第26話 マーリィ07 特別試合

「どうなってんだ? Gブロックのネームレスがどっか行っちまいやがった」


 審判が駆け寄ってくる。


「Gブロック代表、試合放棄とみなす!」


 わたしの勝ちが告げられた。


 こうしてわたしはトーナメントの優勝者となった。

 でも実質的には、あの仮面の男の優勝だ。

 わたしはただ見逃されただけ。

 悔しさに下唇を噛む。


『マーリィ、話がある。あの男のことじゃ……』


 歓声のなか、アウロラさまが神妙に声を掛けてきた。

 なんだろう、改まって。

 出来ればあとにしてもらいたい。

 いまは心に余裕がない。


『……心して聞け。先ほどの狂った仮面の男。あの者は、アベルじゃ』

「…………え?」


 アベルさま?

 あの恐ろしい男が?


 そんな訳がない。

 アベルさまはいつも穏やかで、見ていると嬉しくなるくらい、笑顔が優しくて……。

 あんな、愉悦を漏らしながら暴力を楽しむようなひとじゃない。


『あやつから、魔王の力を感じた。……あの者は、あれは変わり果てた、アベルじゃ』


 アウロラさまが断言する。

 でもわたしはまだ半信半疑だ。

 そんなこと急に告げられても、消化しきれない。


「最後はすっきりしなかったけど、凄かったぜ!」

「ちっこいのー! 特別試合も期待してるぜー!」


 割れんばかりの喝采が、頭上に降り注ぐ。

 その只中で、わたしは呆然と立ち尽くした。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 わたしの心をへし折ったあの仮面の男が、変わってしまったアベルさま。

 信じたくない。

 受け入れられないまま、時だけが流れていく。


 ――特別試合の日がやってきた。


 闘技場へと赴いたわたしの足取りは重い。


『しっかりせよマーリィ! 今日の相手はヒューベレン。あやつは腐った臆病者だが、勇者パーティーに参加できるほどの実力者であることはたしか。そのような調子ではあやつを殺すことなど叶わぬぞ!』


 アウロラさまの叱責はよくわかる。

 いまのわたしはさぞ頼りなく見えるんだろう。


「……ん。わかってる」


 気持ちを切り替えなければいけない。

 なんのために帝都くんだりまでやってきて、闘技場トーナメントなんかに出場したのか。

 アベルさまより先に、刺青ハゲを殺すためだ。

 大丈夫。

 全部計画通りに進んでいる。


『本当にわかっておるのかのぅ。大丈夫か、マーリィ?』


 アウロラさまが心配している。

 きっと意気消沈していることを見抜かれている。


「……わたしは大丈夫」


 空元気を出してみた。

 けれども重苦しい空気は拭えない。

 これから行われる特別試合を前に、不安ばかりが募った。




 闘技場に入るといくつもの歓声が聞こえてきた。


「ひゅー! おちびちゃんが来たぜ!」

「待ってました! 今日もいい試合を観せてくれ!」

「拳王ヒューベレンを相手にどこまでやれるか、楽しみだぜ!」

「案外倒しちまったりしてな!」

「ははは、さすがにそれはねぇよ!」


 ヒューなんとかはまだ入場していない。

 観客席をぐるりと見回した。

 あの仮面の男は来ているのだろうか。


 目を皿にして客席を探すも、アベルさまかもしれない男の姿は見当たらない。

 あのひとは本当にアベルさまなのか。

 自分の目でしっかりと確認したい。


『……ぬ? あれは……。見てみよマーリィ。あそこにおるのが、シグナム帝国の皇帝じゃぞ』


 貴賓席の一段上に設けられた専用の観覧席。

 前面がガラス貼りの個室のなかに、豪奢な衣装を着た偉そうな男性がいた。

 あれが皇帝か。

 特別試合を観に来たのだろうが、まぁわたしには関係ないことだ。


 わっと歓声がした。

 なんだ?

 満員の観客たちが我先にと立ち上がり、その場で足を踏み鳴らし始める。


「英雄だー! 英雄ヒューベレンのお出ましだ!」

「常勝無敗の闘技場の王者!」

「ヒューベレンの試合をこの目で拝めるなんて!」


 割れんばかりの歓声だ。

 踏み鳴らされた幾千、幾万の足音が、地鳴りとなって闘技場を揺らす。


 ヒューなんとかが姿を現した。


 歓声が万雷となって降り注ぐ。

 耳がおかしくなるような音の洪水に、仮面の下で思わず顔をしかめる。


 刺青ハゲが皇帝席を見上げて一礼した。

 皇帝が頷き返す。


「「「ヒューベレン! ヒューベレン! ヒューベレン! ヒューベレン!」」」


 そういえばこいつの名前はヒューベレンだったか。

 刺青ハゲとしか覚えていなかった。


 ヒューベレンは不敵な笑みを浮かべながら、観客たちに向けて腕をあげた。

 それだけで闘技場は、さらに盛り上がる。

 皆が口々にヒューベレンを魔王討伐の英雄と賞賛する。

 帝国の誇りだと褒めそやす。


 けどわたしは知っている。

 こいつは欺瞞の英雄。

 ただの薄汚い裏切り者だ。


 ヒューベレンを見ていると、沈んでいた心に火がともり始めた。

 あの裏切りの夜を思い出す。

 アウロラさまを組み敷いたこの大男。

 わたしを何度も殴りつけ、アベルさまを裏切った汚らしい下衆野郎。

 怒りが胸に渦巻いてくる。


「……殺してやる」

『うむ。こやつは許せん』


 闘技場の中央でヒューベレンと向き合う。

 やはり大きい。

 成人男性の平均を遥かに超える巨躯。

 真っ白な拳闘士用の胸当てから伸びた腕は、はち切れんばかりの筋肉に覆われている。

 全身から顔に彫られた刺青が、なんとも厳(いかめ)しい。


 ヒューベレンが威圧的な目で、わたしを見下ろしてきた。

 睨み返してやる。


「んだぁ? 聞いてはいたが、ホントに糞ガキじゃねえか。こんなのが優勝者だなんて、闘技場も落ちたもんだぜ」

「……うるさい。黙れハゲ」

『そうじゃ! お主などこそこそと隠れておったくせに。この筋肉ダルマの臆病者!』


 ヒューベレンが凶暴な笑みを浮かべた。


「いい度胸じゃねえか、糞ガキ。軽く捻って終わりにしてやろうと思ったが、気が変わった。嬲り殺しにしてやるよ」

「やれるもんならやってみろ。能無しの木偶の坊」

『そうじゃ、この……えっと、この……。うーむ、マーリィのようにすらすらと悪口が出てこんのじゃ』


 審判が割って入ってきた。


「ルールはひとつ。己が力で相手を倒すこと。特別試合は皇帝陛下もご覧になっている。死力を尽くして戦うのだぞ!」

「ぎゃはは! こんな糞ガキ相手に、死力も糞もねえっての!」


 相変わらず癪に触る笑いかただ。

 みていろ裏切り者。

 すぐに思い知らせてやる。


「それでは、開始位置まで下がって」


 ヒューベレンを睨みつけながら、距離を置く。


「試合、はじめ!」


 特別試合の幕が切られた。




 試合の開始にどっと歓客が湧く。

 直後、わたしはヒューベレンに向けて飛び出した。

 ずしりと重い神剣を大きく振りかぶり、叩きつけるように振り下ろす。

 だがほぼ同時にヒューベレンもわたしに殴り掛かってきていた。


「うらぁあああああああああ!」

「死ねやボケえええええええ!」


 剣とナックルがぶつかり合い、ガキンと硬質な音がした。

 威力はほぼ互角。

 ヒューベレンが驚いた顔をみせる。


「はん! ちょっとは遊べるみたいだな!」


 凶暴な笑みを浮かべて、わたしを睨んできた。

 負けじと仮面の下から睨み返す。


「こっちのセリフ。お前は楽に死ねると思うな」

「抜かせ、糞ガキ! 俺のオリハルコンナックルに砕けねえもんはねえんだよ!」


 ヒューベレンが連続攻撃を仕掛けてきた。

 左右のコンビネーションブローから、地を這うようなボディブローを打ち上げてくる。

 一瞬体が固まった。


『ぬ!? どうしたのじゃマーリィ! 動きが鈍いぞ! 戦いに集中せい!』

「わ、わかってる!」


 いまの硬直はいったい……。


 神剣の柄で間一髪攻撃をガードする。

 だが勢いを殺しきれずに、わたしは宙に打ち上げられてしまった。


「おらぁ! 死にさらせぇ! 双竜連脚!」


 空中に向けてハイキック。

 さらに体を捻って上空に後ろ回し蹴り。

 流れるような連続に、わたしは防戦一方だ。


『なにをしておる! 守るでない、攻めるのじゃ! それがお主の戦いかたじゃろう!』


 わかっている!

 わかっているのだけど、体が思うように動かない!


「ぐはっ……!」


 地面に落ちてバウンドする。

 苦しい……!

 衝撃が身体中を襲い、肺の空気が押し出された。


「くそ!」


 すぐに跳ね起きて体勢を整える。

 けれどももう、ヒューベレンはすぐ目の前まで迫ってきていた。


「はっはー! やっぱり雑魚じゃねえか!」


 大きな拳を握りしめ、振り上げる。

 打ち下ろしの右チョッピングライトの予備動作。

 躱さなければ……!


「――ッ!?」


 まただ!

 また、体が硬直してしまった!


「ふはぁ! 脳みそぶち撒けやがれ! ぎゃはは!」


 脳裏にあの瞬間が浮かんだ。

 あの恐ろしい仮面の男。

 アベルさまかもしれないあのひとが放った、圧倒的な破壊の拳。

 わたしの心を叩きのめしたあの一撃と、目の前の拳が重なる。


「あ……」


 無防備を晒してしまう。


『避けよ! マーリィ! マーリィ!』


 振り下ろされた一撃が、仮面を砕き、わたしの細い体を吹き飛ばした。

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