら剣をさやに戻す。霧峯もゆっくりと立ち上がるといつもの笑顔をのぞかせた。


「とりあえず早く戻ろう。レデトールの攻撃なのか何かの悪戯いたずらなのかは分からないが、腹が減ったのは事実だろ。早く家に帰ってめしでもって、それから考えよう」


 私の言葉に二人とも笑ってうなずく。かたあきれ顔で、かた屈託くったくのない顔。しかし、両者の思いは同じであり、私達はゆっくりと家に帰った。

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