第15話 権之助の作業場
那智は滝と別れると、駅前の菓子店に寄った。
「こんにちは、おばさま」
「あら、那智ちゃん。最近来なかったけれど、ダイエット?」
ショーウインドウの向こうの三角巾の中年女性が上品に笑う。
「まあ、そんなとこです」
「駄目よ。それ以上痩せたら、お胸がまな板よ」
「ひどぃ、おばさまったら」
「ふふ。本当にお年頃なんだから気を付けなさいよ。少し前に那智ちゃんをたずねて変な男が来たわ」
そう言いながら女性は那智の注文したチョコレートと保冷剤を箱に詰めた。
「変な?」
「銀縁の眼鏡のひょろりとした男。優男を気取ってたけれど、見え見えの嘘で連絡先を聞こうとしたの。偽の名刺まで持ってたわ」
「そう……ですか」
あの人はこんなところまで探しに来てくれていたのか。
「あれ、知り合いだった?」
「ううん。知らないひと」
「良かった。また来ても追い払うから安心して」
那智はお礼を言って店を出ると、水色の木製ベンチに腰かけた。
チョコを一粒口に入れると、甘い香りが口いっぱいに広がる。アーモンドを噛み砕くと、ほろ苦い芳ばしさが入り混じった。
「先生……」
呟きは蝉の声にかき消され、周囲に聞こえることはなかった。
那智は帰宅すると仏壇に手を合わせ、睡蓮の絵を見た。彼女にはある疑問があった。そもそも両親は、どうやって未発表の絵の在りかを知ったのだろうか?
日記には『小さな三部作』や『遺作』という文言しか無かった。祖母から画家の名前を聞いていたとしても、未発表の絵画はインターネットでは検索出来なかったはずだ。
彼女は意を決して父の作業部屋を訪れた。紀伊権之助はペン画家である。丸ペンにカラーインクをつけて、広いキャンバスに緻密に描いていく。
「父さん」
「何だ? 入って来てはいかん」
繊細な作業は集中力を必要とするので、子供達は入室を禁じられていた。その掟は今も尚続いている。
「一つだけ教えてほしいの。母さんはどうやってあの絵を探したの?」
権之助はため息をつくと、ペンを置いて答えた。
「母さんの夢に絵は何度も登場していた。その特徴を手懸かりに、知り合いの美術関係者を尋ね回るうち、あれを見かけたという人物に辿り着いたんだ」
「じゃあ母さんは、画家の息子さんと知って、渡仏したの?」
「ああ、その知人から得た情報でね。画家の息子がどういう経緯で絵を手に入れたのかは知らないが、もとは遺言で留美子が譲り受けた物だ。母さんは、説得すると言って出掛けたんだ」
権之助は頭に巻いていた手拭いを外し、汗を拭いた。
「父さんからも一つ質問がある。画家の息子の別荘にあったはずの絵画を、お前は一体どこで手に入れたんだ?」
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