第19話 秘書の故郷

 那智は帽子を目深に被り、その道を歩いた。この道を通るのは一年ぶりだろうか。地蔵前で下車して、すぐ脇のお地蔵様に手を合わせる。以前は赤い前掛けだったが、今日は涼しそうな白いレースの清楚な前掛けを召されている。そこから北へ真っすぐ歩き、電柱の陰からの白いシンメトリーの家の門を見つめる。

「あら、あなたは確か先生の……」

 金髪の美女に呼び止められて、那智はぎくりとした。体型にぴたりと纏わりついた赤い洋服のその女性は、坂口さんだった。

「こ、こんにちは。紀伊と申します」

「ごめんなさい。先生は不在なの」

「いえ、近くに来ただけなので……」

 こっそり様子を伺うつもりだった。

「そう?」

「いえ、あの、やっぱりお尋ねしても良いですか?」

「どうぞ?」

「先生が暫く手合いを休まれているようなので、ご病気なのではないかと」

「不戦敗のことね? いえ、彼は急に思い立って海外に行ってしまわれただけなので問題ありません。私はもう、ものすごく怒っていますけれど」

「そうですか……」

 坂口はくすりと笑うと、深紅のロードスターを指して言った。

「那智さん、少しお時間よろしくて?」


 言われるがまま助手席に乗り込むと、坂口はサングラスをかけ車を走らせた。加速すると街の風景が流れ、二人は埠頭にやってきた。車を降りると潮風が、汗で張り付いたシャツに心地よく吹きつけた。

「この海のずっと向こうに私の生まれ故郷があります」

「アメリカですか?」

「もう少し北の国、カナダです。東雲は今そこにいます。事前に言ってくれたら、私が付き添い通訳致しましたのに……」

 海沿いを眺めると、遠くにクレーンに釣り下げられた小豆色のコンテナが見える。

「ということは、お仕事ではないんですね?」

「ええ、あの大馬鹿者は私に引き止められまいと、こそこそと旅立ったのでございます」

 坂口はふっと笑うと那智の顔を覗き込んだ。

「そのペンダント、先生からの物でしょう?」

「あ……はい」

 那智は、蜘蛛の巣に羽根がぶら下がったようなモチーフのペンダントを握り締めた。

「実は私がご用意しましたのよ。彼が悪夢に効くお守りを探していたものですから」

「これが?」

「ええ、ドリームキャッチャーです。故郷の先住民インディアンのお守りで、窓に飾ると悪夢から守ってくれます。私てっきり東雲本人が使用するものだと思いましたので、包装もせずすみません」

「いえ」

 変な形だとは思っていたが、そのような物であったのか。

「彼が帰国しましたら、連絡するよう伝えますね。昨夜のメールでは、明後日の便で戻るようでしたから直に会えますよ」

「元気なら良いんです。連絡はいりません」

「そうですか? ではご心配おかけした分も含めて私が、2,3発蹴りを入れておきますね」

 坂口は右足を空中にあげて、微笑んだ。



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