第7話 意外なもの
「先生、何しに来たんですか? 坂口さんは?」
「彼女は帰ったよ。ほら、これを届けに来た」
蛍は自分の藍色のカーディガンを差し出した。
「いりませんよ、寒くない」
那智は強がって言った。風にのって桜の花びらが舞い、顔をそっと撫でる。向こうに小さな神社があるようだ。
「着なさい、風邪をひく」
「ひいたって私の勝手でしょう? これは先生が着てください」
見れば、彼自身もシャツ一枚で寒そうだ。
「蛍だ」
「え?」
「蛍って言えよ」
「先生……?」
彼はカーディガンをふわりと那智に羽織らせて、自分のズボンの後ろポケットから彼女のスマホを取り出した。
「ほら」
「……すみません」
「まだ彼に電話するのかい?」
那智はかぶりを振った。
「しません。でも、彼は本当にただの友達です」
「ごめん。僕が悪かったよ、やきもちなんかやいて」
「やきもち、ですか?」
「あれ、やきもちじゃないのかな? ごめん、僕は欧州の生まれで、時々間違うんだよ」
まいったなぁ、と頭を掻きむしる。あんなに難しい本が読めるのに日本語に苦手意識があるのか。
「やきもちで合って ますよ。先生、妬いてくれるんですか?」
「もちろん。僕の気持ちは珈琲館で伝えただろう?」
「ええ、お友達からって聞きました」
意地悪を言って、うつむき加減で蛍の手を取って歩き出す。バス停まで来ると、街路灯に照らされた赤い前掛けの地蔵さまが見えてくる。
「先生、私本当は凍えそうなんです。温かい珈琲が飲みたいわ。暁までにもう一局打ちましょう」
「本当だ、冷たいね。早く帰ろう」
蛍は繋いだ手を握り直して、自分のポケットに入れた。
明け方那智は仮眠を取ったが、祖母の夢は見なかった。
翌朝、朝食を待つ間、那智は居間にある碁笥の蓋を開けた。蛍のくるみボタンの話が妙に面白かったので、何か埋め込んで驚かせようと思い付いたのだ。
鞄から個包装のアーモンドチョコを取り出す。碁石の音がキッチンに聞こえないよう、そうっと白石の中に押し込む。
「あれ?」
指に違和感を覚えて、その蛤以外の物を引っ張り出す。
それは親指の爪ほどの大きさの、小さなUSBメモリだった。
キッチンの蛍はこちらに気づいていない。那智は声を掛けようとたが少し考えて、それを白石の奥に戻した。
こんなところに隠しているのだから、秘密にしている物にかも知れない。また軽率に言葉を発するのはいけない気がした。
立ち上がって壁のリースを見る。ミモザやラベンダーがちりばめられていて、センスが良い。坂口さんは碁が打てるのだろうか。
「……?」
急に、ドライフラワーの間に飛び石に配置されている小さな絵画に、何かひっかかりのような物を感じた。
注意深く見ると三枚の絵にはどれも睡蓮の池が描かれていて、絵画の右下にはちいさく『g.s』と書かれている。睡蓮の隙間には一見すると花びらのような斑模様が描かれているが、どこか不自然である。
三歩下がって眺めると、その正体が浮かび上がった。繋ぎ合わせると、錦鯉が泳いでいるではないか。
「え……まさか」
『小さな三部作』という言葉が頭に浮かんだ。ごくり、と唾を飲みこむ。
「でも……」
祖母の留学先は仏国だった。画家がモネの如く睡蓮を愛でたとしても、果たして錦鯉を描くだろうか……。
だが可能性は、ゼロではない。そのような絵がここになるのならば、
良くない妄想が過り、那智はいてもたってもいられなくなった。
彼女はテーブルに戻ると碁笥の蓋を開け、震える指でUSBを取り出し、自分のポケットに入れた。
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