第14話 ニアミス

 梅雨明けと同時に駅前広場でも、ニイニイ蝉が鳴き始めた。那智は滝に呼び出されて『苺茶屋』にやって来た。

 彼女はテーブルにつくと、まず「お礼に」と特製苺パフェを注文した。

「ぐっすり眠れるようになったの!」

 那智は開口一番、満面の笑みで言った。

「てことは、ばあちゃんは成仏したのか?」

「おそらく。一度だけ祖母の夢を見たわ。『ありがとう』って微笑んでいた。滝くんのお陰!」

「おお、感謝しろよ。そうだな、美味いワインが飲みたいな」

「はいはい」

 滝はストローでバナナジュースをかき混ぜる。彼女の目元のクマが無くなっているのを見て、自分の事のように嬉しくなる。



 特製苺パフェが運ばれて来ると、彼は真面目な顔で話し始めた。

「あのな、実はユミたんと二人の時に東雲プロと話す機会があった」

「え……」

 那智の表情が固まる。

「お前に会いたがっていたよ。先生とはもう終わりにするのか?」

 滝はパフェに松笠のようにあしらわれた苺のスライスを抜いて、那智の口へ運ぶ。彼女は無表情のまま、機械的に口を開ける。

「会えば、盗んだ理由を話さなくてはならないし、母の死について尋ねてしまう。もう過去のことは考えたくないの」

「でも、まだ先生の事が好きなんだろ? お前ずっと追っかけてなもんな」

 那智は、胸元のペンダントを握りしめる。

「私ね、警察が来るかも知れないと思って覚悟していたの。でも彼は届け出なかったみたい。きっと公になると不都合があるから、直接返してほしいのね」

 それを聞くと滝は、拳骨で軽く那智を小突いた。

「馬鹿、それだけじゃないよ。先生はお前を信じているんだ。このままでは理由わけがわからなくて、きっと諦めらきれないさ。絵画の事も、お前の事も」



「私にそんな価値は無いよ。囲碁は下手だし、おっぱいは小さいしさ」

 那智は冗談めかして笑う。

「そこは否定しないけどな」

 滝も笑って、話を続ける。

「仮にこれが俺だったら、着信拒否の時点で振られたと考えるし、当然絵の為に近づいて来たと考えて、お前は御用になるけどな。先生は違うぜ」

「でも、今は考えたくないの。母さんを思い出すのがちょっとね……あっ、溶けてきてるよ」

「おおっ」

 滝はアイスをばくばくと口に運ぶ。那智も、珈琲のスプーンで反対側をつついた。



「那智、ごめん」

 特製パフェを平らげると滝が口を開いた。

「何が?」

「実はな、ユミたんが先生を駅まで迎えに行っている」

「え!」

「お節介だとは言ったんだけどな。あれから先生負け越しているんだ」

 無論那智も、その事は知っていた。棋譜を見ると、攻めこみにいつものキレと勢いが無い。

「私、帰る」

 彼女は席を立った。

「このままずっと会わないつもりか?」

「先生に伝えておいて。『攻められない先生に興味が無くなったから、ファンをやめました』って」

「えっ、ちょっと待てよ!」

「大丈夫、先生には坂口さんがいるから……きっと立ち直るわ!」

 那智はテーブルに千円札を置くと、足早に店を出て行った。


「坂口って誰だよ……」

 滝は彼女の後ろ姿を見送ると、ガシガシと茶色い癖毛をかきむしった。

「坂口くんは僕の秘書です」

 背後から声がして振り向くと、背広姿の東雲プロが立っていた。

「先生、いつからそこに?」

「反対側の入り口から入ってきたんです。『攻められない先生』辺りから」

 そういって彼は苦笑した。

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