第27話 マーリィ08 神剣の勇者

 殴られたわたしは、真下の地面に強かに叩きつけられた。

 全身を襲う衝撃に、一瞬意識が飛ぶ。


「がはっ……」


 仮面が砕かれた。

 晒されたわたしの素顔を見て、ヒューベレンが驚く。


「て、てめえは、アベルの奴隷の糞ガキ!?」


 うつ伏せに身体を倒す。

 震える腕で、なんとか身体を起こそうとする。

 けれども受けたダメージが大き過ぎて、立ち上がれない。


「……そうか、糞ガキ。テメエがクローネとラーバンを殺ったのか」


 ヒューベレンが左右の拳を突き合わせた。

 指を鳴らしながら近づいてくる。


『マーリィ、お主の動きは先ほどから精彩を欠いておる! いったいどうしたのじゃ!? ……いや、そうか! この感情、お主、もしや――』


 ようやくアウロラさまにも分かったらしい。

 相変わらず鈍いと思う。

 でも無理もないか。

 わたしだって、つい今しがた自覚したばかりなんだから。


 わたしの動きを阻害しているもの。


 ……それは恐怖心だ。


 わたしの心をへし折った、仮面の男の一撃。

 ヒューベレンの拳を受けようとするたび、わたしはあの恐ろしい攻撃をそこに重ねてしまう。

 身体が竦んで動かなくなってしまう。


 ヒューベレンが歩み寄ってくる。

 その顔に凶悪な笑みを貼り付けながら。


「どうやって魔大陸を抜けてきたのかは知らねえが、今度はきっちりとぶち殺してやる」

『妾を……! 妾を構えよ! マーリィ……!』

「ぅ、ぅぐぐ……」


 なんとか起き上がって剣を構えた。


 神剣が重い。

 身体が持っていかれそうになるほど……重い。


「く、くそぅ……」


 脚が震えて立っているのもやっとだ。

 この震えはダメージによるものか、それとも恐怖心によるものか……。

 もうそれすら、わたしにはわからない。


「テメエみてえな雑魚が、どうやってあのふたりを殺ったのかはしらねえが、この俺様にまで勝てると自惚れたのが運の尽きだったなぁ?」


 ヒューベレンが目の前に立った。

 固めた拳を振り上げる。


「ぎゃはは! この奴隷が! 死にさらせ!」


 ごうっと唸りを上げて拳が振り下ろされた。


「あぅ……ッ!」


 頬を思い切り殴りつけられた。

 わたしはふたたび地面に叩きつけられ、無様に這いつくばる。


「はっはー! おらぁ! おらおらおらおらぁ!」


 調子に乗ったヒューベレンが、嗤いながら蹴りを加えてきた。

 丸めた背中を踏みつけ、蹲るわたしのお腹を、顔を蹴り上げた。

 何度も何度もそれを繰り返す。


「ぅ、ぅあ……」

『逃げよ! 逃げるのじゃマーリィ! この戦いはお主の負けじゃ! 殺される前に逃げるのじゃ!』


 アウロラさまが叫んでいる。

 でも頭が朦朧として、なにを言っているのかまではわからない。


「おらよぉ!」


 乱暴に蹴り飛ばされた。

 わたしの小さな身体が吹き飛ばされて、ゴロゴロと転がる。

 仰向けになってようやく止まった。


『……マ……リィ! …………リィ!』


 意識が混濁してきた。

 なにがなんだかわからない。

 どうしてわたしは、こんな所で寝転がっているんだろう。


 空を見上げた。

 抜けるように高く、綺麗な青空。

 スラムの路地裏から見上げた空を思い出す。


 そういえば、あの日も頭上にはこんな晴れた空が広がっていたっけ。

 奴隷市場から逃げ出し、死にかけながら見上げた空を思い出す。

 アベルさまと出会い、救われたあの日のこと――


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 奴隷市場の檻に閉じ込められ、病にかかったわたしは、あとは死ぬのを待つばかりだった。


 看病など望むべくもない環境。

 日に日に体力が衰えて、痩せ細っていく体は骨と皮だけ。

 奴隷を買い付けにきた客たちが、わたしを一瞥し、汚らしいものでも見たかのように舌打ちをする。

 そんな毎日だった。


 思えばあの頃も、いまのように無様に檻のなかで倒れこみ、床に這いつくばっていた。

 わたしってなんにも変われてないんだなぁ。

 自分の不甲斐なさが滑稽で、ちょっとおかしい。


 わたしは悔しかった。

 生まれた環境や、ままならない生活。

 普通を望んでいるだけなのに、どうしてそこに手が届かないのか。


 でもわたしが一番悔しかったこと。

 それは自分の弱さだ。

 スラムでの毎日にみっともなく縋り付き、自分を変えようとしなかった弱さ。

 檻の中で無様に床を這い、己の弱さを噛み締めていた。


 弱いまま死ぬのは嫌だった。

 見返してやりたい。

 ほかの誰でもない。

 強くなって自分を見返してやりたい。


 でももうその願いは叶いそうにないと思った。

 わたしはこのまま朽ちていく。

 晒し者にされて衰えるだけの日々に、わたしはまた諦めていた。

 アベルさまはそんな絶望から、わたしを救い出してくれた。


 助けてくれたこと、それはとても感謝している。

 でもそれが、わたしがアベルさまを好きになった理由というわけじゃない。

 理由は他にある。


 わたしはアベルさまについて、魔王討伐の旅に出た。

 いつも荷物持ちをしながら、一番近くでアベルさまの後ろ姿を見つめていた。

 アベルさまはいつも、自分よりも強大な敵を相手に戦っていた。

 その理由は誰かの幸せを守るため。

 血反吐を吐きながらも、歯をくいしばって前に進むのだ。


 そりゃあアベルさまも言葉では怖いだのなんだのこぼすこともあったけど、いつも最後は唇をキュッと結んで、どんな相手にだって立ち向かう。


 わたしはアベルさまのそんな強さと優しさに憧れた。

 わたしもいつか、こんな強さを手に入れたいと、そう思うようになっていた。




 神剣となったアウロラさまを手にしてから、わたしは変わった。

 性格なんかは変わっていない。

 でも偶然、戦う力を手に入れた。


 魔大陸だって踏破できた。

 毎日の特訓も手を抜かずに頑張っているから、強くなっていく自分を実感していた。

 この闘技場でのトーナメントだって順調に勝ち進んだ。

 前回の優勝者にだって勝ったくらいだ。


 わたしは強くなった。

 ……そう勘違いをしていた。


 わたしは全然、強くなんてなかった。

 本質的にはなんにも変わっていなかった。

 ずっと弱いまま。

 アウロラさまの力を借りて戦っているだけだ。

 なのにそれを自分の強さだと思い込んでいた。

 あの日の弱さを克服したんだ。

 そう思っていた。


 あの仮面の男の一撃は、そんなわたしの慢心を粉々に打ち砕いた。

 わたしは、自分がなにも変わっていないと気付かされた。

 そうして動けなくなった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


『……ーリィ! ……起きよ! マーリィ!』


 わずかばかり意識が戻る。

 すぐ目の前に、ヒューベレンの拳が迫っていた。


「くぅ……!」


 身をよじってなんとか攻撃を躱した。

 血反吐を吐きながら立ち上がる。


「なんだぁ? 結構しぶといじゃねえか!」


 ヒューベレンが醜悪に口元を歪めた。

 わたしを嬲る愉悦に浸っている。


『よかった、気づいたのじゃなマーリィ! この戦いはもう負け戦! 早よう逃げるのじゃ!』


 アウロラさまの声を聞きながら、わたしは剣を構えた。

 神剣の重さに身体がフラつく。

 瞳に闘志を宿して、ヒューベレンを睨みつける。


『な!? 無理じゃ! 逃げよ! 殺されるぞ!』

「…………わたしは、逃げない」


 いまのままの自分は嫌だ。

 でももう、ただ強くなりないだけじゃない。


『強情をはるでない! 逃げることは恥ではないのじゃ! ヒューベレンを狙う機会もこれが最後ではない! 生きていればチャンスは必ずやってくる!』


 アウロラさまがわたしを想ってくれている。

 いまわたしとアウロラさまは、感覚を共有しているのだ。

 心配が痛いほど伝わってきた。


 でもアウロラさまは、ひとつだけ間違っている。


「……違う。これが最後。ここで逃げれば、もうわたしは戦えない」


 いまこの恐怖に背を向ければ、もう立てなくなる。

 それだけははっきりとわかる。


「……わたしは弱い。もうそれでいい」


 かつての悔しさ。

 強くなって弱い自分を見返したい。

 そんな想いはもうどこにもない。


 ほんのわずか……。

 でもたしかに、神剣が軽くなった気がした。


「弱いままでもいい。でも、決してあきらめない!」


 どんな恐怖にだって立ち向かってやる。

 わたしはようやく覚悟を決めた。

 心からの誓い……。

 魔王に堕ちたアベルさまを救うため、かつての勇者アベルのように!


『マ、マーリィ……。お主は……』


 神剣が輝きを増していく。

 黒く変じていた刀身が、元のように純白に戻り、光り輝く。


『おお……伝わる……。手に取るように伝わってくるぞ、マーリィ! お主の心! 弱い己を認め、それでも困難に抗う者……。それこそが、勇ましき者……』


 あんなに重かった神剣が、羽根のように軽い。

 握りしめた柄が、手のひらに吸い付いてくる。


『……いままで、妾は心のどこかでお主を認めきっていなかったのやもしれぬ。……だがいま! はっきりと認めよう!』


 神剣が進んで力を貸してくれている。

 真っ白な劔と一体化したような感覚。

 五感が研ぎ澄まされ、目にした景色が広がっていくように感じる。


『お主こそ妾を佩びるに相応しい! マーリィよ、いや神剣の勇者マーリィよ!』


 神剣の輝きが、世界を白く染め上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る