第25話 ヘッドハンティング

 新聞屋のオートバイの音で那智は目覚めた。

「あっ、ご苦労様です」

 慌てて立ち上がり駆け寄ると、朝刊を受け取る。

「那智さん」

 蛍は立ち上がり、声をかけた。

「来ないで!」

 那智は新聞紙で顔を隠して拒絶した。

「……ごめん。すぐに帰るから、そんなに怯えないでくれ」

 蛍は後ずさりして、彼女と距離をとったままゆっくりと歩く。


「すまなかったね、じゃあ」

 彼女の様子を見て、なぜここへ来てしまったのかとひどく後悔する。

「ま、待って」

 那智は新聞紙で顔を隠したまま、彼を引き留めた。

「朝食を食べていってください」

「でも……」

「これはその、すっぴんだから」

 那智はモゴモゴと言った。その上彼女はTシャツに短パンの寝間着スタイルであった。



「やあ、朝から来客かね?」

 紀伊権之助が欠伸をしながら食卓に現れた。

「父さん、徹夜で作品を仕上げたから、お昼まで眠るんじゃなかったの?」

「まだ終わっとらんのだ。お前こそ夜中に、こそこそ外出しただろう?」

「ちょっと出ただけよ。わかったから、せめてズボンを履いてよ」

 彼の下半身は縞模様のトランクス一枚である。

「おお、こりゃすまん」

 彼はそそくさと紺色のステテコを履く。

「あの、僕はすぐにおいと間しますので」

 蛍は立ち上がった。

「いいや、是非食べていきなさい」

 権之助は有無を言わさないような強い口調で言った。

「はい……」

「それで、早朝から我が家にいる君は一体何者なんだね?」



「僕は、こういう者です」

 蛍は名刺を差し出した。

東雲しののめ……?」

 権之助はチラリと名刺に目をやると尋ねた。

「はい」

「娘とは知り合いかね?」

「はい」

「もしかして、あの絵を譲ってくれたのは、君かね?」

「……はい」

「では、月末毎に墓参りをしてくれているのも、君かね?」

「……」

 蛍は押し黙った。

「うむ。では質問を変えよう。君は娘のボーイフレンドかね?」

「いいえ、違います」

「うむ」


 食卓には味噌汁、漬物と目玉焼きが並んだ。

「おい、今朝は納豆じゃなかったのか?」

「お客様がいるのに納豆?」

 父の言葉に那智は恥ずかしそうに言った。

「僕、納豆大好きですよ。手合の朝は必ずいただきます」

 蛍は慌ててフォローする。

「手合?」

「ええ、棋士をしております」

「父さん、そこに書いてあるでしょう?」

 那智が名刺を指すと、権之助は驚き瞳を輝かせた。

「あっ……東雲プロか!」

「はい、まあ」

「……東雲プロは東雲画伯のご家族なのか?」

「はい」

「ふうむ」

 権之助は難しい顔になる。


「父さん、とりあえず食べよう」 

「そうだな。それで、君は何しにここへ?」

 目玉焼きに箸を突き刺すと、とろりとした黄身が流れる。

「実は私の秘書が急に退職することになりまして、それで娘さんをスカウトしに」

「そうかね、ありがとう。娘の気持ち次第だが、君の秘書は儲かるのかね?」

「いえ。大して支給出来ませんので、恐縮ですが……契約金等については改めて書類をお持ちする所存です」

「そうかね、ではまた会おう。私はもう一仕事あるんで失礼するよ。ゆっくりしていきたまえ」

「ありがとうございます」

 権之助は立ち上がり、再び口を開いた。

「最後にひとつだけ質問がある。君は仕事以外にも、娘をパートナーにと考えているのかね?」

「いえ、僕にはその資格はありません。雇用も、次の仕事が見つかるまでの繋ぎになればと考えています」

「うむ」

 権之助は頭にバンダナを巻くと、食卓を後にした。

 振り向くとアイス珈琲を持った那智がいた。










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