第18話 アベル12 磔の標本

 気付くと椅子に括り付けられていた。

 身動ぎしようと腕や肩を揺らすが、頑丈な鎖に縛り付けられ、椅子がガタガタと揺れるだけである。


「くくく……。ようやく意識を取り戻したか……」


 目の前でラーバンが嗤っていた。


「……貴様ぁぁッ」


 ラーバンはかちゃかちゃと音を立てながら、拷問器具を選んでいる。

 その表情は愉悦に歪んでいる。


「くけっ、アベルぅ。お前は特に念入りに痛ぶってやるから、覚悟しておけ。くけ、くひひひひひひ!」


 床に目を向けた。

 そこには陵辱し尽くされた女の死骸が転がっている。

 どうやらこの狂った聖騎士は、俺もこの女と同じ目にあわせて殺すつもりらしい。


「くひ、そうだ……。いいことを思い付いたぞ!」


 拷問器具から手を離して、縛られた俺に振り返る。

 無邪気な笑顔で嗤っている。

 こいつのことだ。

 どうせろくでもない思いつきなのだろう。


「おま、お前はこれで、きき、切り刻んでやる! ひひひ……!」


 ラーバンが腰に佩いた剣を抜き、見せつけてきた。

 その細かな意匠の施された真っ白な剣は、淡く光を放っていた。

 まるで神剣ミーミルのような……。


「おいアベルぅ? こいつがなにか分かるかぁ?」


 愉悦の表情を浮かべながら、ラーバンが剣に舌を這わせる。


 嫌な予感がした。

 ドクンと胸のうちで闇が脈打ち、どす黒い悪意が身体中を駆け巡る。

 漏れ出した瘴気が、俺から靄のようにのぼりたつ。


「くけけ! ど、どうやら察したようだなぁ! そうだ! これはアウロラの剣! あ、あのスカした女を滅多刺しにして、殺して抜き取った牙や爪を、剣に加工したものだぁ!」


 ラーバンが荒い吐息を吐きながら、刀身に頬ずりをした。

 恍惚としている。


「ぐ、ぐぅぅう! ラーバン……、貴様ぁぁ……!」


 狂った聖騎士が、汚らしい舌で、アウロラだったものをねぶり回す。


「はぁ……、はぁ……。お、お前が大好きだったあの女で打ったこの剣で、お、お前を、なな嬲りものにしてやる! きひひっ! どうだ、嬉しいだろぉ? めめめ滅多刺しだ! すぐには、し、死ぬなよぉ? アウロラのように、俺、俺を満足させろ! あぁ、あの女は良かったなぁ……。刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても刺しても死ななくて! くひひひひひひひひひひひひひ……!!」


 殺してやる……!

 ぶわっと髪が逆立った。

 溢れ出る怒りに、思考が真っ赤に染まっていく。


 いまも辱められたままのアウロラを前にして、自制のリミッターが吹き飛んだ。


 後のことなどもう考えられない。

 目の前こいつを……。

 この残虐な悪鬼を、ぶち殺したい!


 胸の奥から無限の闇が吹き出し、魂を染め上げていく。


「ぐルぅぅゥ……! ラぁばぁンんんン……ッ! 貴様だケは、殺ス……ッ!」


 黒の瞳孔が縦に瞳を引き裂いた。

 獣のように剥き出した犬歯が長く伸び、膨れ上がった手足には、強靭な鉤爪が備わっていく。


「グルゥオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 魔王の力が解放された。

 凝縮された濃密な瘴気が炎のように吹き出し、俺の姿を漆黒の闇へと変えていく。

 俺を縛り付けていた鎖が弾け飛んだ。




「な、ななな、なんだその姿はぁぁあ!?」


 ラーバンが飛び退いた。

 それを追いかける。


「く、くるなぁああ!!」


 大きく一歩を踏み出す。

 たったそれだけでやつに追いついた俺は、身を捩り、腕をひいて、拳を握りしめる。

 破壊の力が、鉄槌のごとき握り拳に満ちていく。


「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 殺意を込めて睨みつける。

 逃げるラーバンに向けて、力を解き放った。


「く、くそがぁ! 舐めるなぁあッ!!」


 構えられた聖盾に、唸りをあげた俺の拳がぶつかる。

 轟音が鳴り響く。

 ぐしゃりと音がなり、拳が聖盾を打ち砕いた。


「ば、馬鹿な! 俺の盾が――ぎゃはぁあッ!?」


 インパクトの衝撃が盾から突き抜けた。

 やつの手から腕、腕から肩に通った破壊の力が、皮膚と骨と筋肉をばらばらに粉砕する。

 ぐしゃぐしゃに捻られたように、ラーバンの腕が潰れた。


「ぎぃゃあああああっ!!」


 心地の良い悲鳴が上がる。

 猛烈な勢いで吹き飛ばされたラーバンの体が、どかんと壁にぶつかり、大きなクレーターを穿った。

 地下室がぐらぐらと揺れる。


「ぎゃ、ぎゃはぁ……!」


 ラーバンは激しく吐血して、気を失った。

 血反吐を吐いて気絶したその姿は、まるで標本に打ち付けられた蟲だった。




「ぐるゥぅウ……」


 魔王化したまま、磔になったラーバンに近づく。

 殺したい。

 いますぐ拳を顔面に叩き込んで、こいつの頭を吹き飛ばしたい。


「ぎぃイぃいルゥ……!」


 だめだ!

 堪えなくてはならない。


 黒い悪意は容赦なく魂を侵食してくる。

 だが俺は歯を食いしばり、魔王の破壊衝動を意志の力でねじ伏せる。


 頭を吹き飛ばす?

 そんな楽な殺し方はさせない。

 この衝動に身を任せてしまえば、恐らく俺は一瞬のうちにラーバンを八つ裂きにしてしまう。


 そんなことは許さない!

 ラーバンは俺の獲物だ……。

 こいつには、生まれたことを後悔するほどの苦痛を与えてから殺す。

 そう決めている。

 魔王の衝動に任せて、一瞬で楽になどしない!


「ふぅぅ……! ふぅぅぅぅぅ……ッ」


 猛り狂う俺自身の憎しみで、呪われた魔王の殺意を再び胸の底に沈めていく。

 魔王化を解除した。


「――ッ!? ぐぁああ……!?」


 途端に侵食された魂が、激しく痛み出す。

 その痛みはやがて全身に手を伸ばし、四肢の末端にいたるまでを激痛が襲う。


「あがぁ……。ぐ、ぐぁぁあああああああああああああああああああ、ぎぃうがああああああああああああああああああああっ!!!!」


 地下室に絶叫が木霊する。

 俺は背中を丸め、体がばらばらになりそうなほどの苦痛を耐え忍んだ。




 ようやく痛みがおさまった。

 ラーバンの手から離れ、床に放り出されたアウロラを取り返す。


「……アウロラ」


 丁寧に鞘にしまい、背中に担いだ。

 これでふたつ目。


 磔になったラーバンに歩みよる。

 前髪を掴んで、顔をあげさせる。

 頬に拳を打ち込んだ。


「起きろ」

「あぐぁ!?」


 もう1発。もう1発。

 何度でも、何度でも、起きるまで拳を振るう。


「ひゃ、ひゃめろ……。もう、気づいてる……」


 殴る。

 頬を、目を、唇を、鼻面を……。

 何度も、何度も、殴り付ける。


「起きろ」

「ひゃめ、て……くれ……。起きて……る……」

「ああ、すまんな。気付かなかった」


 壁から剥がして、床に放り投げる。

 血の海に這い蹲らせ、後ろから頭を踏みつけた。


「ぐふぅ……!」

「どうだラーバン、血の味は? うまいか?」


 この血の海は、こいつが女を拷問した跡だ。

 自ら作り出した地獄に溺れることが出来て、こいつもさぞ嬉しかろう。


「ま、待ってくれ、アベル……」

「なんだ?」

「こ、交渉だ……。交渉しよう。ク、クローネとヒューベレンとモンテグラハの情報をやる。だから、私のことは見逃してくれ……!」


 こいつは馬鹿なんだろうか。

 情報は、当然引き出す。

 だがそれで俺が、この悪鬼を見逃すはずがない。


「クローネならもう殺した。いい声で呪詛を吐き散らしながら地獄に堕ちたぞ? くく、くくく……」


 泣き喚きながら首を落とされたクローネ。

 あの女の無様な死に様を思い出して、暗い笑いがこみ上げてくる。


「次はお前の番だ。クローネが地獄で待ってるぞ?」

「く、くそぉ……」


 ラーバンは這いずりながら逃げようとしている。

 惨めな蟲のようだ。


「おいおい、どこにいく?」


 背後から歩み寄り、腰を踏み砕いた。


「ぎゃあ!!」


 そのまま首を掴み、無理やり引きずっていく。

 椅子に座らせ、手足を縛った。


「……な、なにをするつもりだ?」

「くくく……。お前が一番良く知ってるんじゃないのか?」

「ひぅ!?」


 ラーバンが引き攣ったような悲鳴を漏らした。

 座らせたのは拷問椅子。

 自分のこれまでの行いを思い出し、それが己が身に降りかかることを想像している。


「や、やめ……。やめてくれ……」

「くくく、そう言わずにお前も楽しめ。好きなんだろう、拷問。知っているぞ? お前、愉悦以外の感情が薄いらしいなぁ? その怯えも演技なんだろう?」


 優しく笑いかける。


「取り戻させてやるよ。……恐怖と痛みを」


 ラーバンがガタガタと体を揺らす。

 しかし拷問椅子はその程度ではビクともしない。


「そうそう、ラーバン。お前を喜ばせてやろうと思って、面白い趣向を凝らしてみたんだ。そろそろ来ると思うんだが……」


 丁度そのとき、地下室の扉が、ぎぃと音を立てて開いた。

 ひとりの女が顔を見せる。


「だ、誰だ……?」

「紹介するよラーバン。彼女はセーラ。お前に復讐する権利を持つ、もう一匹の復讐鬼だ」


 縮こまりながら室内を見回していたセーラは、椅子に縛り付けられたラーバンを見て、瞳に暗い炎を宿した。

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