第24話 深夜の来客

「待って、母さん!」 

 那智は二階の自室のベッドで眠っていたが、急に目が覚めた。


 夢には成仏したと思っていた祖母、留美子が出てきた。彼女は緑色のベレー帽の男の車椅子を押していて、那智が声をかけると右手をすっと伸ばした。

 その手の指す方向に目をやると、母、理絵が微笑んでいた。

「母さん!」

 那智が駆け寄ろうとすると、彼女の輪郭はぼやけ始めた。

「那智、父さんを宜しくね。それと…………」

「何? 聞こえない。何て言ったの?」


 問いかけたが、そのまま目が覚めた。記憶を辿るが、どうしても最後の言葉が思い出せない。

 窓辺に向かい、空を見上げる。今宵は街からも夏の大三角がよく見える。

 ふいに路地から一台の車が出てきて、ヘッドライトが眩しく光った。車は那智の家の前で止まり、一人降ろしてバックして走り去った。

「誰……?」

 那智の家は道の突き当たりにある。ここまで来るのは道を間違ったか、紀伊家に用のある人物である。

 砂利を踏む音が僅かにして、門柱の外灯でその人の顔が照らされる。

「え……」

 那智は彼に気付くと動揺して、慎重に窓とカーテンを閉めた。

 彼女はひたすら隠れていた。体温が上昇して、鼓動が煩くて、どうしてよいかわからなかった。


 *


『紀伊』という表札を確認して、蛍は急に動怖じ気づいた。タクシーを捕まえて勢いでここまでやって来たが、夜も更けた。おまけに自分は酔っぱらいである。訪問しては、非常識極まりない。

 うろうろと八の字を描くように歩き回って、その場に座り込んだ。今宵は蒸し暑い。朝までここにいても、風邪を引くことはない。



 あの晩、絵画を持ち去らずとも、一言相談してくれれば良かった。彼女を失う事に比べれば、曾祖父の絵なんかどうでも良かった。

 だが、彼女は東雲家を守るために真実をひた隠しにしていたのだ。

 あの手紙と白詰草は戒めの為に、引き出しに入れている。会いたくてもそれを見て、我慢してきた。たまに滝宗次郎が彼女の元気な様子を伝えてくれると胸が震えたが、もう絶対に会わないと決めていた。

 それが彼女の唯一の望みであり、蛍に出来る償いだった。


 なのに今、ここへ来てしまった。彼女に会って何を話すというのだ。

 暑さと緊張で喉が渇く。アルコールをとり過ぎたせいかも知れない。

 ふらりと体が揺れて意識が朦朧とする。


「お水です。飲んでください」


 彼女の声が聞こえた気がした。唇にコップの淵の感触を得て、なされるがままにごくごくと飲みこんだ。

「那智、すまない。すぐに帰るから、僕を許さないで……」

 そのまま、蛍は目を閉じた。



 鳥の声にはっと目覚めると辺りは薄暗く、夜が明けようとしていた。

 尻が痛い。どうやら座ったまま門柱にもたれかかって眠ってしまっていたようだ。左半身に重みを感じて隣を見る。

「え……」

 そこには会いたかった長い黒髪の女性が、体操座りでかすかに寝息を立てて眠っていた。

 蛍は肩を抱き寄せ、彼女にそっと口づけた。















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