何もない日常が好きな図書室の少年は美少女に襲われ英雄を騙られ世界を護るために戦うⅡ

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

(00)正月の夜に~苦しみの始まりを振り返って

 正月の夜というのは、どこか長閑でどこか神聖な雰囲気があるが、そうした中で自室の炬燵にノートを広げていると自分が何か特別なものを書いているような気がしてくる。

 実際にはただ日記を付けているだけであり、特別なことは何もない。

 平凡に夜が明け、平凡に日が暮れる。

 それを書くのが私の本来のあるべき姿なのであるが、そうでなくなったあの日から、私はこれを日課にしている。

 書きながら去年のことを振り返ってみると、改めて溜息しか出ないことが分かる。


 二〇〇一年九月十一日、アメリカはニューヨークのワールドトレードセンタービルへの航空機突入を皮切りに、アメリカ同時多発テロが起きた。

 あの日に覚えた戦争への危機感は現実のものとなり、今ではアフガニスタンでの戦闘が続いている。

 ただ、問題はあの日に見た妙に現実的な夢であり、あの日から私の現実はどこか歯車がずれてしまったように思う。


 まず、それから六日ほどして内田に襲われた。

 転校生としてやってきたその日の放課後に、学校近くの社に呼び出されて急襲されるという、日常では考えられない出来事を突き付けられた。

 突き付けられた剣は鋭く、とても生きて帰れぬと思ったものだが、無意識に発動した陣形じんけい技令ぎれいによって助かった。

 あの日、精神に呼応して幻想を現実にする技令と肉体を強化してその能力を高める体則たいそくという能力があることを知り、その世界に引きずり込まれることとなった。

 その引きずり込んだ主犯は後に我が家で居候することとなり、今は母さんとおせちを食べながらテレビを見ている内田うちだ水無香みなかであり、頼りになるときもあれば時に見せる猪突猛進に悩まされている。


 この事件の後、初めて怪異と立ち向かったのは巨大化した岩波先生と対峙した時である。

 あの日も不意に発動した陣形技令によって助かったが、あの日から岩波先生は消えたままである。

 そして、辻杜先生の正体を知った。

 委員会活動である図書部の責任者であり、卓球部の顧問であり、煙草ばかり吸っていつも黒いジャンパーを着たどこにでもいる先生は、卓越した体則師として君臨していたのである。

 その先生から、下に就けと言われた。

 それを承諾したのは圧倒的な先生の力を感じたからでもあったが、

「先生、何が相手で何を目的とするのですか」

「敵はただ、安寧を崩す者達。目的は平和。そう、言うなれば――何気ない日常を守るために戦うだけだ」

という言葉に共感したからでもあった。


 その後「何気ない日常を守る」力を得るために、技令の世界の管理者である「司書」になるべく司書の塔に挑んだ。

 兼良、長髪の少女の影、地獄の戦場という三つの課題を解いた後に司書となったのだが、その時、内田の一族がレデトール人の手で皆殺しにされていたことを知った。

 レデトールは地球外の生命体が存在する星で、高い技力と体則を以て地球に侵攻している。

 その姿は人間と差がないものの、肉体に埋め込んだ強化体に魂を移すことでより強大な力を持って戦うことができる人もいる。

 そうした相手の魔の手から逃れた内田がこの地に至ったのも不思議な話であるが、司書の塔の戦いの後で母親と交流のあったという母さんの手によって、強引に我が家に住まうこととなった。

 今ではそれも日常の一部となっているが、同い年の異性と一つ屋根の下というのは最初、困惑と緊張が支配するものであった。

 今でも、風呂やトイレの際には内田と鉢合わせにならないよう気を付けている。

 万一、彼女のあられもない姿を目にしてしまえば、理性を保てる自信がないからだ。


 ふと、日記を追っていた目を正面に向けると、そこには寝間着姿の内田の姿。

 視線がどこか定まっておらず、明らかに紅潮している。


「お、おい、ノックぐらい」

「博貴、一緒に飲みましょうよー」


 ドアを荒々しく閉じた内田は、炬燵に乗り上げ、そのまま、真正面から私に倒れ込んでくる。

 衝撃と共に、彼女の柔らかな体がのしかかり、その腕が私の背に回される。


「ちょ、内田、何を」

「えへへー、あったかいですねー」

「おま、完全に酔ってるだろ、何飲んだんだ」


 甘いシャンプーの香りに混ざって、吐息から酒の匂いがする。

 その香りと彼女の感触とに苛まれ、私の中でただならぬものが湧き上がってこようとする。


「何って、お屠蘇ですよー、お、と、そ。博貴もお昼に飲んでたじゃないですかー」

「いや、確かにそうなんだけど。でも、酔うほどの量じゃないし、それに昼間もさっきも飲んでなかったじゃないか」

「んー、お母さんに勧められて飲んでみたんですよー。新年行事はやりなさいー、って」

「いや、だからって、飲み過ぎは駄目だろう」

「そんなに飲んでないですよー。おちょこ二杯ですー」

「そ、それだけでそんなに……。か、母さんに付き合ってもらえよ」

「お母さんなら寝ちゃいましたー」


 ああ、と天井を仰ぐ。

 薄い布越しに胸元に当たる柔らかい感触が理性を奪おうとする。


「と、とにかく、これ以上お屠蘇を飲むのは禁止」

「もー、博貴は、固すぎですよー」

「固くなんかなってない!」


 一先ず、彼女の腕を振り払い、傍のベッドにもたれかからせる。

 しかし、すぐに私の背にまとわりつくと、胸元へと腕を絡めてくる。


「ん-、日記を付けてたんですねー。私にも読ませてくださいよー」

「分かったから抱きつくな」

「あー、ありましたねー、おくんちー。あの後、文庫本騒ぎがあったんですよねー」


 完全に自我を失っている内田にひとつ諦めの溜息を吐く。

 十月、県立図書館の文庫本に傀儡技令が仕込まれ、それによって一年生の女子と同じく図書部である水上みながみとに襲われるという事件があった。

 それを何とか内田と二人で解決したのであるが、そこから私と図書部との関係が大きく変わっていく。


「ああ、そうだったな。そして、渡会わたらいとの試合と回復技令を覚えたのはその後の十一月だった」

「色彩法ですねー。技令の天敵に技令の塊をぶつけるなんて、さすが博貴ですー」

「褒めてくれるのは嬉しいんだが、頬をすりすりするのを止めてくれ」

「いやですぅ。えへへー、博貴大きいですねー」

「だから、大きくなんかなってない!」

「そんなことないですよー。博貴の背中、おっきいです。あ、あの雨澄とか言う人もいましたね。次に挑んできた時は絶対に許しませんよー」


 同じ学年で人気のある雨澄あますみ若菜わかなと戦ったのは、渡会との闘いの数日前であった。

 風邪で寝込んでいた内田を戦わせてはならないと、一人で挑んだ戦いは結果として祭壇技令を時間技令で破ることで終わりを告げた。

 あの時、英雄の技令とされる陣形技令をはじめとする五大技令を全て修めたのであるが、未だにどうした理由でこのようになってしまったのかがよく分からないでいる。

 そして、いやに内田が雨澄のことを目の敵にしているのも気にかかる。


「そんなのー、博貴を襲ったからでーす」

「な、人の思考を読むな」

「読まなくても博貴の顔に言いたいことが書いてありますよーだ」


 内田の言葉に、さらに頬が赤くなるのを感じる。


「ったく。で、この後に内田が司書の剣に支配されたのとハバリート戦とがあったんだよな。全く、濃い十二月だったよ」

「博貴やみんなのおかげですねー。お礼、いっぱいしないとですー」

「まあ、あの時は必死だったから、そんなこと考えもしなかったけどな」


 一族の仇であるレデトール人の指揮官、グリセリーナ・ハバリートを前に怒りに支配された内田は、それによって司書の剣の支配をうけることになった。

 迫る強敵と傀儡の仲間を同時に相手としながら、何とか生き残ることができたのは山ノ井やまのい土柄つちのえなどの仲間がいたおかげである。

 死闘、というのはまさにああしたことを指すのかという戦いは、未だに私に恐怖を残している。


「博貴ー、怖いんですかー?」

「ああ。なんだかんだ言っても、相手を殺す、というのは怖い。おかしいよな。戦うっていうのは、命のやり取りをするっていうことのはずなんだけどな」

「良いんですよー。優しいのが博貴のいいところなんですから―」


 酔った内田はこうも素直になるのか、それとも酔って何を言っているのか分かっていないのか。

 熱くなった左の頬をひとかきして、照れた自分をごまかそうとする。


「でも、そんなにこわいならー。んー……おまじないしますよー」

「そんな技令が、って、内田?」


 強い力で、体の向きを変えさせられる。


「な、何を?」

「このまえー、ほんでー、よんだんですよぉ……。きすがぁ、おまじない、て」


 ゆっくりと近付く内田。

 跳ね上がる鼓動。

 払おうとした途端に押し倒され、覆い被さられる。


「いや、じょ、冗談だよ、な?」

「え、へ、へー」


 五十センチ――抵抗しようという思いが内田の瞳によって封じられる。

 四十センチ――電灯がはるか遠くに感じる。

 三十センチ――彼女が目を閉じる。少し尖った唇の艶が眩しい。

 二五センチ――激しく波打つ心臓が五月蠅い。

 二十センチ――思わず目を閉じる。彼女の甘い香りに眩暈がした。


 重なる。


「ん-……。ぅん……。すー、すー」


 重なった彼女の身体は、しかし、顔は僅かに逸れて、私の耳元で寝息を立てている。

 心臓の鼓動は落ち着かず、男としての主張は激しくなっている。


「……ま、まあ、良かった……のか?」


 そのまま五分ほど呆然とした後、内田を部屋に寝かせ、私も自室に籠る。

 今日の日記に、内田を酔わせてはいけないと書き加え、悶々とするものを抱えながら深夜の二時に眠りに就いた。


 翌朝、いつも通り澄ました顔で挨拶する彼女に、私はぎこちなく応えるのが精一杯であった。


※本作品はフィクションです。お酒は20歳になってから。お屠蘇もアルコールが入っていますので、ご注意を。

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