第12話 マーリィ01 路地裏の空

 気がつくと荒野に寝転がっていた。

 体が動かない。


「ッ、痛ぅ……」


 上体を起こそうと無理に力を入れると、身体中があちこち痛んだ。

 顔がひどく腫れている。


 なんだこれ?

 自分で言うのもなんだけど、わたしは顔が可愛い。

 でもこれじゃあ台無しだと思う。


「ポ、ポーション、たしか、持ってた……」


 震える手で懐をさぐる。

 そこに回復薬があることに安堵の息を吐いてから、全身に振りかけた。


 しばらくすると少し楽になってきた。

 ところでわたしは、一体こんな場所で何をしているんだっけ?


 うーん。

 パッと思い出せない。

 ともかくこういうときは、一から記憶を漁ってみることだ。

 えっと……。


 わたしはマーリィ。

 神剣の勇者アベルさまの奴隷で、勇者パーティーの荷物持ちポーター


 アベルさまとの出会いを思い返す――


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 物心ついた頃から、わたしはスラムで暮らしていた。

 親の顔は知らない。


 でもそれを気にしたことはない。

 スラムでは、むしろ親がいる子供のほうが少なかったし、たとえ親がいても大概は穀潰しのロクデナシだったからだ。


 スラムでの生活は厳しかった。

 糞尿なんかがその辺に垂れ流しで、臭くて汚い。

 病気になっても、治療を受けられずに死ぬ子が多かったし、とにかくいつも、お腹が空いていた。

 空腹に耐えかねたときは、盗みもやった。


 本当にろくでもない所だと思う。

 でもそんな酷い場所でも、ひとつだけ気に入っていたものがあった。

 それは路地裏から見上げる空だ。


 空は誰にでも平等だ。

 青く澄んで高い空。

 残飯を漁ったあと、ごみ箱に背中をもたれ掛けながら、建物の外壁に四角く切り取られた空を眺める。


 この空は、どこにだって続いている。

 ならこの下を歩いていけば、こんな薄汚れたわたしでも、どこか違う綺麗な場所にいけるんじゃないかって……。

 そんなことを思っていた。




 ある日わたしは、盗みで下手をして捕まった。

 スラムの子供が捕まった場合、行き先なんて相場が知れている。

 奴隷だ。


 わたしも御多分に漏れず、犯罪奴隷として奴隷市場に並べられることになった。

 でも買い手はつかなかった。


 満足に食事もできなかった体は、痩せてガリガリ。

 頬はこけ、あばら骨は浮き上がり、黒い髪もぼさぼさ。


 大人ならそれでも労働力として買われるかもしれないけれど、わたしはまだ十歳にも満たない。

 買い手がつこうはずがなかった。




 檻に閉じ込められて、見世物になる毎日。

 日に日に体力も衰え、やがてわたしは病気に罹った。


 不衛生な環境で、抵抗力もない子供の体だ。

 病はすぐに進行し、わたしはあとは死ぬのを待つばかりとなった。


 わたしは悔しかった。

 こんなところで、死にたくない。

 最後に……。

 最後にもう一度、空が見たい。

 こんな薄暗い檻に閉じ込められたまま逝くのは嫌だ。

 死ぬなら青空を見上げながら……。


 わたしは隙をついて、奴隷市場を脱走した。

 大きな通りに出ると、青空が見えた。


 ……ああ、空だ。


 雑踏のなか、崩れ落ちた。

 膝をつき、空を仰ぐ。

 道行くひとの群れが、汚らしいわたしを舌打ちしながら避けていった。


 わたしは満足して、自分の死を受け入れた。

 そのとき――


「……ねえ、きみ、どうしたの? 大丈夫?」

「なんじゃ、この小汚い童は」

「もうアウロラ! そんな風に言ったらだめじゃないか! ……って? うわ!? この子、ガリガリじゃないか!?」


 見知らぬ男のひとと、女のひとが目の前に立っていた。


「さ、つかまって。立てる?」


 救いの手が、わたしに差し伸べられた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 わたしはすべてを思い出していた。


 アベルさまとアウロラさまが魔王を討伐した夜、勇者パーティーの4人が裏切った。


 なんとかしてアベルさまを逃がそうとしたわたしは、あのヒューなんとかいう刺青ハゲの拳闘士に捕まって、殴られたのだ。


 でもそれ以降の記憶がない。

 アベルさまは無事だろうか。


「うぅ……。あいたたた……」


 どうにか動くようになった体を起こす。


 とにかく一旦、あの裏切りがあった現場に戻ろう。


「んー。でも、魔物こわい……」


 風景からして、ここは魔大陸だと思う。

 ならきっと、凶暴な魔物がたくさんうろついている。

 戦っても勝てない。

 自慢じゃないけど、わたしに戦闘力はないのだ。


「……ま、なんとかなる」


 とりあえず、魔物に遭遇したら逃げよう。

 きっと大丈夫、大丈夫。

 気楽に考えつつ、わたしは歩き出した。




 ……死ぬかと思った。


 正直、ひとりで魔大陸を歩く恐ろしさを舐めていた。


 魔物との遭遇率が高すぎるのだ。

 大半は風上に身を潜めて待てば、魔物がどこかに去っていったけど、運悪く見つかった場合は全力で逃げた。

 なんとか無事に、ここまでやって来れたことが、奇跡みたいに思える。


「……ん、と」


 周囲を見回した。

 たしかこの辺りが、裏切りのあった場所だったと思うんだけど……。


 辺りに変わったものは何もない。


 ここまで戻ってくるのに結構な日数が掛かってしまったから、アベルさまやアウロラさまは、さすがにもう居ないだろうとは思っていた。


 でもふたりを探すヒントになるような痕跡があればと、辺りを探っていく。

 すると遠くに、淡く発光している何かを見つけた。


「ん……、なんだろ?」


 歩いて近づいていく。


「んに!? これ!?」


 それは淡い光を纏った真っ白な剣だった。

 アベルさまの神剣。

 その剣が、大地に突き立てられている。

 地面には、一度大きな穴を掘って埋めなおしたような跡があった。


「これアベルさまの。どうしてここに……?」


 この神剣は、アベルさまの力の源。

 大切な剣だと聞いている。

 それがなぜ、こんな荒野に突き刺されたまま置きざりにされているのか。


 近寄って、鞘に触れてみる。

 すると急に、神剣が眩く輝きだした。


「な、なに!? この光!?」


 周囲を白く染め上げるほど激しく、神剣が輝きを放つ。

 やがてその光は集束し、わたしの胸のなかに吸い込まれていった。


 いきなりのことに反応できない。

 呆気に取られていると、頭のなかに誰かの声が響いてきた。


『久しいの、マーリィ。心配していたのだぞ?』

「だ、だれ!?」


 きょろきょろと首を回す。

 でも付近には、何者もみつからない。


『ここじゃ、ここじゃ』

「……は、はぇえ?!」


 どうにも剣から声が聞こえてきた気がする。


 ふと思い当たった。

 そうだ。

 アベルさまが言っていた。

 たしかこの神剣は喋るのだ。

 使用者にしか声は聞こえないらしいけど、自分で考えて喋る剣なんだとか。


「えっと……。ミーミルさま?」


 たしかそんな名前だったと思う。


 でもアベルさまはミーミルさまの話し口調を、淑女というか、お淑やかな女性のそれと言っていた。

 いま聞いた声とは、随分違うように思えるけど……。


『ん? ミーミル? ……ああ、違うぞマーリィ』


 考え込んでいると、剣の声に意識を引き戻された。


「……じゃあ、だれ?」

『お主も薄情なやつじゃのう。もう妾のことを忘れたのか?』


 はっとする。

 妾?

 それに時代がかった特徴的なこの話し方は……!?


 くわっと目を見開いて、神剣を凝視する。

 すると剣は、聞き慣れたあの口調で名乗りを上げた。


『妾は古龍アウロラ・ベル! いや、それはもう違ったな。……こほん、では改めて。……妾は神剣! 神剣アウロラ・ベルじゃ!』

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