第17話 母親の旧姓

 東雲蛍は滝宗次郎に連絡を取ると、駅前の『苺茶屋』で落ち合った。

「やあ、すまないね」

「いえ、聞きたいことって何ですか?」

 滝はサングラスを外すと薄紫色のTシャツのポケットにひっかける。

「答えられる範囲で教えてほしい。紀伊さんのお母様は海外で亡くなったのかな?」

「ええ。俺も最近知ったんです。彼女はずっと母親の事に触れたがりませんでしたから」

 滝は言葉を選んで答える。

「彼女のお母様の旧姓は吉野と言うのではないかい?」

「さあ。そこまでは知りませんが、確か権之助さんはマスオさんですよ。紀伊は父方の姓です」

「やはり……」

「何故そんなことを?」

 蛍は爽やかなグリーンのシャツの胸ポケットから、一枚の写真を取り出した。

「曾祖父のお弟子さんが、吉野という姓なんだ。那智さんにそっくりだろう? もしや彼女のお婆様なのではないかと思ってね」

「ええ」

 その写真画像を彼は一度見ている。多少ぼやけているが、改めて見ても瓜二つである。



「実は連絡が途絶える前、那智さんが僕の家から絵画を持ち去った」

 蛍は胸ポケットから白い紙を取り出した。

 そこには活字で『睡蓮の三部作は頂戴した。怪盗 村正』と書かれている。

「何ですか、これ?」

 滝は首をかしげた。

「彼女がテーブルに置いていった。これに白詰草が添えられていた」

「……意味わかんねぇ。何やってんだ、あいつ」

「そうか。君なら何かわかるかと思ったんだが」

 蛍は肩を落とした。

「お役に立てなくて、すみません」

「いや、良いんだ」


「絵にはどれ位の価値があるんですか?」

「たぶん、日本円で数千万するだろうね」

「す、数千万?!」

 未発表の遺作だからだろうか。ファイルで見た数字よりも一桁大きく、滝は緊張で喉が乾いた。ストローでバナナジュースを一気に飲み干す。

「僕にはね、彼女がお婆様の亡霊に惑わされて盗みを働いたとしか思えないんだ」

「霊?」

「ああ。それまでの彼女の様子から推測するとそうとしか思えない。お母様も然りだ。一旦は手放した絵を盗み出すのはおかしいし、意識が混濁していたのなら転落にも説明が付く」


 

 滝は段々と苛立って来て、溜め息をついた。那智が守ろうとしているものを自分が伝えられないことへの苛立ちだった。

「先生、那智の母ちゃんは本当に足を滑らせたんですか?

「どういう意味だい?」

「そのまんまの意味です。一度調べてもらえませんか?」





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