(55)重ね合わせ

 週が明け、校内は二つの異様な空気に包まれた。

 一つには公立高校受験を前にした先輩達の追い込みであり、それに釣られた一部の下級生が浮足立っているに過ぎない。

 他愛もない日常である。


 もう一つの異様は、辻杜先生による「戒厳令」であった。


 京都から戻ってすぐ、辻杜先生は部員を招集して奇襲に注意するよう注意喚起をした。

 帰宅しようとしていた後輩も含めてであるからその効果は抜群であったと言えよう。


「俺が京都に行っている間に、西彼で技令の乱れが感知された。すでに調査は始まっているが、前回は直後にあの大規模襲撃があった。いつでも出られるようにしておけ。そして、いつ襲われてもいいように用心だけはしておけ」


 併せてヨーロッパ自由平和連合と名乗る一団の話も周知されることになり、京都での襲撃の経過をつぶさに説明させられることとなった。

 失敗談に近いものであるため、そこは山ノ井に助けを求めたのであるが、肝心の円柱技令の部分は実際に受けたのが私だけであったことから逃れられなかったのである。

 まあ、その分後輩たちの危機感を強められたというのであれば悪くなかったのであるが。


 その一方で、霧峯の月光技令習得に向けたものに併せて、渡会の特訓も始まった。

 これは辻杜先生の指示によるものであるが、


「どうにも渡会は能力に頼り過ぎていかん。技能を磨いてその先を目指せ」


という一言の下、渡会の能力を圧倒しつつある山ノ井に加え、水上の召喚体と水無香の雷技令とが組み合わされることとなった。


「ったく、無茶が過ぎるぜ。いくら俺でも、こんなの防ぎようがねーよ」


 渡会の言には一理あり、対技令の特訓というのに水無香が情け容赦なく剣で斬り込んでくるのである。

 ただでさえ召喚体に惑わされつつ、技令の偏りの少ない山ノ井と接触までの間が少ない雷技令を相手にしているのである。

 傍で見守る私でさえ震え上がらざるを得なかった。


 私の方はと言えば、出力調整に苦戦しつつも少女が陰の技令を練る様子を観察しつつ指導するというこれまた重荷を背負わされていた。

 出力の調整自体は蛇口を捻るようなものなのであるが、これを程よくするというのは思いの外難しい。

 少しでも緩め過ぎれば少女を焼いてしまいかねず、締め過ぎれば陰の気に負けてしまって月光技令習得の道が閉ざされてしまう。


 加えて、霧峯と向かい合う必要がある。


 距離は一メートルほど空いているのだが、それにしても十分に近い。

 手を伸ばせば届きそうな程であり、しかもその様子をつぶさに観察しなければならない。

 瞼を閉じ、真剣な表情を崩さない少女の顔を拝みながら平静を保つというのは何とも難しい。


「だいじょうぶ、博貴の技令なら」


 加えてこの信頼の乗った一言である。

 微かに漂う甘い香りに気を取られているような場合ではない。


 結界によって人払いされた例の社は、いつものように張りつめた空気で満たされており、それを偽りの陽光で塗り替えていく。

 繰り返すこと四日目、霧峯は月光技令習得に至った。


「迷い人に明るい道を、闇夜に仄かな輝きを。ライトムーン」


 薄く敷かれた夜の闇を、温かな黄白色が退ける。

 全てを喰らい尽くすような日光に比べて、そのまま引き込まれるような力がある。


「成功しましたね、瑞希。ですが、月光技令には魅了状態を引き起こす作用が僅かながらにあります。無暗に発動し続けるのは避けた方がいいでしょう」


 水無香の言葉で我に返る。

 危うく状態異常を貰うところだったのかもしれない。

 そのようなことを恍惚と考えていると、轟音と共に渡会の影が宙を舞った。




 翌日の夜、再び配られた携帯電話に呼び出され、私達は家を抜け出して中学校に集合した。


『急襲、集合せよ』


 簡潔なそのメールに搔き立てられた危機感は、各自の顔に浮かび上がっている。

 特に、後輩にその色は濃い。

 その中で、いつも通りの笑みを崩さない山ノ井と不敵な笑みを浮かべる渡会は少々目立つ。


「遅い時間に悪いが、広域展開が必要になった」


 夜になると未だ厳しい冷え込みの中、ジャンパー共々闇に溶け込む辻杜先生の声が凛と響き渡った。


 現状としては、福田、時津、川平の三方面から百人程度の敵の部隊がこちらに向けて進行中とのことである。

 その一方で県境にも敵部隊が展開しており、こちらの方が規模が大きく先んじていたため、主だった技令士はそちらに向かったという。


「そこでだ、こちらは部隊を三つに分ける。一つは福田方面からの攻撃に備えて渡会を隊長に十人。二つ目は時津、川平の両方面を押さえるべく内田を隊長に二十人。最後に、どのような状況になっても対応できるよう霧峯を隊長に九人。夜明けまでに決着させる」


 簡潔に伝えられた概要では、相手の行軍の遅い福田方面はこちらが先制攻撃を行い制圧を図り、行軍速度が比較的早い二方面は大橋近辺で待ち受けて叩くという作戦である。

 その一方で、私が従う霧峯の隊は浜町近辺で待機し、何かがあれば急行する手筈となっている。

 学期初めの召喚獣騒ぎに似た配置であるが、今回は遊軍にもかかわらず人数が多い。


「全く。また二条里先輩と一緒なんですか」


 そして、憎まれ口を叩きながらもいざという時には指揮を任せられる阿良川がついたのも大きい。

 これだけで即応力が増す。

 それ以外も以前の模擬戦の編成を主軸としているため色々と計算しやすい。

 思えば、先生は既にこうした事態を想定していたのかもしれない。


 先発した二隊を見送ってから、私達も三組に別れて決めた場所に向かう。

 戦術的には大きな意味のない行動であったが、この時間に中学生の一団が大手を振って歩く訳にはいかない。

 賑橋の近くで分散して待機し、事が起きれば集まって動くようにしていた。


 急な坂を駆け下り、深夜のアーケードを進む。

 見慣れた看板も夜の闇に濡れ、艶やかな姿を見せる。

 それは、子供には禁忌の味がする大人の世界なのかもしれない。


「ねぇ、あそこ」


 そのようなことを考えていると、私の袖を引っ張った霧峯が向こうを指差す。

 見れば、その先には大丸デパートを前にした人だかり。

 その中心には背の高い、白髪交じりの男性の姿があった。


「うん、どこかで見たことあるような」

「あの人、プッシュさんだよ、お笑い芸人の」


 はしゃぐ霧峯の声に、薄っすらと記憶が浮かび上がってくる。

 そう言えば、今のアメリカ大統領の物まねをするとかで、最近よくテレビで見かけるような気がする。

 喋っているのは完全に日本語なのであるが、確かに顔はよく似ている。


「そうか、長崎に来てたんだな」

「そうみたい。あー、夜中じゃなかったもっと近くで見れるのに」


 速足で進みながら、霧峯が悔しそうな顔を浮かべる。

 どうやら、プッシュは芸人と気付かれて二十三人に囲まれ、そこでネタを披露しているようであった。


「おお、プレッツェルを喉に詰まらせてしまった、こんなところに大統領破壊兵器があったなんて。悪の枢軸に加えなければ」


 張りのある声で、なかなかに皮肉の利いた芸をすると感心しながら前を通る。

 横目でその顔を追うが、なぜだかどこかで会ったような気がしてくる。

 テレビで見かけすぎているせいだろうとも思うのだが、違和感を拭いきれない。


 それに加えて、耳の奥で何かが響くような気がする。

 刻み込まれた何かが揺れるように繰り返されるそれは、アーケードを抜けるまで続いた。


「博貴、何か難しい顔してるけど、何かあったの」


 銕橋の真ん中で、霧峯が心配そうに訊ねてくる。

 こういう時の勘の鋭さというか観察力というかは、流石に一級品だ。

 とはいえ、戦いのことでもないのに、いたずらに不安を煽るのも良くない。

 努めて肩の力を抜くように息を吐いてから、少女に答えた。


「いや、多分テレビで見過ぎたせいだと思うんだが、どこかで会ったことがあるような気がしてな」

「あー、そういうのってあるよね。実はほんとに会ってたりして」

「いや、まさか。直接会ってるなら、流石に覚えてるさ、きっと。背も高いし、顔立ちも印象的だからな」


 笑いながら言うものの、実際にはそこまでの自信はない。

 元々、人の顔を覚えるのは苦手な方であり、道案内したぐらいであれば全く覚えていないだろう。


「でも、私もちょっと引っかかるんだよね。っていうか、プッシュさんが引っかかったのかな、私たちの方に何度か目を向けてたから」


 全く、この少女はどこまで観察しているのか読めたものではない。

 だが、それと同時に霧峯の言うことが『真実』であるとするならば、少しばかり気にかけておくべきであろう。


「ま、何かあればそのうち思い出すだろう。それより、この寒さはきついな。昼間は少しましになってきたんだが」

「春までもうちょっとあるもんね。でも、動いてたらそんなに寒くないよ」


 凍てつく橋の上で無邪気に舞う少女の姿に、思わず笑みが零れる。

 ネオンの灯りに星たちが逃げる夜の幕の中で、鎮座する裸婦像に笑われたような気がして少し恥ずかしかった。

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