(35)崩落
翌朝、いつものようにいつもの面子が図書室に集まっていたのであるが、登校時間も終わりを迎える
「おい、なんか、内田がえらく上機嫌だけどよ、なんかあったか」
渡会が珍しく小声で耳打ちしてきた。
「霧峯が楽しそうなのはいつものことだけどよ、鼻歌歌いそうなぐらい、機嫌よくねぇか」
「そうなのか。いつもと変わらない気がするんだが」
「はぁ、そんなわけねぇだろ。見てみろよ、いつもより目つきが鋭くねぇ。俺がさっき本棚倒してやらかしたばかりだぜ。いつもなら、ゴミでも見るような目をするはずだ」
それはどんな目なんだと思わず突っ込んだところ、渡会の真似に思わず
確かに、彼女に対して突拍子もないことを言ったときに見せる
「だろ。ありゃ何かいいことがあった後だぜ」
「でも、内田はそんなに外で表情変えないだろ」
「おめぇ、いつも一緒にいるからって、少しニブくねぇか。前の内田なら分かるけどよ、最近の内田はあんま閉じこもってる感じじゃねえよ。かなり素を出すようになってんぜ」
「いやいや、あれでも相当隠してるぞ」
「それでもよ、変わったのはほんとだぜ。おめえも変わったけどよ」
渡会が不敵に笑う。
「変わった、って」
「おめぇ、女子とはあんま話したりしなかっただろ。でも、今じゃ内田や霧峯だけじゃなくて、クラスの女子とかとも話せるようになったじゃねぇか。気付いてなかったかもしれねぇけどな」
そんなこと、と言いながらも歯切れは悪くなってしまう。
言われてみれば、日常で女子と話す回数が増えたのは確かである。
この前の阿良川とのやり取りやエミリーとのやり取りも中学生になったばかりの私からすれば、全く思いもよらないことである。
渡会の言う通り、ほかの女子と話す機会も少しずつではあるが増えつつある。
「おめぇ、変なとこよく見てんな、ってお思ってたけど、結構見えてないんだな」
そう言って笑う渡会と共にチャイムが鳴る。
今日はその響きが少しばかり恨めしかった。
昼休み、いつもは何かと用があって一緒に食べていた霧峯も内田も揃って英会話教室へと出ていた。
「昨日、エミリーちゃんとカルビン先生にチョコあげたら、お昼をいっしょに食べることになったんだ」
この一言を聞いた内田は溜息と共に一緒に行くと、霧峯についていったのであるが、図書部の当番もあったため私は残ることにした。
つい先日まで命を狙ってきていた相手とよくもまあ、と思ってしまったが、私も霧峯や内田との一件があったため口にすることは憚られた。
何かがあったとしても内田がいればなんだかんだと問題は避けられるであろうし、あの戦いの後は特段波風が立つこともなかったので楽観視していいだろう。
教室に残された私はそのようなことを考えながら、ぼんやりと弁当に手をかけた。
それにしても、今朝のことを思い返すと自分がいかに盲目的であったのだろうかと思ってしまう。
いつも弁当に入れている玉子焼きの味が日々少しずつ異なるように、見る人が見れば確かに私も内田も変化からは逃れていなかったのである。
決して、変わることを恐れているわけではない。
ただ、それに気付けなかった自分に恥じただけである。
「ご一緒しても、よろしいですか」
そうしたことを考えていると、山ノ井が弁当を持って目の前に現れた。
内田が来る前には時にあった光景が蘇り、何の気なしにそれに応じた。
山ノ井が内田の席をこちらに向け、弁当を広げる。
両手を合わせて
この一連の
そして、折り目正しく盛り付けられた中から煮付けられた
変わることのない彼の食べる姿に、私は思わず嘆息を吐いた。
「どうかされましたか」
私が
「いや、朝から渡会と話してたんだが、内田ってそんなに変わったかな、と思ってな」
私の一言に、山ノ井は箸を置き、水筒の蓋に注がれたお茶に口をつける。
「変わったか、と尋ねられますと、変わられたのは確かではないでしょうか。図書部の常任委員長としてはしっかりと仕事を覚えていただいたところが一番大きいのですが、以前よりも良くお話をされるようになったと思います。最初の頃は質問と
穏やかな山ノ井の表情に対して、話の
内田の前で変なことはあまりしていないはずではあるが、それはそれ。呆れられることは多々ある私の愚痴を山ノ井が聞かされている可能性は否定できない。
「どんな話が出てきたんだ」
「それは――秘密にしておきましょう」
くすりとした山ノ井からの一言に、よからぬ予感が増幅していく。
「ただ、二条里君のことはよくご覧になっているようですよ」
「あー、そりゃどうも」
そう言って箸をつけた鶏肉ががりっという音を立てる。
全く、泣きっ面に蜂とでも言うべきだろうか。
「それに、笑顔を見せることも多くなられたように思いますよ」
「え、そうなのか」
「いろいろと話をされながら、穏やかに微笑まれることが多いですよ。二条里君が顔を逸らした合間などに多いのかもしれませんが」
「うーん、あまり実感がないんだけどな」
互いに箸を進めながら話していくが、どうにも、
「二条里君も、意外と内田さんのことが見えていなかったんですね」
という山ノ井にしては珍しく斬りつけるような一言に私の感覚は集約されていたように思う。
その斬りつけるような一言を告げた当人は、穏やかに微笑んでいる。
それは静かに降る早春の雨の薄暗さとは対照的で、だからこそ、そこに救いがあるように感じられた。
「しかし、よくよく考えてみると、内田と組むことが多かったから山ノ井も気がけてくれていたんだな」
「ええ。では、余計なことかもしれませんが」
不意に、冷たい風が吹く。
インフルエンザの予防で誰かが開けたのだろうか。
いつの間にか空いた互いの弁当箱に浮いた脂が凍えるように白く固まる。
周りの喧騒は何事もなく淡々と続き、外の雨は止む気配を見せようともしない。
そして、目の前の山ノ井はいつものように穏やかな表情を浮かべつつ、私を遠く見据えるように告げた。
「彼女は、君のことが好きなのではないでしょうか」
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