第31話 エピローグ
「おめでとうございます! ついに六冠ですね」
雑誌『大人の碁』の記者、
「はい」
「先生にとって成功の秘訣はなんですか?」
新人の彼女は初めて一人での仕事を任され、声が上擦っている。
「そうですね。アーモンドチョコを食べることです」
「アーモンドチョコ」
呟きながら、メモをとる。
「ママドルのユミさんとの噂は本当ですか?」
「ああ、週刊誌の記事? 残念ながらガセです。ユミさんは親友の奥様でね。あの時は彼と、それから僕の恋人もいたよ」
「ええっ!」
彼女は狼狽え、押し黙った。
「もしや、今日の取材の目的はそれだったのかい?」
「はい。どうしましょう……何かネタを提供してください」
蛍は苦笑して、少し考えてから口角を上げた。
「こういうのはどう? 『破竹の勢いの東雲棋士、七大タイトル達成で婚約』」
*
ニイニイ蝉が鳴いている。那智は小人の庭のアプローチを足早に玄関へ向かった。
「先生、コレは一体どういうことですか?」
『大人の碁』を広げてテーブルの上に置く。この雑誌は碁に関わる情報を幅広く取り扱っている。開かれた頁には、ユミがファンと碁を打つ写真の下段に、東雲の婚約話が掲載されている。
「ああ、これか。前に雑誌社の子に協力したんだよ」
「私の休暇中に入っていた取材ですね。かわいい女の子だったんでしょう?」
「どうだったかなぁ。確か、良い名前だったよ」
「別に何でも良いですけど、いつ誰と婚約したんですか?」
「それはだね、雑誌の発売日を誤解していて」
「誤解でどうしてこうなるんです?」
那智がにじり寄ると、蛍はそそくさと本棚からスケッチブックを取り出した。
「これ、完成したんですね! 素敵……」
レオタード姿の那智が横からの構図で美しく描かれている。
「うん。色々考えたんだけど、これを貰ってくれないかな。君、誕生日だろう?」
「良いんですか?」
那智は顔を綻ばせた。
「うん。それで、結婚しないか? 俺達」
*
「……てなわけで、スケッチブックと引き換えに婚約したの」
那智はパフェの苺を指でつまんで、口に運んだ。
「その取材の時に本因坊も獲る気でいたのか、すごいな。誕生日より発売日が早かったのは、読み間違えたな」
「うん。最近坂口さんの気持ちが分かってきたよ」
那智は拳を握りこんで、ファイティングポーズをとった。彼の目算ミスは珍しいな、と滝は笑った。
「でも不思議。ぴったりのサイズなのに、何故あの時指から抜け落ちたのかしら?」
那智は右手の薬指の金の指輪を滝に見せる。
「さあな……神様の仕業かもな」
滝はアイスクリームをスプーンですくう。
「これね、おばあちゃんの形見だったの」
祖母の日記を読み返したら、指輪の事が記されていた。
「権之助さんからの贈り物じゃなかったのか?」
「うん。父さんがフランス語なんて、変だと思ったのよね。きっと他人に悟られないように、裏にだけ刻印したのね」
「切ないな」
「うん。それでもおばあちゃんは幸せだったのかも知れないわ。また例の夢を見たの」
あれから幾度か、祖母が微笑みながら画家の車椅子を押すあの夢を見た。祖母の指し示す先にはいつも母親が微笑んでいる。
「母ちゃんの言葉は聞き取れたのか?」
「ううん、やっぱり分からなかった」
夢の最後には母親の輪郭がぼやけて消えてしまい、依然として「それと……」の後は聞き取れない。
「でもね、もういいの。蛍先生がいるから平気。前に進めるわ」
これから先の困難も、彼となら乗り越えられるだろう。
「式には呼べよ」
「もちろん。新婚旅行は南仏に行くわ」
那智は窓の外を見上げて、晴れやかな表情で言った。
碁笥の神様 翔鵜 @honyawan
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