(46)京の風雲
「でも、こうして見ると、京都って普通の大きな街だよね」
河原町通りを四人で下りながら、上着もマフラーも着けていない少女が弾むように声を上げる。方や水無香はいかにも寒そうにマフラーと手袋で確りと防寒し、目の前の太陽を傍観している。それに付き従う私も山ノ井も肩の力を抜いてはいるものの、良く知った土地という訳でもないため気を抜くようなことはない。山ノ井はいつもの学生服姿で規則正しく歩いており、その道の在り方に順応してしまっているが。
「ええ。京都市の中心部は政令指定都市として恥ずかしくない規模を誇っていまして、霧峯さんの仰るとおり、他の大都市と大きな差はありません。しかし、あまり高い建造物はなく、街並みと利便性が共存できるように取り組まれています」
観光案内にしてはやや小難しい話を、驚きの声を上げながら霧峯が聞く。ここまで素直な反応があれば話す方も楽しいだろうなと思っていると、水無香も同じ思いなのか少女を見て頷いている。
そのまま二十分ほどして五条に至り、五条大橋の方へと向かう。歩いてここまでというのは珍しいことなのかもしれないが、
「やっぱり、初めての街は歩いてみないと」
という少女の一言によってごく自然に決まった。
「瑞希の楽しさはどこからくるのでしょうね」
私に向けてであれば呆れたものになる口調も、霧峯に対してはひどく優しい。その優しさの一片でも私に向けてくれれば嬉しいのだが、という思いが僅かに沸いて静かに鴨川へと消える。
「あの五条大橋では、悲劇の英雄源義経が弁慶と出会い、斬りかかってきた弁慶を翻弄したという伝説が残っています」
「確かあれだろう、薙刀相手に橋の欄干を跳び回って翻弄したっていう」
「ええ。ですが、それは尋常小学校の唱歌の内容でして、実際には出会った場所も戦った中身も全く違うのではないかと言われています」
「だろうな。そんな橋の上で跳び回れるなんて、この中だと霧峯ぐらいだろ」
私の軽口に乗っかってきた霧峯が、私に司書の剣を揮うようにせがんでくる。天下の往来でそのようなことをしてしまえば、修学旅行どころか保護観察対象となってしまうため必死にそれをなだめすかしたのであるが。
「いずれにしましても、この京都で出会った運命の主従がやがて悲劇の渦の中心となっていくのですから、運命というのは分からないものですね」
山ノ井の言葉に、私も思わず頷いてしまう。
思えば、水無香も霧峯も一度は私に斬りかかってきたことのある相手だ。主従と言った関係では無論ないのであるが、今では二人とも私の日常の一部となっている。ただ、一個の英雄とはいえ、急に斬りかかってこられたのでは流石に困惑したのではなかろうかと思いを馳せるのは、あまりにも私自身に寄せ過ぎているだろうか。戯れに、童話を現に成した石像へと投げかけてみたが、その答えはない。ただ、冬の低い日差しを浴びて僅かに浮き上がるのみであった。
少しずつ勾配を増していく道を進みながら、やがて五条坂に入り、そこからさらに路地へと進むと次第に周りから高い建造物が失われ、道の先には朱の塔のみが象徴的に存在する。深い所へ入ってきたのだという感慨は、切れていく息によってかき消され、それを知ってか知らずか楽しそうに歩を進めていく少女に少し恨めしい視線を送るより他になかった。
「これ、本当に修学旅行なのか。実は長崎の延長でしたって言われても頷けるぞ」
「この勾配だけを見れば確かにそうですが、長崎に下に続く平地はありませんから」
山ノ井も表情や声を変えることこそないものの、少しだけ息継ぎの間隔が短くなっている。
「それにしても、こっちは裏道に近いものだろう、どうしてこっちを選んだんだ」
「それは、こちらの方が観光地の京都ではなく街並みの京都を感じられると思ったからですよ」
中学生にしてはやや年寄り染みた考えであるが、それに納得してしまった私も山ノ井と同じ感性なのだろう。そして、それに不平を一言も告げず目の前で弾む少女も、それを眩しそうに眺めている彼女もまた変わらないということか。
穏やかな街並みはやがて終わりを告げ、朱の鮮やかな門が出迎える。仁王門という名を木札が告げ、中に鎮座する木像が威容を以って私たちを迎える。
「うん、うん。こういうのも京都っぽくていいよね」
「どういうことだよ、その京都っぽいって」
「京都っぽいは、京都っぽいだよ」
私のからかいに、真正面から答える霧峯もまた笑っている。ただ、その語感の良さがどこか心地よくて、次々と現れる三重塔や経堂などを逐一カメラに収めていく。なんだかんだと言いながら、私もまたその京都っぽさとやらに絆されているのかもしれない。後に続く水無香は山ノ井の話を興味深そうに聞いている。知識欲の塊である二人はこうした場に来ると酷く気が合うのだろう。
少女は周りに笑顔を振りまきながら、私たちを手招きするように進む。それはどこか幻想的で、異郷という舞台も相俟ってどこか現実感に乏しく感じてしまう。やがてその導きのままに本堂へと至り、そこで拝観料を納める。
「地獄の沙汰も天国への切符も金次第、ということか」
「三途の川を渡るにも六文銭が要るという伝承もありますから、そういうことなのでしょう」
山ノ井と不謹慎な会話をしながら中へ進むと一陣冷たい風が通り僅かに震える。そのようなことも構わず、少女はどんどん先へと進み、私も追いかけるように従う。やがて眼前に開けた冬の景色は私の足元から確かさを奪い、枯れた草木の物言わぬ様が思わぬ躊躇いを生じさせた。
「ねぇ、すごいよ。来て来て」
迷わず欄干の方へと向かっていく少女の姿に、私も慌てて駆ける。まわりの観光客も驚いた顔をしているが、弾む足取りは速足でも追いつくのが難しい。仕方なく軽く駆け足となるが、霧峯の方も足が早くなっている。
「ほら、危ないだろ。他のお客さんにも迷惑だし」
息を少し切らしながら、やっとのことで少女の左腕を掴む。
「あんまりはしゃぎすぎるなよ」
「あはは、ごめん、ごめん。でも、すっごく景色が良かったから」
「ったく、落ちたらどうするつもりなんだ」
「さすがにそこまではしゃいでないよ」
「どうだかな」
ふと、少し離れたところを見てみると、同じ制服を着た一群が何やらこちらを見て笑っている。何がおかしいのだろうかと見下ろしてみると、確りと少女の細腕を握り締める手。慌てて離してみてももう遅く、向こうに並ぶ顔が笑顔ではなくにやつきだと気付いて顔が熱くなる。一方の霧峯も不思議そうに私を見ているのだが、恐らく視線に気付いていないのだろう。伝えてみてもいいのだが、それで反応されて火に油を注ぐ結果となってしまってはどうしようもない。全てを飲み下し、改めて何事もないかのような表情を顔に貼り付ける。
吹きさらしの木の目の上に立つとそれだけで少し心細く感じられる。ここで敵襲を受けて飛び降りる羽目になれば気が持つのだろうかと思ってしまう。言ってしまえば母さんから漫画の見過ぎと笑われてしまいそうではあるが、私にとっては切実な問題でもあった。
ただ、今は何も異様な気配もなければ大きな情報もない。ごく平和的にこの絶景を見ることができるというのは、何と贅沢なことなのだろうか。
「あ、優しい顔してる」
不意の霧峯の一言に、再び顔が熱くなる。
「でも、ほんとによかった。こうして、みんなで一緒にこんな景色が見られて」
また跳ねだしそうに弾む少女の声が、どこか胸の底に響くような気がする。こうして穏やかに過ごせることが酷く貴重で尊いもののようになってしまったのがどこか寂しい気もするのであるが、必ずしも悪いことばかりではない。隣で笑顔を切らさぬ少女を盗み見るとそうした感情で胸が一杯となる。
「たまには、悪いことの一つでもしてきたらいい」
大森先生の言葉が反芻され、一度だけ首を振る。別に悪いことをしなくとも、十分に刺激的ではないか。
「そうだな。いつどうなってもおかしくなかった日常の中で、こうして一緒にここまで来られたんだから、奇跡みたいな話だよな」
「うん。博貴と山ノ井君と水無香ちゃんと、ちょっと寒いけど、色々たまたまが重なって一緒に来れたんだもん。嬉しくってはしゃぎすぎちゃった」
「まあ、気持ちは分かるけどな。でも、人目もあるんだから少しは落ち着いてくれよ」
はにかむ少女に午後の冬日が差す。トレードマークの黄色いリボンが僅かに揺れる。そのいずれもが奇跡の結晶に見え、そのいずれもが堪らなく眩しかった。
徐にデジカメを取り出して、眼前に広がるものを電子の記憶に留める。そこで初めて、まだ残る二人が舞台に立っていないことに気が付いた。見れば山ノ井と内田は穏やかな表情で何やら話をしている。
「おーい、二人とも何話してんだ」
「ねーねー、一緒にこっちに来て見ようよー」
二人での呼びかけに、苦笑を浮かべた二人は静かにこちらへと歩みを進める。途中で山ノ井が一つ微笑みかけてきたように見えたが、何やら楽しいことでもあったらしい。水無香もいつにも増して機嫌がよさそうだ。
「やはり素晴らしい景色というのは、知識を上回りますね」
「ええ、瑞希を童心に返すほどには美しい眺めですね」
水無香の言葉に、霧峯が少し顔を赤らめる。流石に、羞恥という二文字が少女にも浮かんだのであろう。
「ねえ、よかったら、四人で写真撮ってもらおう」
決まりの悪さを楽しい提案で覆した少女に賛同し、私達は近くにいた老女に頼んで四人の思い出をカメラに収めた。
境内をひとしきり堪能した私達は四時を前にして清水寺を発ち、そのまま清水坂から松原通りを進んでいく。途中、力餅の名を冠した食堂を見つけた霧峯が興味津々で眺めていたのが印象的であったが、よもや夕暮れの近づく中で立ち寄るわけにもいかず、そのまま鴨川の方へと進んでいく。
「でも、京都って細い道多いんだね」
「ええ。闇討ちでもありそうと思うのは、時代劇の見過ぎなのかもしれませんが」
水無香が珍しく軽口を叩く。ただ、これが引き金になったのかもしれない。
西福寺は子育て地蔵を前にして、不意に技令の鋭い気配が走る。身構えようと司書の剣を手にした瞬間、私の身体は光に包まれる。
「離れろ。円柱ぎ……」
霧峯を突き飛ばしたと同時に発動した技令は、言い終わるよりも先にその正体を現す。私の中に在る技力が次々と光に変換され、意識が持っていかれそうになる。何かを、踏んだ。そう確信してもすでに遅く、ただ、地蔵堂の裏に何らかの技令士の気配を得る。
「地蔵堂の、向こうだ」
私の言葉に、頷くよりも早く水無香と山ノ井が駆ける。光の終息後に霧峯が駆け寄り、私はその場に蹲る。
遠くでなく烏の声が風雲急を告げ、耐えがたい頭痛が後に続いた。
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