(9)大波止(おおはと)会戦

 夜、犬の鳴き声と車のうごめききだけが静寂せいじゃくを行き来する中、私はベットの上で微睡まどろみの中をたたずんでいた。


「霧峯、か」


 いたずらに少女の名前を口に出す。何の変哲へんてつもないその行為が、今日はひどく官能的なものに思えて身ぶるいがする。冬空の下、突如とつじょとして現れた少女に私は全く以って捕囚ほしゅうされていた。

 が、何のことはない。元々女の子に抵抗のない身の上なのである。そもそもがそれだけで官能的なのである。それに、男である以上は思春期ともなればよからぬ方向に物事を考えるようになるものであり、それが私は少し変な方向に向いているだけ、である。男と女の快楽を知らない以上、一緒にいるだけ気持ちがたかぶるのは致し方ない(と思う)。それに、それは時として内田にも言えることだ。

 ただ、である。私は渡会から例の一言を切り出された瞬間、否定できずに質問で返した。その後で改めて否定したものの、あの一瞬の躊躇ためらいは何だったのか、と自分では気がかりでならなかった。


「博貴、起きていますか」

「博貴、起きて」


 疑問を吹き飛ばす二人の少女。扉と窓から現れた暴風に一瞬で飛び起きる。


「な、な、何で二人同時なんだ。って、何があったんだ。つーか、もう戦闘装備って何なんだ」

「博貴、気付かれなかったのですか。強い技令の気配が個と集団とで二つ。大波止方面です」


 内田の返答に一瞬で我へと返る。高熱にうなされた後のような気怠けだるさに襲われながら、それでも、成すべき方向性だけは把握はあくした。


「分かった、今すぐ漁港跡地に向おう」






 三人で冬の夜道を駆け抜ける。普段であれば三十分はかかる道程を五分ほどでけ抜ける。体則によって強化された肉体は躍動やくどうし、技令によって覚醒した精神は高揚こうようする。冷ややかな視線を向けるアスファルトを足蹴あしげに、立ち並ぶネオンの羨望せんぼうを横目に行く。はたから見れば異常事態なのであろうが、人智を超えた挙動理解するに十分な人は、この夜の街には存在しえない。歓楽かんらくがいは路面電車の花道を駆け、車を追い抜きつつ港へと急いだ。


「どうやら、渡会さんと山ノ井さんが先着しているようです。色彩法とバランスのとれた技令の気配が増えています」


 司書の剣による支配以来、内田の実力は明らかに向上している。以前であれば、気配がする、で止まっていた技令分布分析も今ではその属性と強さをおよそ正確に把握し、その他の能力についてもある程度まで把握はあくできるようになっている。元々のレベルの差が戻ったような感じであるが、


「それでも、戦闘センスと技令の強さのみを比べれば博貴の方にがあります。私はあくまでも後方支援としての能力が向上しているに過ぎません」


と淡々と語っていた。その割に、内田は積極的に前に出る。

 そうこうしている内に、大波止ショッピングセンター前のスクランブル交差点におどり出る。一歩前には港が控えるこの場所に、雲霞うんかごとき大軍が北より押しかけてきていた。


「内田さん、二条里君、霧峯さん。来て下さったんですね」


 山ノ井が結界を張りながら大軍を押し止める。見る限り、五十メートル以上は整列した人の波ができている。それだけでも十分に異様な光景ではあるのだが、その全員が明らかに強い技令の気配を放っており、レデトール人であることを示している時点で理解に苦しむ。


「山ノ井、ここで抑えんのはいいけどよ、この先にもう一つ強い気配があるぜ。そっちの方もヤバいんじゃねぇか」

 確かに渡会の言うとおり、これより先により強大な技令の気配がある。それこそ、先のハバリートに近い強大な気配が。


「ここは私が抑える。だから、みんなで先に行ってくれ」

「僕が引き止めますので、先に進んでください」


 その危険性を感じたゆえか私と山ノ井は同時に敵の引き付けを買って出てしまった。思わず、二人で顔を見合わせる。現状では山ノ井がこの波を抑えているためこのままにしておけばいいのであろうが、私は直感に似たある確信を持って口走っていた。


「そんなん、どっちでもいいじゃねぇか。とりあえず、二、三人で抑えて進もうぜ」

「いえ、この場は博貴に任せましょう。山ノ井さんの技令も強力ですが、陣形技令には集団性という特性がありますので。それに、進んだ後で後ろをまもる必要もあります。それは山ノ井さんの方が適任です」


 内田の一言に、山ノ井がうなずく。が、残りの三人は一瞬出てきた謎のキーワードに脳が硬直してしまっていた。


「ねぇ、水無香ちゃん、集団性って何」

「集団性というのは群れに対する技令の効果のことです。通常、技令というのは個対個ないし数体を対象とするものです。ただし、集団性の性質を持つ技令は個への攻撃としても使用できますが、大きな集団に対して広範な影響を与えることができます。博貴の使用する陣形技令は特に数百、数千といった範囲に対しても有効で、非常に高い集団性を有します。これも戦場を駆ける英雄が陣形技令を利用する理由の一つです。同様の性質を持つ技令としては技令界ぎれいかい技令、大祭壇だいさいだん技令などがあります」

「そうなんだ。でも博貴、一人で大丈夫」


 内田の説明に合わせて、霧峯が私をのぞき込む。言われてみれば確かに、直感でこそ言ったものの、これを確実に防ぎきるという確証はない。そうなると四人の中から誰かということになるが、性質の近い人が二人いる以上、それを分けた方が得策であった。


「じゃあ霧峯、サポートを頼む。大丈夫だと思うんだが、攻撃なら霧峯の方がはるかに強い」


 私の申し入れに霧峯もうなずく。


「しかし博貴、瑞希の攻撃に集団性は一切いっさいありませんが、大丈夫でしょうか」

「ああ。むしろ心配なのはその集団性から抜け出した個体を確実に止める方だ。それなら、霧峯は適任だと思う」


 私の言葉に、一拍いっぱく置いてからうなずく。


「分かりました。では、ご武運を」


 内田は一瞥いちべつすると、ハバリートとの戦いから使い始めたコロンの剣を抜刀ばっとうし、敵陣の中へと飛び込んでいった。それに、山ノ井、渡会と続く。強力な攻撃こそ仕掛しかけていないものの、突破するには十分な攻撃であり、またたく間に雲霞うんかの中へと消えてゆく。それを見送ると、我に返って向かってくる敵の軍勢と対峙たいじした。


「で、この大軍をどうやって相手するの」

「まずは抑える。魚鱗ぎょりん陣」


 霧峯に言った通り、まずはおう型の防御陣形である魚鱗ぎょりんで敵の進攻を抑え込む。八列縦陣にて向かってくる衝力しょうりょくに特化した攻撃も、乱れてしまえばわずかな力で受け流すことができる。あとはその乱れてできたわずかな合間に斬り込んでいけば十分に攻めることができる。


活魚かつぎょ陣」


 七メートル先右翼にできた乱れに直線の光がり込んでゆく。それだけで、整列していた陣形は乱れ、レデトールの部隊が少し浮き足立つ。ただでさえ、内田たちがり込んでいった後である。この次は、という恐怖はそれだけで動揺どうようを誘うに十分であった。


 喊声かんせいの中に怒声が混じる。冬の闇はそれだけで阿鼻叫喚あびきょうかんを誘い出し、敵の混迷を深めてゆく。

 霧峯も負けてはいない。撃ちらした時のために、ということで残ってもらったのではあるが、活魚を打ち込んだ後は積極的に敵の側面へと回り込み、その陣形をき乱して回る。技令がからっきしの少女も、り込んでの物理戦ということになれば明らかに英雄の生き写しであった。

 必要であるのはここで抑えると同時に押し戻し、そのまま大将のところへと攻め上ることである。それは無言の内に私も霧峯も理解し意識を共有している。その証拠に、霧峯の攻撃は相手を動けなくするものではなく、逃がすものであり、潰走かいそうする敵には一切の危害きがいを加えてない。そうでない相手のみ戦闘力を奪い、その場より動けないようにする。


「霧峯、四時の方向、かわせ」

「分かった」

鶴翼かくよく陣」


 霧峯に警告すると同時に、頑強がんきょうに耐える一群へと攻撃を打ち込む。敵も相殺を試みるがそれを足元からぎ払う。覚えたての頃の自分であればとても対抗できなかったであろうが、技力の成長で十分に対抗できている。崩す。そして、四散を完全にするべく抜刀ばっとうしてり込んでゆく。

 その時、


「全てを消しつくす元始の光を。シャイン」


米神こめかみの脇を青白い光線がかすめた。


「霧峯、退け」


 混乱し、四散してゆくレデトール兵の中でただ一人、彫りの深い白人様の人物が悠然ゆうぜんと構えている。


「ほう、脳天を直接狙ったはずだが、技力だけでその方向をらすとは流石さすがの素養と言うべきか」

成程なるほど、奥の方に控えている強大な技令は陽動ということか」


 男からは先程まで感じられなかった強大な技令が感じられる。明らかに、先のハバリートと同格かそれ以上の力。奥に感じる力もそれと同等である以上、陽動の可能性は捨てきれなかった。


「陽動も何も、我々の目的は貴様らの殲滅せんめつ。それ以外にはない」


 男の周囲に再び技令が凝集ぎょうしゅうし始める。霧峯がけ寄ってくる。


「博貴、勝算はあるの」

「勝算はない。ただ、陽の技令の代表格である光技令を破るんだ。方法は一つしかない」


 意識を集中する。元々から得意な技令ではない以上、集中を要するのであるが、それと同時に少女の目の前でこの技令を放つのはいささか気が引ける感じがした。


「三元の光の下に事象の浄化を。三光」

「光も、闇も、混沌こんとんなる時の中へ。タイム・シェイカー」


 光を時間の壁でさえぎる。時間を操る少女の前でこの技令を放つのはいささか気が引ける感じがした。陽の技令を主とする私がこの技令を放ったところで、所詮しょせんまがい物に過ぎない。それでも、唯一ゆいいつの防御となる技令をり所にこの戦場に立つ。


「ほう、うわさでは陣形技令の使用者と聞いていたが、陰の技令にも精通しているとはな。技令素養の高さというのはこうしたところにも表れるということか」


 男が皮肉のこもった声で低くうなる。それだけで何かを看過かんかされたような悪寒おかんが走る。煌々こうこうたる光は容赦ようしゃなく膨大ぼうだいなるエネルギーとして襲いかかってくる。それを時間の壁と言う薄皮うすかわ一枚で防ぎきるのには限界がある。一点集中していればまだしも、拡散された力などでは万全に対抗するには不十分であった。


「全てを消しつくす元始の光を。シャイン」


 ゆえに、力負けした。力を集束させた光線が左肩を貫通かんつうする。深手であろうと、集中力だけは保つ。これが失われれば、拡散型の光技令に消耗しょうもうさせられ、その内に光線で致命傷を負う。特に、技令に弱い霧峯は一瞬であろう。

 相手もそれを理解しているのか、防御の主である私を狙う。拡散された光もそれを弱めることはない。


「博貴、大丈夫!?」

「とりあえず、大丈夫だ。ただ、レベルが違う。この前戦った相手と同格の相手だ」


 この前、と言っても霧峯はハバリートを知らない。しかし、私が知っている強者はハバリートしかいない。そして、霧峯はそれを的確に把握はあくする。


「博貴、私に……私に技令を教えて」

「ちょっ、ここでか」

「水無香ちゃんが言ってた。私は時間技令の素質があるって。だから、私なら、守り切れる」


 意志のこもった目。私をぐに見詰めるその目はなぜか、その奥底に強い悲しみを秘めている、そんな気がした。


「霧峯、集中するんだ。集中して、時間をイメージする。それが技令の力だ。後は、その想像が相手の想像を上回れば勝てる。それだけしかない」


 技令を覚えたての私には、それが精一杯の説明であった。具体性の全くない粗削あらけずりな一言。それでも、少女は目を閉じ、自分の中へと入り込んでゆく。


「想像が固まれば、言葉が浮かぶ。後はそれを口に出してスイッチにするだけだ」


 放たれる光線の軌道きどうを予測してそこに凝集した時間技令を置く。それで、十中八九を防ぎ、致命傷を抑える。ほおかすめようと、腕をかすめようとも構わない。ただ、後ろの少女とその少女をまもる盾だけは崩れぬよう意識を集中させる。


「光の交わりを仇敵きゅうてきへ。時をもおびやかす力を現世うつつよへ。キセル」

「全てを消しつくす元始の光を。シャイン」


 相手の一段上の光に猿真似さるまねの光で対抗する。完全相殺とまでは行かずとも、少しでも力を弱められれば時間技令と重なって相当程度まで力を抑えられる。

 それでも、全身が焼かれてゆくのが分かる。体力を一気に削られてゆく。攻めかかろうにも壁がなければ辿たどり着く前に光によって消されてしまう。もう少し広域に時間の壁を張れればいいのだが、生憎あいにくと引っ張り出してきたような技令を広範化するのは難しい。

 できるとすれば、後ろの少女以外にない。山ノ井を残せばまだ勝機もあったが、この状況ではいたし方ない。その少女はまだ、後ろで震えている。


「霧峯、素養があるなら一から考える必要もない。自分の世界に接続する。それだけで、十分だ」


 剣を構える。守っていても、戦う意志は捨てない。霧峯も目を開く。強大な光の技力を前に、ぐなひとみが意志を放つ。


「入り乱れる時の中へ人々の歴史を。時にあらがう人々の意志を。タイム・ウォー」


 開闢かいびゃく、共に展開。厳冬の下、少女の眠れる素質が覚醒かくせいする。先刻せんこくまで身をがしていた光は時間の壁にさえぎられて至らない。私よりも一段上の時間技令。


「な、に。光技令を完全に受け止める時間技令とは。そこな女はけ物か」

「これで、貴方あなたの技令は届かない。いさぎよく敵対行為を止めよ」

「ふん、この程度で戦いを止めるようであれば、我々はレデトールの戦士ではない。放たれよ我が血肉。真名まなリトアスの名の下に、血肉ちにくかい


 撃鉄が下りる。レデトール人の特性。戦闘専用の身体を持ち、それによって高度な戦いを成す。技令で勝てないことをさとったリトアスはその身を転じる。たちまち肉が隆起し、鋼鉄の肌が寒風にさらされる。

 内田の戻りも遅い。恐らく、同じ状況となったのであろう。


「良かろう。相手がけ物であるというのであれば、私もまたけ物となるだけだ」

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