第30話 DESSIN

 那智は街灯の下に車を横付けすると、インターホンを押した。FRP製の虎の瞳をのぞきこむ。

「この中に暗視カメラが?」

 一見普通の瞳にしか見えないが、この位置なら怪盗村正の様子も映っていただろう。

「やあ……どうぞ」

 蛍は咳払いすると、那智をリビングへ通した。

「先生、何だか笑いを堪えてませんか?」

「…ふ、ふははは。いや、すまない。本当に村正に会えるとは思わなかったんだよ」

「ひどぃ。この格好で運転して来たんですよ」

 那智は今日、レオタードに紫の巻きスカートという出で立ちである。

「ありがとう。いや、本当に美しいよ」

「信じられません」

「本当だよ。那智、プライベートは名前で呼んでくれないか?」

「えっ」

「でないと、仕事の延長みたいで嫌だろう?」

 蛍はシャンパンのグラスをS字ラックに置いた。


「私、来世でって言いませんでした?」

「言ってたっけな。ところで碁笥の中に、コレが入っていた。君かな?」

「あっ! それは違います」

「違うの?」

「いえ、私の物ですが、断じて愛の告白ではないです」

「違うの?」

「はい。これはですね、ミックさんから貰った母の形見で探していたんです。ここで落としていたのかぁ」

 対局中に指から抜け落ちたのだろうか、気づかなかった。

「……本当に?」

「本当ですってば!」


 蛍はがっくりと肩を落とした。

「僕は君の事が好きなんだけど、君はどう?」

 堪らなくなって尋ねる。

「好きですよ」

「どれくらい?」

「さあ。程度を聞くなんて、何だか女々しいですよ」

「めっ、女々しい……」

 蛍はぐずぐずと泣き真似をする。

「坂口さん言ってましたよ。先生の碁のスタイルが好きだって。私も同感です。女々しい先生は好みじゃないです」


「そうかい?」

 蛍は那智の正面に立つと、彼女の腰に手を回して引き寄せた。

「きゃっ」

「……時間外は、敬語もなしだ」

 抱き締める腕に力を込めると、紫色の巻きスカートがはらりと落ちる。

「先生、スカートが……」

「蛍だ」

「蛍、スカートが落ちたの。離して」

 那智は蛍の胸に顔をうずめた状態で訴えた。

「嫌だ。もう暫くこうしていたい」


 暫くそうしていて、蛍はやっとの事で那智を解放した。スカートを拾うと、蛍はその手を掴んだ。

「そのままでいいさ」

「本当にデッサンするの? 私は描きませんよ」

「ああ、君を描きたい」

「じゃあ20分だけあげます」

「短すぎるよ」

 蛍は苦笑するとスケッチブックをと鉛筆を本当に出してきた。

「よく描くんですか?」

「じっとして……たまにね」

 彼はリビングの椅子を持ってくると、黙々と描き始めた。



「やっぱり完成しないよ。来週もレオタードで来てくれ」

「デッサンを見せてくれたら、良いわ」

 那智は口元を緩めて言った。

「嫌だ。実は下手の横好きでね。だから碁の道へ」

 蛍はぽりぽりと頬を掻いた。

「モデルには見る権利があるわ」

 彼女はスケッチブックをむんずと掴んだ。

「や、やめてくれ」

 二人は揉み合う内に、絨毯にひっくり返った。蛍は那智の上にまたがると、両手を押さえつけた。

「いたぁ、お尻を打撲しました。責任とってデッサンを見せてください。今までの絵も見てみたいわ。それから……」

「ok。完成した暁には見せるから、今日は勘弁してくれ」

 そう言って蛍はゆっくりと彼女の唇を塞いだ。









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