第29話 アベル16 特別試合第2戦
特別試合の日がやってきた。
俺は客席に紛れ、闘技場を見つめる。
「英雄だー! 英雄ヒューベレンのお出ましだ!」
「常勝無敗の闘技場の王者!」
「ヒューベレンの試合をこの目で拝めるなんて!」
割れんばかりの歓声があがった。
大勢の足踏みで闘技場が揺れる。
「ヒューベレン……! ぐルるゥ……!」
仮面の下で、伸びた犬歯を剥きだす。
奥歯をぎりぎりと噛み締めて、姿をみせたヒューベレンを睨みつける。
ようやくあの顔を拝むことができた。
あの薄汚い裏切り者の顔を……!
「ぐグぅゥ……!」
いますぐ飛び出して、あの悪鬼を地獄に送り返したい衝動に駆られる。
顔を殴りつけ、脚を叩き折り、惨めたらしく地面に這いつくばらせてやりたい。
次から次へと殺意が湧き上がってくる。
だが俺を踏み止まらせるものがあった。
それはいま闘技場に立ち、ヒューベレンと戦わんとしているマーリィの存在だ。
「ウぅぅ……。ふシゅルゥ……」
獣じみた吐息を吐き出す。
マーリィとの対決で、またしても黒い破壊衝動を解き放った俺の魔王化は、もはや止めようもなく加速度的に進行していた。
すでに仮面とマントで隠された体は、人間の姿すら保ってはいない。
顔には凶相が浮き上がり、瞳も牙も爪も、まるで猫科の猛獣を思わせる様相に様変わりしている。
理性も薄れてきた。
いま飛び出せば、俺は猛り狂う衝動にまかせて、破壊の限りを尽くすだろう。
マーリィすら殺して暴れ続けてしまう。
湧き出す殺意を抑え込む。
巻き添えでマーリィを失いたくはない。
なんとかヒューベレンとふたりになるチャンスはないだろうか。
試合後、どうにかして尾行する。
逸る気持ちを抑えながら、戦いの成り行きを見守った。
マーリィがいたぶられている。
ヒューベレンに何度も蹴られ、地面に叩きつけられている。
だがマーリィは倒されても倒されても立ち上がる。
いったいなにが彼女をそうさせるのか。
わかっている。
小さな彼女は、がむしゃらになって俺を救おうとしているのだろう。
ヒューベレンを先に倒し、これ以上俺が魔道に堕ちてしまわないようにと……。
またマーリィが叩きのめされた。
蹲る彼女の細い体をヒューベレンが所構わず蹴りつける。
「ヒュー……、ベレン……!」
ぎりぎりと歯を鳴らす。
憎い。
あいつが憎い。
俺からアウロラを奪ったあの悪鬼。
俺にとってマーリィは、たったひとつこの世に残された幸せの残火。
やつはいま、アウロラを殺しただけに止まらず、そのマーリィすらも殺そうとしている。
我慢仕切れず、足を踏み出した。
わぁわぁとうるさく騒ぐ観客を押しのける。
「なんだてめえ! 強引に割り込んでくるんじゃねえよ!」
「……退ケ」
「ひぃ!?」
俺から発せられる異様な雰囲気を察したのか。
観客が短く悲鳴をあげて道をあけた。
次々と観客たちを掻き分けながら、前へと進んでいく。
しかし俺はまだ迷っていた。
あそこに行って暴れても大丈夫だろうか。
もしまた魔王の力を解放すれば、今度こそもう戻ってこれなくなるのではないか。
……葛藤が俺の足を鈍らせる。
闘技場ではマーリィが再び立ち上がって、ヒューベレンに相対していた。
思わず足を止めた。
小さな彼女を見つめ、その姿にかつての自分を重ね合わせる。
勇者だった頃の俺。
ただ愚直に、真っ直ぐに、信じた正義を貫いていたあの頃。
マーリィの姿に遠い日を思い出す。
その気高い姿に魂が震えた。
俺も、あんな勇者であり続けたかった。
「なんだ!? あの光は!」
観客たちがざわめく。
マーリィの持つ神剣ミーミルが、眩く輝き始めた。
闘技場を覆った光はやがて、一振りの剣に収束していく。
「なんだったんだ、いまの光は!?」
「ちっこいのが持ってるあの剣だ!」
そうか。
ついにマーリィは、神剣に認められたのか。
ボロボロになった姿を見つめる。
神剣の勇者マーリィ。
その誇り高き姿を瞠目する。
俺はなにを弱気になっていのだろう。
次に魔王化すれば、マーリィすら殺して暴れてしまう?
たしかに俺はもう、引き返せない場所まで来てしまった。
だがまだ完全に魔王になったわけではない。
ならせめて、己から湧き出す破壊衝動くらいは抑えてみせる。
目の前で戦い続ける彼女のように!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
マーリィにとどめを刺すべく、ヒューベレンが固めた拳を解き放った。
そこに割り込み、突きを受け止める。
ドスンと重たい音がなった。
「な、なんだてめえは!? いつの間にそこに!?」
ヒューベレンの拳を握りしめる。
目の前が真っ赤に染まっていく。
「ぐルぅ……」
殺したい。
いますぐこの悪鬼を八つ裂きにしたい。
だがここで理性を失ってはいけない。
誓ったばかりではないか。
まだ俺は魔王にはならない。
この破壊衝動を御してみせる。
神剣を覚醒させた、マーリィのように気高く!
「久しいな。会いたかったぞ、ヒューベレン」
抑揚をおさえて話す。
大丈夫だ。
まだ俺は、俺でいることが出来ている。
掴んだ拳を離すと、警戒したヒューベレンが飛び退いた。
相変わらず臆病で慎重なやつだ。
「……ア、……アベル……さま……」
背を振り返る。
地面に倒れ伏したマーリィ。
気絶した彼女を胸に抱き、神剣ミーミルを引きずって闘技場の隅に寝かせる。
「てめえは誰だつってんだろ! おい審判! 飛び入りだ! 試合を中断してこいつを摘みだせ!」
審判が慌てて走ってきた。
「む……? その姿、お前はGブロック代表のネームレスか?」
問いには応えず、審判を押し退ける。
ヒューベレンのいる闘技場中心まで歩いていく。
ここからは俺の復讐だ。
「ま、待ちなさい! お前はすでに失格している! 特別試合を戦う権利はない!」
審判が縋り付いてきた。
復讐の邪魔をするつもりか?
なら排除するだけだ。
殴り飛ばそうと腕を振り上げる。
そのとき、頭上から声がかかった。
「よい。やらせよ」
顔を上げる。
貴賓席のさらに一段上。
そこに設けられた豪奢な観覧席から、ひとりの男が闘技場を睥睨していた。
見覚えがある顔。
たしかあの男は軍事国家シグナム帝国の皇帝だ。
「聞いているぞ? そこの仮面の男、トーナメント決勝で、優勝した少女を圧倒していたそうだな」
審判が戸惑いはじめた。
ヒューベレンが皇帝を見上げる。
「そこの男の戦いを観てみたい。余が命じる。仮面の男と英雄ヒューベレンの特別試合を執り行え」
ヒューベレンが皇帝から顔を背け、ちっと舌打ちをした。
皇帝公認の公開処刑か。
邪魔をしないというのなら、もうなんでもいい。
早くヒューベレンを殺したい。
「ほんとだ! あいつGブロックのネームレスだ!」
「さすがは皇帝陛下! 俺もあいつとヒューベレンの試合がみたいぜ!」
「ひゅー! マジかよ! 粋な計らいじゃねえか!」
観客が湧いた。
ヒューベレンが忌々しげに俺を睨んでくる。
「ち、糞が……。皇帝の命なら仕方ねぇ。……まぁ万一にも俺様が負けるわきゃねえんだ。さっさと殺して終わりにしてやる」
審判が試合を取り仕切りはじめた。
促されるまま、闘技場中央でヒューベレンと対峙する。
ドクンと無限の闇が脈動する。
胸の奥底から染み出してきた黒い殺意が、全身に染み渡っていく。
悪鬼を殴り殺せる予感に、身体が震えた。
「……ぐゥぅ、ヒューベれン。貴様は楽ニ死ねルと思うな」
瘴気が俺を包み込む。
理性が破壊衝動に塗り替えられていく。
ぶつけたい。
この煮えたぎるような憎悪を、目の前の裏切り者にぶつけたい。
「地獄の苦痛を与えテから、殺シテやる……!」
「はぁ? なんだてめえ? やれるもんならやってみろボケが! 返り討ちにしてやるよ!」
睨み合い、殺意をぶつけ合う。
試合の開始が告げられた。
開始早々、ヒューベレンが拳を放ってきた。
様子見とばかりに放たれた一撃。
それを全力の拳で迎え撃つ。
「ぐるゥオおおおおおおオおおオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ふたつの拳がぶつかり合った。
力の限り殴り飛ばす。
ヒューベレンの拳がぐしゃりとひしゃげ、手首から肘を伝う衝撃が、やつの右腕を完全に破壊した。
「な、なにぃ!? うぎゃああああああ!」
「フシュるぅうう……!」
無造作に前蹴りを放つ。
狙った先はやつの腹だ。
ヒューベレンが膝をあげ、咄嗟にガードしようとした。
だが俺の蹴りはやつの膝を粉々に砕いた。
そのまま腹部を蹴り抜く。
腹の一部が吹き飛んで、臓物が撒き散らされる。
「うげぇええええ! ぐぁはあああああ!」
汚らしい血を吹き出しながら、ヒューベレンが地面をのたうち回る。
夢にまで見たその光景に、胸の奥が疼きはじめた。
「がぁ! がはぁ! な、なんだその力は!?」
もっと……。
もっとだ……!
この悪鬼に地獄の苦しみを!
噴き出した瘴気が俺の全身を覆う。
殺意が燃え盛る黒い炎となって、俺を漆黒に染め上げていく。
激しい瘴気にマントが吹き飛んだ。
仮面が弾け飛び、狂った愉悦を浮かべたままの素顔が晒された。
それをみてヒューベレンが息を呑む。
「……ッ!? て、てめえはアベル!? い、いやその貌はアベルじゃねえ? い、一体なんなんだ!?」
「正解ダよ、ヒューベレン」
倒れたヒューベレンの首を掴み、持ち上げる。
「おレはもうアベルじゃない……。貴様ヲ地獄に送るたメ、死の淵かラ舞い戻ッた復讐鬼だ……!」
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