第12話 駅前の菓子店

 それから蛍は、那智と連絡が取れなくなった。

「お前も見ていたんだよな」

 蛍は門柱の横にある、FRP製の白い虎の彫刻像をぽんぽんと叩いた。この像には瞳の部分に暗視カメラが取り付けてあり、録画している。

 あの夜は検討会がキャンセルになり、蛍は偶然にもすぐ近くで秘書の車を降りていた。裏口からの侵入者を検知して腕時計のアラーム音が鳴り、慌てて自宅へ走った。

 それには理由があった。亡くなる直前、蛍の祖父が残した言葉である。

「いつの日かまた、この絵を盗む者が現れるだろう。その時はこの遺作を守り抜いてほしい」

 その理由を祖父は深く語らなかったが、一度は奪われ、また盗難未遂が起きている絵画である。家政婦とその娘の仲間が、また絵を盗りに来たのだと予測が立ったし、来るときが来たのだと思った。


 ところが、駆けつけると黒いレオタード姿の那智と出くわした。


 彼女は風呂敷包みを手にしていてた。はみ出した額縁の角が三つ分見え、すぐにあの絵だとわかった。引き留めようとすると、彼女はひらりと蛍をかわして逃げた。

 追いかけて塀の向こうへ回ると、彼女は忽然と姿を消していたのだった。



 蛍は、彼女の住所や自宅の電話番号だけでなく、職業すら知らなかった。

「参ったなあ……」

 自分は何て独りよがりだったのだろう。彼女が年齢を聞かれず憤慨していたのは、当たり前の事だった。

 でも、諦めるわけにはいかなかった。蛍にはこの先も彼女以外考えられなかった。

「何か、あるはずだ」

 そう言えばあのアーモンドチョコは駅前の菓子店の包みだった。蛍は時計を確認すると、急いでバス停に向かった。

 いつものように地蔵さまに手を合わせる。この地蔵さまは身代わり地蔵で、ずっと昔から地域の人々を救ってきた。心の中で、また彼女に会えるよう、祈る。

 しばらくして緑色のバスが見えると、彼はそれに飛び乗った。



「すみません、こちらでいつもアーモンドチョコを買う女性を知りませんか?」

 尋ねると、中年の女性店員が疑惑の眼差しをこちらに向ける。

「失礼しました。僕はこういう者で」

 名刺を差し出す。

「実はファンの方に落とし物を届けたいんです」

 適当に誤魔化す。

「さあ。お客様は大勢いらっしゃいますので」

「黒髪が背中まで長くて、瞳はアーモンド型の二重瞼で、紀伊さんという方で、二十代なんですが……」

「さあ、わかりませんねぇ」

 彼女はストーカーでも見るかのような視線で蛍を睨む。

「そうですか、ありがとうございました」

 肩を落として店を出る。確かに対局日だけの購入では、印象に残るはずもないのかも知れない。店の前に設置されている木製の水色のベンチに腰かける。


 あの夜、彼女はあの絵を祖母の物だと言った。あれはどういう意味なのだろうか?

 蛍はスマートフォンから国際電話をかけた。父親に電話するのは一年ぶりになる。

「何だ?」

 彼はどんなに久しぶりでも、「何だ」とぶっきら棒に応える。

「父さん、吾郎爺の鯉の絵を持ち去った家政婦か、あとからやって来た娘の名前を覚えていますか?」

「お前に預けてある絵のことか……。父さんの話では確か二人の名字は吉野だったように記憶しているが、突然何なんだ?」

「『紀伊』ではありませんか?」

「さあな。今度日本へ行く。その時ゆっくり話せばいい」

 そう言うと父親はガチャリと電話を切った。

「ちょっ、父さん!」

 父親はいつもこうだ。国際電話でもお構いなしに、切ってしまう。



 蛍はベンチに腰かけたまま、ため息をついた。

「せめて、滝宗次郎くんと連絡が取れたらなぁ……」

 以前彼女が電話をかけようとした男の名前を呟く。

「俺のことですか?」

 声の方を見上げるとそこには、スカジャンの茶髪癖毛の青年が立っていた。
















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