第3話 棋士の自宅

 

 東雲家に辿り着くと、那智はぎょっとした。

 洋風の白塗りのアール門柱の横に、身の丈程もある虎の白い彫刻があって、それが門灯に照らされて不気味にこちらを向いていたのだ。

「大丈夫、置物置物……」

 胸に手を当てて深呼吸する。今夜はめかし込んで、シックな黒のワンピースに絞りの髪飾りで長い黒髪を束ね、薄く紅をひいた。

「先生、紀伊きい 那智です」

 建物はシンメトリーの白い洋館のような佇まいである。

「やあ、どうぞ」

 インターホンから蛍の声が聞こえる。カチャリと門の鍵が開いて長いアプローチを進むと、ダウンライトがぼんやりと灯り、カラフルな小人を照らしている。



「こんばんは、蛍先生」

「やっぱり先生かあ……」

「駄目ですか?」

「いや、その方が呼びやすいならいいよ。今宵は一段と素敵ですね」

 さらりと褒めて紳士的にリビングへと案内する。彼は前髪が無造作に下りていて、紺色のジャケットにいつもの眼鏡をかけている。20畳ほどの広いリビングの壁面には、大きな海亀の剥製が飾られていて、またしてもぎょっとする。

「ピザを焼いたんだけど、食べるかな?」

 彼は腕捲りをすると、奥から大きな皿を二つ運んできた。

 手作りのピザには海鮮が敷き詰められていて、片方には那智の好きなクレソンとホタルイカがのっかっている。

「おいしい!」

「なかなかでしょう? 蛍だけに僕の定番なんだ」

 彼はグラスにシャンパンを注いだ。海亀の剥製の反対側の壁には、絵画やドライフラワー、リースが飾られている。部屋の雰囲気から、もしかして最近まで良いお相手がいたのかもしれないと感じる。



「せっかくだから、やっぱり和室で打とう」

 彼は那智を和室へ案内した。立派な床の間の掛け軸には、碁を打つ兎の水墨画が描かれている。

「わあ……」

 脚付きの、立派な碁盤である。本かやだろうか、那智は少し緊張しながら、そこに正座した。

九子きゅうし置くかい?」

 盤面にある星と呼ばれる黒点に予め置き石する事で、ハンディキャップがとれる。

「もちろんです。もっと置きたいくらい」

 那智は黒石を九子置いて、盤上の星を埋めた。

「じゃあ、井目風鈴せいもくふうりんにしよう」

 蛍は那智の碁笥から黒石を四つ取り、それぞれの星の下の位置に更に一石ずつ置いた。

 


 彼の碁は普段と違い、優しい手筋の指導碁で、那智は自分がすごく上手くなったような気がした。

「そういえば母が変な話をした事があって」

 終局して検討していた時、急に記憶が蘇った。

「変な話?」

「19路盤の交点は361個あるから、周りを辿ると1年なのよって。でも1年は365日ですよね」

「ああ、それはね。古代の中国では1年が361日だったんだよ。盤上は宇宙とされて、占いにも使われたんだ」

「へえ」

「お母様は良く知ってらっしゃるね。一度お会いしたいな」

 君に似て美人なんだろうな、と彼は言う。

「他界したんです。崖から転落して」

「崖?」

 蛍は訝しげな表情になる。

「でも、自殺じゃないの。ただ、崖の上の別荘に用があって、足を滑らせて転落したんです」

 那智はその話を他人にしたのは初めてだった。








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