第16話 アベル10 姉妹の悪夢

 宗教都市ルルホト。

 人類大陸の東に位置するオット・フット都市連合国の中核をなす、主要都市のひとつだ。


 俺は群衆にまぎれ、演説が始まるのを待っていた。

 ここルルホトでは、定期的に、都市の代表たちが演説を行っているらしい。

 市民に対する人気取りなのだろう。


 演説の内容などには興味がない。

 俺はあの悪鬼どもを葬り去ることにしか、興味がない。

 こうして待っているのは、ここには聖騎士ラーバンがいて、演説に姿を見せることがあるらしいからだ。


「お、出てきたぞ!」

「英雄のご登場だ!」


 わっと歓声が上がった。

 周囲の声につられて、遠くの演説台を眺める。


 司祭服を着た初老の男が、幾人もの護衛に囲まれて壇上にあがった。

 だがこんなやつはどうでもいい。

 俺の目は、その後ろに控えている男に釘付けになった。


「ラーバン……ッ!!」


 ギリギリと奥歯を噛み締めた。

 目深に被ったフードの下から、悪鬼を睨みつける。

 止まったままの心臓にかわり、無限の闇が激しく脈動を始めた。


 いますぐあの悪鬼をなぶり殺したい。

 手足を斬り落とし、あいつが虫のように地面を這いずり回る姿を嘲笑ってやりたい。


 激しい殺意が全身を駆け巡る。

 この黒い衝動は、魔王に魂を侵食されつつある影響だろうか。

 それとも、俺自らの奥底から這い上がってきた願望だろうか。

 もはや判別がつかない。


「ぐぅぅううう……! ラーバンんんん……ッ!」


 呻きながらも必死に自制する。

 ここで襲いかかるのは悪手だ。

 いま襲っても恐らくは逃げられる。

 そうして俺が蘇ったことが知れれば、警戒されてしまうだろう。

 殺すなら逃げ場のない場所だ。


 遠くの聖騎士を睨みつける。

 青みがかった長髪に、紺色の瞳。

 蒼銀の鎧を身につけた端正な顔だちのラーバンが、優しげな微笑みを浮かべて、手を振っている。


「きゃあああああ! ラーバンさまぁ!」

「いま、わたしに手を振ってくださったわぁ!」

「ラーバンさまぁ! お慕いしておりますぅ!」


 女どもが揃って黄色い声をあげる。

 だがその中にひとりだけ、異質な女がいた。

 目が死んでいる。


 年の頃は二十というところだろうか。

 栗色の髪をした町娘といった風貌の彼女は、視線に強烈な殺意を込めて壇上を睨んでいた。


 まるで俺と同じような濁った瞳……。


 女がくるりと歓声に背を向けた。

 この場を立ち去っていく。

 俺はその女が気になって、後をつけることにした。




「……おい、お前」


 薄暗い小道で、背後から声を掛けた。

 呼び止めた女が、ゆっくりとこちらを振り向く。


「……なんですか?」


 警戒されている。

 だが俺は、気になったことを尋ねるだけだ。


「お前が睨んでいた相手はラーバンか?」

「……ッ」


 女が警戒を強めた。

 ジリジリと後退(あとずさ)りしていく。


「……だったら、なんなんですか?」


 やはりこいつはラーバンに恨みをもつ者のようだ。


 一考する。

 俺は着いたばかりで都市に疎い。

 たとえばラーバンの行動パターンや、逃さずに襲える場所。

 もしあの悪鬼に恨みを持つこの女が、そういった情報を持っているのであれば、引き出したい。


「俺は、ラーバンを殺しにきた」


 女が息を呑む。

 正直に告げてみたが、当てが外れていた場合、この女を消さなければならない。

 俺のことを言い回られては困るのだ。

 いまならちょうど、目撃者もいない。


 女はじっと、俺の目を見ている。

 復讐鬼と成り果て、暗い殺意を宿したこの目を。


「……本気みたいですね」

「当たり前だ」

「……本当に、ラーバンを殺せるんですか?」


 無言で頷く。


「ついてきてください」


 女が背を向けた。

 通りを曲がって、路地へと消えていく彼女の背中に続いた。




 女の家は、日の差さない路地裏の奥まった場所にあった。

 案内されて玄関をくぐる。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね。わたしの名前はセーラ。……妹とふたりで暮らしています」


 なんでも彼女たちには親はいないらしい。

 幼い頃に捨てられたとのこと。

 以来、彼女たちは姉妹で助け合い、互いを支えにしながらなんとか生きてきたそうだ。


 狭い部屋に案内される。


「紹介します。……妹の、ラミーです」


 その部屋には小さなベッドが置かれていた。

 白いシーツを敷いた、木製の簡易ベッド。

 古びてはいるが、清潔にしてある。

 きっとセーラがしっかりと掃除しているのだろう。


 ベッドには少女が寝かされていた。


「ほらラミー。お客さんよ。珍しいでしょう?」


 名前を呼ばれた少女は、反応を返さない。

 ずっと天井を眺めたままだ。


 俺は少女の全身を眺める。


「…………なにがあった?」


 尋ねると、セーラが辛そうに俯いた。


 その少女、ラミーは異常だった。

 頭部には半分ほど髪がなく、焼け爛れた地肌が剥き出しになっている。

 左手の指はすべて欠損し、右腕は肘から先がない。

 服の上からわかる乳房の膨らみは、片側だけしかなく、もう一方は失われている。

 シーツをかけた下半身には、本来そこにあるべき盛り上がりがなかった。


「……この仮面は?」


 ラミーは仮面で顔を覆っていた。

 眼球が片方ない。

 仮面で見えないが、膨らみからして恐らく、鼻が削ぎ落とされている。


「……顔は、見ないでやってください。……この子のためにも」


 仮面の下からわずかにみえるラミーの口元が、もごもごと動いていた。

 耳を寄せてみる。


「……こ……して。あぃ、っも……わたし、も……」


 切り取られた舌で、壊れた少女が絶望を吐き出していた。


「……部屋を、変えましょうか。この子には、話を聞かせたくありません……」


 俺は彼女に、黙って頷いた。




 セーラは訥々とつとつと語り出した。

 ラミーはあるとき、とある屋敷の女中として雇われたらしい。


『えへへ、お姉ちゃん。これでわたしたちもやっと普通の生活が出来るね! いえーい、貧乏脱出ぅ!』


 ラミーははしゃいで、幸運を喜んだそうだ。

 雇い主は聖騎士ラーバンで、勤め先は郊外にある彼の別邸だった。


『そうそう、お姉ちゃん。こんな話があるんだよ! なんでも真面目に働いて認めて貰えれば、別邸じゃなくて、ラーバンさまの本邸で働けるようになるかも知れないんだって!』


 別邸の女中は、気付けば居なくなることがある。

 それは本邸の女中として採用されたから。

 そうラミーは聞かされていたらしい。


 話をしながら、セーラは膝の上で拳を握りしめた。


「でも……。でも実際にはそうじゃなかった……!」


 握った手のひらに爪が食い込み、裂けた皮膚から血が滲み出す。


「……続きを話せ」

「別荘には、地下室がありました。ラミーたち女中は決して近寄ってはならないと、厳重に言い含められた場所だったそうです」


 ある日、ラミーが消えた。

 帰ってこなくなったのだ。


 セーラは屋敷の管理者に問い合わせた。

 するとラミーは本邸採用になって、もう出発したという返答があった。


「信じられませんでした。ラミーがわたしに、何も話さないはずがない。だってわたしたち姉妹は、ずっとなんでも相談しあって、喜びも苦しみもわかちあって生きてきたんだから」


 妹が忽然と消えたことに納得が行かなかった彼女は、ラーバンの別邸に忍び込んだ。

 ラミーから聞いていた地下室が怪しい。

 厳重な警備をどうにかくぐるごとに、疑念は確信へと変わっていく。


「わたしは発見しました。ち、地下室で……、ち、地下室で、あんな、無残な姿にされたあの子を……! ぅぅ……、ぅぅう……っ」


 凄惨な現場を思い出したのだろう。

 セーラが泣き崩れた。


 彼女は必死になって、地獄から妹を運び出したらしい。


「お願いです……! どうか……っ、どうかあの子の仇を……。ラーバンを、殺して……!」


 彼女からこぼれ落ちた大粒の涙が、床を濡らした。

 悲痛な泣き声が部屋に響く。


「ぅ……。ぅう……っ。どうか……。どうか、あの悪魔に裁きを……」


 この姉妹の悪夢は、きっといまもまだ続いている。


「……わかった」


 崩れ落ち、嗚咽する彼女を見下ろして、俺はひっそりと頷いた。

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