(21)予感

「おはよう、博貴」


 翌朝、少女の声によって目覚めた私はその瞬間に赤面した。私を起こそうとした霧峯の顔を見て頭に血が上ってゆくのを抑えられなかったのだ。


「あはは、ヘンなの。博貴、驚きすぎだよ」


 霧峯に笑われ、耳が酷く熱くなってゆく。


「あ、朝から、誰かに起こされるなんて、ここんとこ、なかったからな。で、まだ、敵襲は来てないみたいだな」

「うん。でも、気配はひどいことになってる」


 霧峯に言われて一瞬で覚醒する。確かに、濃厚な技令の気配が北方一帯を支配しており、それがだんだんと近付きつつあった。


「そろそろ準備しないといけないな。霧峯、ご飯はどうする」

「今から準備すると間に合わないから、これにしとく」


 と、霧峯は言いながら、先生が渡してくれた鞄の中から栄養補助食品の黄色いパッケージを取り出す。


「まあ、そうだな。でも、これで足りるのか、霧峯といえば、重箱のイメージがあるんだが」

「食べないなら食べないでもだいじょうぶ。ほんとは、戦う前だから、しっかり食べたいんだけどね」


 言葉とは裏腹に、少女は嬉々としてかぶりつく。栄養補給の食品をこれだけ嬉しそうに食べていれば、開発者もきっと喜ぶだろう。


「でも、水無香ちゃんと山ノ井君、どうしてるかな」

「まあ、あの二人ならもう朝食も済ませて臨戦態勢に入ってるさ。何だかんだで、二人とも慎重派だからな」

「うーん、その話じゃないんだけどな」


 霧峯が目の前で手を合わせて三角形を作る。


「三角形って、おにぎりか何かか」

「うーん、ニブチンの博貴じゃ、ちょっとわかんないかぁ。そうだよね。じゃなかったら、今ごろ」

「あー、勝手に悩むのはいいんだが、何かいわれの無い蔑みを受けてる気がするんだが」

「いわれがなかったら、私の言ってること、わかるはずなんだけどなぁ」


 明らかに悪意のある言われ方をしているのであるが、不思議と反駁はんばくのしようがなくなってしまっている。それこそ、内田とはまた違った説得力があるのだろう。


「ん、これは隊を三つに分けたな。控えと攻撃二隊か。向こうも長期戦でやる気だな」

「うん、そうみたい。どうしよう、攻め込む準備までしてた方が良いのかな」

「いや、今回の指揮権は山ノ井の方にある。下手に仕掛けない方が良いだろう。それに、向こうには内田がいるんだ。絶対に、途中で攻め入る」


 解散の前、今回の作戦は山ノ井がリーダーということで先生から指示があった。これについては以前から、


「次の年度で大きな戦いがある。それまでに、指揮能力のある人間を増やさんといかんからな。それに、二条里ばかりがリーダーというのも大変だろうしな」


という話を聞かされており、私も皆も納得するところであった。あくまでも私がリーダーであったのは内田救出作戦からの流れでしかなく、本来的には、山ノ井がトップであるべきなのである。少なくとも、専門部活動としてのトップは常任委員長である山ノ井であり、私などは副常任委員長である水上と阿良川の下にいる一部員なのだ。必要があれば指揮を執るが、元々がそのような器ではない。


「なに、お前は英雄なんだ。人を導く才能なら十分あるはずだ」


 辻杜先生などははっきりと言い切るが、これだけは、先生も英雄という偶像に囚われているのだろう。


「とりあえず、こっちも長期戦に備えよう。押し返すことが重要だから、相手を倒すより往なすことを重点に置く。そうなると、霧峯は隠れてナイフで狙撃した方が良いかもしれないな」

「この前みたいに、斬り込まなくていいの」

「斬り込みは決戦を急ぐ時に取る方策だ。敵戦力の全容が掴めず、かつ、指示も出ていない以上は静観するのが正解だろう」

「うん、わかった。じゃあ、私は隠れるね」

「ああ。恐らく、向こうも一から二時間もすれば撤退を始めるはずだ。こちらの戦力が分からない以上、無理はしないだろうしな。だから、それまでしのぐことだけを考える。霧峯は気配を消して対応してくれ」


 私の言葉に呼応するかのように、霧峯の気配が木々の中へと消えてゆく。それを受けて、私も迫りくる軍勢に立ち向かうべく心積こころづもりを固めてゆく。


 朝靄あさもや静寂せいじゃくを打ち払い、軍靴ぐんかの音が周囲を包む。蹂躙じゅうりんされた木々のなげきが、それだけで開戦の機運を高めてゆく。そして、視覚がその先端を捉えた時、互いに戦端を開いた。


 二人で守る一つのとりで。それだけで、私はベルトを強く締めた。




 南中。二度の敵襲を退けた私達は、戦闘中に倒してしまった切株を腰掛けに小休止を取っていた。初戦は五十騎程度の襲撃であり、終始、こちらが主導権を握りながら、半時間で撤退に追い込んだ。


「うーん、ナイフが一本持ってかれたのかな。見つかんないよう」


 合間で霧峯が投げたナイフを回収できる程度には楽なものであったのだが、二回目の襲撃はそこそこに骨が折れるものとなった。向こうも長期戦を覚悟している関係上、力押しはしてこず、逆に防御陣地の構築を始めようとしたのである。流石に、数で負ける分、防御優勢の状況を許すわけにはいかず、私達も攻撃を加える。二人で斬り込んでいるという最大の弱点を漏らさないようにするため、私が単騎で突入し、霧峯が遠距離から支援する体制をとるが、五百騎に増強された敵軍を壊乱させるにはあまりにも小さな力でしかない。それでも、斬り込みを繰り返すこと二十七回にして相手は撤収を開始し、そのまま追撃を加えてその戦力の半分を戦闘不能状態にまで追い込んだ。こちらの損害は軽微であり、物資も氷結の団栗どんぐりを二個使用しただけで済ませることができた。


 とはいえ、二時間以上も駆けずり回ったせいで、体力の消耗は激しく、流石に息が上がってしまっていた。


「うーん、結構長いこと戦ってたね。博貴、怪我とか大丈夫だった」

「怪我は、な。ただ、体力が大分減ったんだよな。二時間以上、全力で走りっぱなしなんて想定外だったからな」


 息も絶え絶えの私を見ながら霧峯が笑う。悔しいところであるが、何故かそれだけで安心してしまう。


「しっかし、撤退してから再編成の動きがなさそうっていうことは、夜戦に持ち込むつもりだな。さっきまで殺気立ってた空気が完全に緩んでしまっている。数が多い分、こちらの消耗を誘いやすいからな」

「えっ、それ受けちゃってもいいの」

「ああ。えて受けた上で反撃する。夜襲を加えた後に攻撃されるなんて思わないだろうからな。だから、敵が弛緩しかんした瞬間に大打撃を加えてしまえば再起不能になるから、その一撃に賭けるのがいい」

「ふーん、でも、今回は勝手に動けないんだよね」


 霧峯がナイフの手入れをしながら、声の表情を変えずにつぶやく。確かに、そこが問題なのである。作戦自体は思いつくのであるが、指揮権はない。だからこそ、山ノ井が上手くやってくれることを祈るしかないのであるが、そればかりは未知数なのである。逆に言えば、私のつまらない作戦より、よい作戦を立てる可能性もある。今はそれを祈るしかないのであるが、慎重派の山ノ井がどこまで踏み込めるかは分からないところである。


 その時、トランシーバーに通信が入る。先生が事前に準備していたものであるが、激しいノイズの先から淡々とした声が流れてくる。


「これから、僕達二人で攻撃を仕掛けます。その間に、敵襲があった場合、よろしくお願いします」

「ちょ、ちょっと待て。これから、って、こんなタイミングで攻撃を仕掛けるのか」

「今、敵陣の空気は弛緩しかんしています。夜襲まで休息を取られるようですが、この機に混乱を誘い、打撃を与えたいと思います」


 一方的に打ち切られる通信。山ノ井らしい、要点を絞った報告。が、その裏に隠された何かがあるような気がして、思わず、トランシーバーを握る手が震えてしまった。


「ねえ、このタイミングで攻撃しても大丈夫なの」


 霧峯の問いに、私は即答することができない。頭の奥底に沈着した違和感が、開こうとする口を抑え込む。それでも、私は頭を振ると、努めて冷静に返答した。


「正直に言って分からない。ただ、山ノ井の言うことにも一理あって、敵の攻撃準備中に痛打を浴びせられる可能性は高い。だから、戦術の一つとしては間違っていない」

「ふーん。でも、博貴は無理って思ってるんでしょ」


 変わらぬ口調で霧峯が核心を突く。この少女はこういうところがあるから怖いのだ。


 正直なところ、戦術自体の有意性は霧峯に述べた通りである。相手の緊張が緩んでいる間に攻め込むという戦術は私の考えと同じであり、そのタイミングをどうするか、という一点に絞られる。私の立てた作戦にも当然のように問題はあり、疲労の蓄積による攻撃力の減衰げんすいや夜襲を受けることによって生じるであろう損害が作戦に悪影響を及ぼすだろう。逆に、山ノ井の方は疲労や損害の少ない状態で攻め込むという利点がある。


 ただ、利点は裏を返せば欠点になる。こちらの損害や疲労がないということは、相手も同様であると考慮して差し支えない。だからこそ、作戦の否定も肯定もできないのである。


「ああ。それも、作戦論理上の問題ではなく、何となくという、抽象的な理由で」

「うん、私もそう思う。理由は博貴よりはっきり分かってるんだけど、たぶん、うまくいかないと思うんだ」


 少女の一言は意外だったが、すぐに、納得がいった。元々、霧峯も戦闘に関する勘は鋭い。今回もどこかでそれが働いて、論理的に説明できるだけの材料を持ち合わせていたのだろう。


「で、どうするの。止めに行った方がいいの」

「いや、ここは待機だ。場合によっては、二人で二つのポイントを守る必要すら出てくる。下手に動くより様子を見て守り抜く方が重要だ。それに、今出ている指示は攻撃じゃない。なら、それに従うべきだろう」


 互いに作戦を確認して頷くものの、そこに、いつもの快活さはない。切株に向かって降り注ぐ陽光がどこか痛々しい、そんなひと時であった。

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