第6話 美人秘書

「え?」

「さすがに、二人きりはまずいだろう? 心配だけど、僕が添い寝するわけにもいかないし」

 つまり秘書は、深夜にでもここに来られるような深い仲なのか。リース作りの上手い淑やかな女性を想像して、胸のもやもやが増幅する。

「私、帰ります。友達のうちに泊まります」

 酔っていたのかもしれない、考えるより先にその言葉が出た。

「もう遅い。泊まっていきなさい」

 時計の針は深夜1時を過ぎている。

「大丈夫です。迎えに来てもらうわ」

 那智はスマートフォンを取り出すと、アドレス帳のの欄を検索した。画面に『滝 宗次郎そうじろう』という名前と、茶色い癖毛の顔写真が表示される。通話ボタンを押そうとして、スマホが奪われる。

「急に帰るだなんて、どうしたんだ?」

「別に……」

「坂口さんは良い人だから心配ないよ。たぶん君と年齢も近い、25歳だ」


 彼の言葉に苛々した。秘書の歳なんて、聞きたくもない。

「先生は私の歳を知ってるんですか? 知らないでしょ。聞かれもしないわ」

「女性に年齢を聞くのは失礼だろう?」

「でも、坂口さんの年齢は知ってるじゃない。紳士ぶっちゃって馬鹿みたい」

 子供みたいに屁理屈を言った。

「君はどうなんだ、こんな深夜に迎えに来てくれる男がいるくせに」

「滝くんは幼なじみで親友なんです、先生みたいに浅い付き合いじゃないわ」



「あの……」

 女性の声がしてハッとする。リビングの入り口に、金髪のボブへアの美しい女性が立っている。睫毛が濃く長く、瞳が茶色い。体のラインを強調する青いワンピースをきている。

「坂口くん、深夜にすまないね」

「お疲れ様です。あの、初めまして。秘書の坂口です。東雲しののめがお世話になります」

 そういうと、彼女は最敬礼する。

「あのっ。私、帰ります。本当にごめんなさいっ」

 那智は鞄を手に持つと、そそくさと秘書の横をすり抜けて表へ走り出た。


「呼び出しておいてすまないね。彼女は帰宅するようだから、ココアでも飲んでいくかい?」

 蛍はばつが悪そうに、頭を掻きながら言う。

「先生、すぐに追ってください。何してるの、この鈍感男!」

 坂口は黒いストッキングの右足で、蛍の尻に小さく蹴りを入れると、カーディガンを手渡した。

「あ、ああ」

 蛍はそれを手に取ると、尻を押さえながら玄関へ向かう。

「先生、私は帰ります。時間外手当ては弾んでくださいね!」

 背後から坂口の明るい声がした。



 那智はぶるっと震えて肩をすぼめた。東雲家ここへ来るのはまだ三回目である。いつもは『地蔵前』から少し歩くだけだが、この時間バスはない。大通りまで出れば或いはタクシーが通るかもしれないが、どうだろうか。

「寒い……」

 春先はまだ冷える。こんなことなら甘えていないで終バスの前にさっさと帰宅すれば良かった。

 玄関先の公道には深紅のロードスターが、街灯に照らされ存在感を示していた。胸が大きく、唇がぽってりした女性だった。

「蛍先生の馬鹿……」

 呟いて見上げるが、街明かりで星は見えない。今夜は上弦の月の形が輝いているから、田舎では美しい夜空なのだろう。

「馬鹿で悪かったな」

 声がして振り向くと、ひょろっと背の高い蛍が、息を切らしていた。














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