(51)男の闘い
展開した陰陽の陣より先にへと進む。
業火が血潮のように
切り捨てた土気が向きを変え、それを光で
陰陽の調和を氷刃が襲う。
切る。
薙ぐ。
掃う。
慌ただしく舞う。
手を休めれば、負ける。
止まれば、終わる。
光陣の解れに意識がいく。
風の刃がそれを覚ます。
月に日にと星の光が、私を討ちぬこうと木霊する。
襲い掛かる水を断ち、覆う闇を打ち破る。
その先の光に焦がされながら、縮まる輪に抗う。
技令の包囲に光陣は破れ、残る力が私を刺す。
「それでも、まだ」
両の足を山ノ井の世界に突き立てる。
正眼は崩さず、肩で息して。
「私は倒れてはいない。倒れるわけにはいかない」
気を抜けば、膝から崩れ落ちる。
剣を持つ手が無理を訴える。
それを心一つで跳ね返し、負けるものかと鞭を打つ。
「普通なら、それ以上戦えませんよ」
「ああ、普通なら、な。でも、山ノ井も同じ立ち位置だったら戦うはずだ」
私の答えに、山ノ井はただ点頭し、構えを崩さずにいる。
技力を高めて放つ以上、山ノ井の技力の消耗も激しいのであるが、長期戦となればこの空間が味方して回復してしまう。
ならば、この重い一撃を速やかに受け、畳みかけるのが最適解ではある。
とはいえ、先の一撃での私の消耗も大きく、再び持ち
気力で立とうにも体力が失われてしまえば不可能である。
加えて、陰陽陣では
「確かにそうですね。それでも、僕も君を倒すまでは手を抜くことはできませんから」
再び山ノ井の周囲に技令が集まる。
恐らく、山ノ井は勝負を着けに来ている。
鳳凰剣の速さで以って発動前に肉薄しようとも、無防備なところを突かれれば防ぎきれずに詰む。
山ノ井の発動した技令をどうにかした上で肉薄し、物理的な攻撃を叩きこむのが最も効果的である。
それが可能かはさて置くとして。
単純に考えれば、八卦陣が使えれば対応は可能だろう。
しかし、あの量の技力を今この場で展開するだけの能力はない。
このような状況でも、自分の能力を読み誤ってはいけない。
あれだけの複雑な線を紡ぐには今一歩及ばない。
ただ、陰陽陣の先であれば見えないこともない。
四方の守りでは敵わないのであれば、八方を護るしかないのだが、それを単純化すれば今の私でも布陣が可能ではないか。
それで八つの技力を同時に抑え込めるのかは疑問だが。
それでも、一つ技令は確実にどうにかしなければならない。
果たしてその時に光陣を維持できるのかという疑問も残る。
それらの疑問を胸に押し込み、集中する。
不安など今に始まったことではない。
ただただ、今できることをやるしかない。
届けば勝ち、届かねば負けるというだけのこと。
思い詰めて結果が変わるのであれば悩むが、そうでなければ邪魔でしかない。
「二条里君、一つだけいいですか」
杖を構える山ノ井に一度だけ頷く。
「どうして、これまで内田さんの想いに応えてこられなかったのですか」
いつもの穏やかさが失われ、錐のように鋭い山ノ井の視線を受け止める。
非難の二文字が脳裏に浮かぶ。
「その答えが欲しいなら、力づくで聞けばいい」
足下に光陣を敷く。
山ノ井に気迫で負けるわけにはいかない。
ただの戦いではない。
負けるわけにはいかない戦い。
山ノ井が大きく息を吸う。
私もまた、
「光よ、我が求めに応じよ。八手を以って我らを護り、八手を以って仇敵に挑む」
山ノ井の口から一音が放たれる。
「
私を光が包囲する。
その光が、八つの技力に立ち向かう。
それぞれに異なる技力を持たせ、それぞれが相反する技令とつばぜり合う。
膝から力が抜けそうになる。
それを
時に
真直ぐに山ノ井は私を見据える。
視線を剣で薙ぎ、想いを技令で撃つ。
僅かか十歩ほどの距離が酷く遠い。
進む身体は鉛のように重い。
それでも奥歯を噛みしめて、一歩をさらに前へ出す。
一瞬の
それをも意地で押し返す。
目前に迫った凍てつく力を、再び剣で振り払う。
覆う光も共に九つの力に抗い続ける。
技力がぐんぐん抜けていく。
意識が持つかも分からない。
それでもこの一戦だけは、前に進むしかない。
一瞬の
幻覚か。
頭を一振りして斬り込んだ先に、目を丸くした山ノ井の姿。
「赤い、
辿り着いた地平に、無心で剣を揮う。
「そん、な」
動揺した山ノ井の胴を深々と捉える。
よもや鈍器でしかない司書の剣は、肉を
ただそれも虚しい一閃。
連なる重い衝撃。
足先より抜ける力に、冷たい土へと倒れ込む。
世の漆黒は喧騒に消え、夜の輝きが私達を包んだ。
橋の振動は死闘に倒れた少年を知らず、凍てつく風も無慈悲に吹きすさぶ。
「いい勝負、だったな」
その中で、ただ一つの声だけが響き、ただ一つの煙だけが至る。
鼻につくヤニの臭いは、それでも、今日この瞬間だけはどこか有難く感じられた。
その後、二人してホテルに担ぎ込まれた私達は、簡単な回復の処置を施された。
二十分ほど戦っていたらしいのだが、その間誰一人として駆け付けなかったのは事情を知っていた水上が押しとどめていたらしい。
「にっちゃんも、常任委員長も、二人で特訓したいって言っとったけん」
そのような事情もお構いなしに飛び込んできそうな渡会については、覗きを見破られて再び痛い目を見ていたためにそれどころではなかったらしい。
流石の渡会も一瞬で落とされる雷技令への対応は、四肢が使えなければ難しいようだ。
「それにしても、怒られてしまいましたね」
「ああ。二人して、な」
夕食の後、回復のために二人して遅い入浴の時間を取っていた。
広い浴室の中に二人というのは何とも寂しくもあり、気恥ずかしくもあるのだが、今はそれがかえって幸いしている。
回復を受ける際に、入浴を済ませた水無香が飛び込んできて、開口一番、
「特訓でそんなにぼろぼろになられるなんて何を考えているんですか」
と私達に雷を落とした。その後に入ってきた霧峯が必死に
「こたえましたね、二条里君と戦うことを決めた時にどうなってもいいと覚悟していたはずなのですが」
「そうか。私には日常茶飯事過ぎて、そんな感慨もないんだけどな」
ひとつ大きな欠伸をする。
こうした時に、付き合ってきた時間の長さというのは響くのだろう。
透き通るお湯の合間から立ち上る湯気の先に見えるタイルを眺めながらぼんやりと考えていた。
「むしろ、私には山ノ井が戦いを挑んできたことの方が
「申し訳ありません。しかし、僕は、どうしても君に勝ちたかったんです。内田さんに振り向いてもらえる男になるためにも」
「ああ。だからそれももう汗と一緒にお湯に流れた。だから、気にしないでほしい」
それは酷い
「やはり、二条里君はずるいですね。本来でしたら、想いで勝てなかったのですから悔しいはずなのですが、それでも君を憎むことはできないでいます」
山ノ井の視線が珍しく下を向いている。
その先に見るものは、悔しさを食いしばる自分の姿なのか、それとも、男としての
「いや、相打ちだったんだから、負けではない。それに、違う想いがぶつかり合ったんだ。だから、そこに勝ちも負けもないさ」
「違う、想い――ですか」
山ノ井が不思議そうな顔を私に向ける。
目の前に一つ滴が落ちた。
「ああ。確かに、私は水無香のことが好きだ」
私の言葉に、山ノ井が
構わず、続ける。
「ただ、多分、私の『好き』という感情は山ノ井のそれや水無香のそれとは違うと思う」
「違う好意、ですか」
「山ノ井は水無香がうちに居候している理由は聞いたことがあるか」
「ええ、内田さんからも直接伺いました。大変な思いをこれまでにされていることも含めて」
「それをうちの母さんが無理矢理に近い形で迎え入れてしまった。私も水無香もかなり驚いたんだけどな。ただ、今はもう水無香が同じ屋根の下に入るのが当たり前になってしまった。驚かれたり、皮肉を言われたりしながら、静かに見守る生活が、な」
お湯を両手で
指の合間から滴るものを暫し楽しんでから、両手を広げてそれを放つ。
「水無香はもう、私にとってはかけがえのない家族なんだよ。それも、血を分けた兄弟と同じ」
言いながら、顔が熱くなるのが分かる。
考えてみれば、なかなかに恥ずかしいことを言っているのだが、山ノ井もその思いを打ち明けている以上、そこから逃れるのは難しい。
「だから、私は家族として、兄弟として水無香が好きなんだ。だから、私は水無香を護らなければならないと思ってる」
私の
それは戦いの時と変わらず真剣で、私も笑顔でありながら確りと言葉を紡ぐ。
「それでも山ノ井と真正面から戦ったのは、まあ途中からだけどな、彼女を愛する相手なら彼女を護る意志と力を持っていてほしかったから、かな。我ながら何を言ってるんだと言われそうだけど、水無香が守るだけだとまだ弱い。お互いに護り合うだけの力がなかったら、私は認められないかな」
語り終えた私をまじまじと眺めていた山ノ井は、暫くして
重たい沈黙が浴場を覆い、水面に移る私が笑顔を振りまく。
やがて
「とんでもない
「ああ、自分でも分かっているし、呆れてしまう。それでも、これだけは譲らない。本当に水無香のことが好きなのなら、それだけの力を私に見せてほしい」
私の言葉に、山ノ井が笑う。
珍しく、声を上げて。
「分かりました、二条里君。そこまで仰るなら、僕も二条里君を倒すのではなく、二条里君を唸らせるだけの力をつけるように精進しましょう」
「ああ、ぜひそうしてくれ。今日のままなら私はまだ納得することができない」
「それは本当に厄介ですね」
私もまた同じように話ができればいいのだが、どうにもそうした気分になることができない。
まだ顔が熱い。
「ですが二条里君、そこまで仰るなら二条里君が内田さんの想いを受け止められたらいかがでしょう」
「いや、それは今の私にはできない」
「それは
「そんなものは私も気にしない、ただ――」
私が見上げた天井は、罰のように一つ冷たいものを落とした。
風呂から上がったところ、ロビーでは水無香と霧峯が楽しそうに話をしていた。
出会った頃は睨むようにしていた水無香の視線も、それが嘘であったかのように穏やかなものとなっている。
「どんなお話をされているんですか」
山ノ井がごく自然に優しく輪に入る。
私が一歩引いてしまったのは、疲れによるものなのか、それとも、先程までの話のせいでどこかいつもと違ってしまっているためなのか。
顔がまだ熱い。
「いえ、先程は私としたことが取り乱してしまい、申し訳ありませんでした、山ノ井さん」
「どういうことでしょう」
「さっき、水無香ちゃんとお話してたらね、辻杜先生が来て俺が実戦形式でやるように指示したんだって、教えてくれたの。それで、二人を怒鳴っちゃったのを水無香ちゃんが気にしちゃってたから、大丈夫だよってお話してたら盛り上がっちゃって」
咲きこぼれる笑顔の花がロビー中に広がる。
その笑顔はあまりにも眩しく、どうにも直視することができない。
目の前の山ノ井は穏やかに返しながら水無香と話をしているが、その能力の一片でもあればなあと、思わず心の中で愚痴を吐いてしまう。
それにしても、辻杜先生にはこの決闘の話を全くしていなかったと回復中に山ノ井は言っていた。
私闘自体を禁止していない図書部なのだが、辻杜先生がそう言わずに敢えて噓を
そうした靄のかかった思考の中で、急に目の前が少女の瞳で満たされた。
思わず、声を上げて飛び退く。
「もう、難しい顔して、どうしたの?」
「い、いや、ついつい今日の反省戦を考えてしまってな。これからの戦いにどう繋げようか、って」
「ふーん、そうなんだ」
霧峯に見詰められると、思わず息が詰まる。
それでも、何かを気取られぬように私も目を逸らさぬようにする。
やがて少女が距離を取ってくれたところで、私はひとつ深い
「それに、水無香から怒られるのも慣れてるからな。前よりは減ったけど、無茶しようとすると怒るんだ」
「ええ、博貴は気付けばすぐに無理をしようとしますから。ただ、私がいくら怒ったところで、なかなか変わってはいただけないんですけどね」
水無香の言葉に、明かな棘がある。
ただこれも付き合いが長くなってきて、心配の裏返しなのだということが分かってしまう。
それだけのことをしてしまったのだと心では頭を下げながら、表では笑っていた。
思えばもう、修学旅行も終わりが近い。
色々とありながら、何とか無事に終わることができそうな状況に、京の闇もどこか穏やかに映った。
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