(16)寒気

「エミリー自陣引き入れ作戦」と称して霧峯がエミリーと頻りに交流を取るようになって五日。

今ではすっかり姉妹のような仲の良さになってしまい、ついでに、一年生の他の生徒にも慕われるようになってしまっていた。

それを黙認した学級担任もさることながら、敵地に近い空間を自陣に引き込んでいく能力ではやはり、霧峯は圧倒的な才能を示していた。


ついでに言えば、その一年生の子たちとバスケをやったことがあり、その際にバスケ部の子たちを五人相手に回して圧勝するという芸当まで見せつけていた。

ここで、下手をすればバスケ部から睨まれそうなものであるが、逆にバスケ部の同輩に気に入られてしまい、後輩からは明らかに一種別格の存在として「異様な」慕われ方をされるようになってしまっていた。


「あはは、ちょっと、やりすぎちゃったかな」


と、口でこそ反省を示すこともあったが、明らかに内心ではやり過ぎとは感じていない様子であった。


そうこうしている内に一週間が終わりを告げて金曜日の夜となったのであるが、私の部屋の周囲は暗く澱んだ空気に覆われていた。

というのも、この日の午後に学年末試験前に模擬試験をやってみようという今原先生の突然の言葉により抜き打ち試験が行われることとなったのだが、その結果が内田、霧峯の両氏ともに悪かったのである。

二人とも数学が苦手であるというのは既知の事実ではあったが、今回の試験の結果については二人を凹ませるには十分であった。特に、内田の方は深刻だったようで、


「ええ、瑞希二人と私が束になっても、数学では博貴に敵わないのですね」


などという非常に暗い発言をするほどであった。

なお、私は証明で二点分引かれ、内田はおよそその半分、霧峯に至ってはさらにその半分であったという。

あくまでも、自分では内田や霧峯の点数を見てはいないので、聞いた話ではあるのだが。


という訳で今晩は静かな放課後と夜を過ごしているのであるが、その間に、今日の試験の解き直しを行っている。

というのも、この流れでは明日の朝か昼頃に霧峯と内田から襲撃を受け、解説の無かった試験のやり直しノート作成を手伝わされるのは予想の範疇だからである。

準備しておいた方が解説に集中できるため待たされて更に機嫌の悪くなった内田から何か恨み言を言われる心配が減るであろう。


「へぇ、テスト良かったのにもう一回解きなおしてるなんてすごいね」


だから、霧峯の声が頭上から聞こえてきたのは明らかに晴天の霹靂であった。


「わ、わっ、なっ、な、霧峯、どうして、ここにいるんだ」


背後に立った霧峯が笑顔で私のノートを覗き込んでいる。

動揺する。

霧峯に近寄られたことに対してではない。

どうやってここに入って来たのか、ということである。


「だって、窓から呼んでるのに博貴気づいてくれないんだもん。勝手に入るしかないじゃない」

「い、いや、そういうことじゃなくて、鍵は」

「鍵、開いてたよ。お布団取り込む時にかけ忘れてたんじゃない」


そういえば、と赤面する。

天気が良かったので炬燵布団を干していたのであった。

それで、夕方に取り込みはしたのであるが、明日も別の布団を干そうと思い鍵をそのままにしていたのであった。


「でも、数学解いてる時の博貴って、何だか嬉しそうだよね」

「悪かったな。どうせ、気持ち悪いとか言うんだろ」

「ううん、何だか輝いてる感じ。スポーツ好きな子が外で遊んでるみたいな顔で、この前、ゲームで負けてた時みたいにかわいそうな顔からすると、すっごく良い顔だと思う」


霧峯の一言に、さらに血が上っていく。

こういう時、この少女に打算はない。

良いものに対しては素直に良いと喜ぶ性質なのである。

だからこそ、恥ずかしかった。

だからこそ、次に口を開けばぶっきらぼうな言い方しかできなかった。


「で、何か用なのか。テストのやり直しだったら、ノートを持ってくればいい」

「テストはまた明日でいいよ、水無香ちゃん落ち込んでるから。二人一緒の方が博貴も早いでしょ」

「まあ、それはそうなんだけどな。でも、霧峯は大丈夫なのか、その、内田より」

「だって、落ち込んでも仕方ないじゃない。本番じゃなかったんだから、次がんばった方がいいでしょ」


この切り替えの早さは流石、霧峯である。

落ち込んでいなければならない状況において全く動じるどころか、むしろ、次への布石を打とうとしている。

この強い未来志向は明らかに内田にはない性格である。

そして、本人もそこまで分析しているかは分からないが、今日のテストは明らかに難易度を高く設定してあった。

学年末試験に向けて勉強を促すためにそうしたのであろうが、実際、六割以上は五人ぐらいしかおらず、殆どは三十点前後に分布していた。

この辺りは試験の異様な難易度に今原先生へ質問して得た答えではあるのだが、それを考えればそう悲観することもないのである。

内田は。


「じゃあ、何しに来たんだ」

「ね、ちょっと屋根に出てみてよ」


突然の突拍子もない霧峯の一言に、私は思わず絶句する。

が、目の前の少女の何かを期待する眩しい笑顔に、私は緊急用としてベッドに隠している靴を取り出し、素直に少女に従うこととした。


「で、何があるっていうんだよ」


身体を震わせながら屋根に上る。

もう寒くて寒くて仕方がない。

身を丸めながら従い、白い息が横切るのを無視する。


「ほら、上見て」


少女の指差す方を見て絶句した。


天心から広がる星空が私達の周囲を覆い、雲一つないその輝きは私達が虚空に落とされた一滴の雫であるように思わせる。

天頂に輝く月を中心に広がった宇宙の光は、この西南の端にて降り注がぬ雪として燦然と輝いていた。


「ね、すっごく綺麗だよね」


少女の笑顔が酷く眩しい。

自然な微笑みなのだろうが、それだけで半月如きは尻込みしてしまい、それに陰りを見せてしまっている。


「ああ。で、物凄く寒い」


夜九時を回っているのだ。

雪が降るかもしれないなどという予報が出ている昨今の天気予報を考えれば、それ以上のコメントは出せなかった。

ただ、顔だけは火照る。


「でも、今日はどういう風の吹き回しなんだ」

「ん、どういうこと」

「だってそうだろ、霧峯なら本当に星だけを見ようと思うんなら、どっかの山まで連れて行こうとする。それこそ、他に誰か誘って、な。でも、そうじゃないということは何か別に話があるんだろ」


冷たい風が二人の間を吹き抜ける。

短い付き合いだが、それでも、この少女の考えることであれば少しは分かるような気がする。

特に、こうして私一人に隔離したということは、内田にも話せないような「何か」があるということだった。


「やっぱり、分かっちゃうよね。ふたりで星を見たかったのはほんとなんだけどね」


一瞬の寂しげな表情。

その裏側には何らかの覚悟があるのだろうが、それはあまりにも悲しすぎるものであった。


「カルビン先生なんだけどね」


少女が口を開く。


「硝煙の、匂いがしたの」

「硝煙、って火薬じゃないか。いつ」

「初めて英会話室に行った時。ちょっとだけだったんだけど、匂いがして。でも、それだけだと分かんないから、水無香ちゃんには言えなくて」

「ああ、それはそうだな」


正直なところ、それは正解だったように思う。

そのようなことを言えば、内田は即座に硝煙から銃を導き出し、そのまま攻撃に移っていただろう。


「でも、硝煙の匂いなんてよく分かったな。握手までしたけど、全然分かんなかったぞ」

「ほとんどしなかったからね。でも、技令を感じる力が弱いから、匂いと音には敏感になりなさいって教えられてれば分かるよ」

「そっか。じゃあ、どうすっかな。銃を使ってる可能性があるならもう少し調査した方が良いだろうな」

「うん。そう思って博貴に相談したんだけど、どうしたらいいかな」

「それなんだけどな」


ポケットから一つの鉛玉を出す。

あの日、私に打ち込まれた銃弾をこうして保存し、分析を進めていたのである。

内田からいくつかの資料を借りて行っていたのだが、場合によっては内田の暴走が始まりかねなかったため、極秘にしていたのである。


「この前の銃弾を分析して籠められていた技力の元を追尾できるようにしておいたんだ。これで、少し動いてみようと思う」

「動いてって、いつ」

「出した以上は今からやった方が良いだろ。だから、行ってくる」


屋根の上から飛び降りる。

風で勢いを殺して以前では考えられなかったような動きを実現させる。


「待って」


それに少女が続く。

少女は技令の助けなしにそのような動きを易々とこなしてしまう。

鍛え抜かれた体則による保護というものも相当に強いもののようである。


「私も行く」

「言うと思った。でも、良いのか。狙われてるのは私ではなく、霧峯なんだ。ここにいた方が結界のある分守りは固いぞ」

「だれに向かって、言ってるの。守ってもらうばかりっていうのはあんまり好きじゃないから、私も行きたいの」


霧峯が笑う。

だが、場合によっては折角仲良くなったエミリーを敵に回す可能性もある。

カルビン先生との関係も崩れてしまいかねない。

霧峯はそうした日常が何よりも好きで、だからこそ、一瞬の切ない表情があったのだろうが、それでも、意を決したこの純粋な戦士たる少女は私に満面の笑みを向けていた。


「なら、行こう。街の方だ」


二人で夜道を駆けだす。

先程眺めた半月は夜道を照らし、その加護を浴びて闇の中へと身を投じた。

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