第9話 母の死因
那智はUSBメモリーをポケットに忍ばせて、四度目の東雲家にやって来た。初めは怖かった虎の置物にも慣れてきた。
「やあ、元気だった?」
「はい」
最近目立ってきた目元のクマはコンシーラーで隠してきた。
「そうだ、これを」
蛍はおもむろにズボンのポケットから、ペンダントを差し出した。丸い蜘蛛の巣のようなモチーフに小さな鳥の羽が三つぶら下がっている。
「何ですか?」
「御守りだよ。良かったら、つけてみて」
彼はそう言ってトイレに立った。
那智は彼の姿が廊下に消えるのを確認すると、慌ててUSBを碁笥の白石の中に戻した。
ペンダントをつけてみるとVネックに開いた胸元の肌に、細工の羽が少しこそばゆい。
立ち上がり、例の絵の前に立ち右下の『g.s』のサインを見る。USBの中にこの絵の写真は無かったが、東雲吾郎の作品とサインが酷似している。
「その絵は繋げると、鯉の姿が浮かび上がるんだよ」
急に後ろから蛍の声がした。彼はワイングラスとチーズの乗った盆をS字のサイドラックに置くと、三枚の絵画を壁から取り外し、テーブルに隙間なくぴっちりと並べた。白肌に赤と黒の斑模様の錦鯉の鯉が泳いでいる。
「きれい……」
やはりこれが祖母の求める絵画かも知れない。
「これは曾祖父の遺作なんだけど、家政婦に奪われて行方がわからなくなっていたんだ。それを祖父が買い戻した」
「……今何て」
那智は耳を疑った。
「家政婦は、病床の吾郎をたぶらかして、遺言に絵を譲ると書かせたんだ。吾郎が逝ってすぐ絵を手に入れると、その悪魔のような女は家政婦を辞めた」
「悪魔……?」
「うん。その事が心労で、曾祖母は後を追うように亡くなったんだ。だから祖父はずっとその人を恨んでいた」
留美子が騙したと言うのか。
「絵の行方は?」
「闇市で取引されたが、最終的に知り合いの質屋に流れてきていた。家政婦が金にしたんだろうね」
「そう……ですか」
頭が真っ白になる。
「祖父は、買い戻した遺作を南仏の別荘に飾っていたよ。だが15年前にある女がやってきて、絵の所有権をめぐっていざこざがあった。それで、祖父が亡くなったタイミングでここに持ってきたんだ」
「いざこざ?」
彼はゆっくりとうなずいた。
「うん。彼女は家政婦の娘だと名乗り、遺言通り絵を返してくれと申し出たそうだ。もちろん祖父は断った」
「むす……め?」
鼓動が激しくなる。記憶の底にしまっていた記憶が蘇る。那智が十歳の時に他界した母は、仕事で海外に出かけてそのまま帰らなかった。
父親は母親の死因について、「ある別荘を訪れた際に足を滑らせて崖から転落した」とだけ二人の子供に語っていた。
「譲渡を断ると、あろうことかその女は絵を盗みに来た。でも失敗して、海へ落ちたらしい」
胸が苦しい。落ち着こうと、スパークリングワインを飲むが、味を感じない。
「あんな事件があったけれど、別荘はとても景色の綺麗なところなんだ。コバルトブルーの海が広がり、崖の上までずっと緑が続いているんだ。休みが取れたら一度行こうよ」
蛍は那智の左手を取り、甲にキスをした。
「先生……」
那智は血の気が引いて、平静を保てなくなった。視界がぐにゃぐにゃと曲がり、ふらりとソファーに倒れる。
「那智さん!」
「大丈夫です。単なる……貧血だから。少しだけ横になれば回復します」
そう言って彼女は目を閉じた。母親が崖から落ちたのは、蛍の祖父のせいかもしれない、その考えが頭から離れなかった。
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