第30話 アベル17 断罪03 名もなき怪物

 ヒューベレンの傷が修復されていく。


 腹部は一部が吹き飛んで、臓腑が撒き散らされている。

 普通であれは死ぬほどの深手だ。

 だがヒューベレンは死なない。

 こいつが身につけた白い胸当て。

 古龍の心臓と不死鳥の尾羽を使った、その伝説級の装備の再生能力があるためだ。


 再生していく悪鬼を凝視しながら、奥歯を噛みしめる。


「死後すらも、アウろラを弄びツづける鬼め……」


 俺の身体から更なる瘴気が噴出した。

 噴き出した瘴気が大気を歪めていく。


 ヒューベレンの首を掴んだまま、宙吊りにした。

 苦しそうに咳き込みながら、裏切りものがジタバタと脚を動かしている。


「ゴ、ゴホッ! ま、待ってくれ! やっぱり、てめえ、アベルなんだろ? どうやって蘇ったかは知らねえが、俺とお前のよしみじゃねえか! な?」


 手のひらを広げた。

 俺の手のひらは、猛獣の四肢のように大きく膨れあがっている。

 無言でそれを、ヒューベレンの横っ面に叩きつけた。


「ぇぷぎゃあああ!!」


 耳が潰れ、頬が抉れてあごが吹き飛ぶ。

 しかしこの傷も瞬時に再生されていく。


「や、やめ! やめろ!」

「グルるぅゥ……」


 繰り返し、繰り返し頬を叩く。

 治るたびに何度も顔を潰していく。


「ぎゃはぁああ! いでえ! いでえよ! まままま待て、待ってく――あぎゃあはぁ!」


 やつの巨体を乱暴に投げ捨てた。

 地面に足をつけたヒューベレンが、すかさず攻撃を仕掛けてくる。


「糞がぁ! 調子に乗ってんじゃねえ! 俺を誰だと思っていやがる! 英雄ヒューベレン様だ!」


 ヒューベレンがハイキックを放ってきた。

 狙いは俺の頭部。

 丸太のように太い脚が、唸りをあげて襲いくる。


「おらぁあああああああ!!」

「がぁあアアぁアあああ!!」


 手刀で、蹴りを迎撃した。

 悪鬼の大腿部を強かに打った俺の手刀は、腿の筋肉をミシミシと引き裂き、骨を砕いていく。


「ぎぁゃああああ!!」


 倒れ込もうとするヒューベレンのあごを蹴り上げた。

 ぐしゃっと顔の下半分が潰れて、目玉が飛び出す。

 やつの巨躯が浮きあがった。


「ぐるぅウう……!」


 拳を握り、腕を振り上げた。

 固めた拳に破壊の力が満ちていく。

 ドクンと胸の奥で、無限の闇が蠢いた。


「ひゅぃ!? ひゃめ、ひゃめろ、やめ゛え……!」


 宙に打ち上げられ、無防備を晒したヒューベレンが引き攣った悲鳴を漏らす。


「グゥぅるルぅぅゥ……!!」


 強く拳を握りしめる。

 拳に凝縮された魔王の力が、陽炎のようにゆらゆらと揺らめき、空間すら歪めていく。


「グォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 破壊の力を解き放った。

 大気が渦を巻き、どす黒い殺意とともに俺の拳に纏わりつく。


 拳がヒューベレンの腹部をとらえた。

 捻じり込まれた力が、やつの体内で爆発する。

 肉を裂き、臓物をひとつ残らず破壊し、骨を粉砕していく。


「うぼぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 ヒューベレンが血反吐を振りまいた。

 拳がやつの身体を、腹から真っ二つに引き裂いていく。

 大量の血が、雨のように降り注ぐ。

 上下ふたつにわかたれた巨躯が、どさりと血の海に沈んだ。


「あ゛……、あがぁ……。い、いでぇよぉ……」


 地に落ちたヒューベレンは、まだ生きていた。

 それどころか、下半身が徐々に再生していく。

 生き汚いやつだ。

 だが最高だ。

 これでお終いだなんて、拍子抜けもいいところ。

 まだまだ嬲り足りないと思っていたのだ。


「ぐルぅ……!」


 顔に愉悦を貼り付け、ヒューベレンに歩み寄っていく。

 下半身を失ったやつは、芋虫のように這いずりながら、俺から逃げようともがく。

 くつくつと嗤いながら、その背骨を踏み抜いた。


「うぎぃやあああ!」

「どコへいク? まだ宴ハはジマったバかリだぞ?」


 何度も何度も踏みつける。

 背中を、肩甲骨を、首を、後頭部を。

 一撃一撃が、致命傷となるほどに激しく踏み抜く。

 殺意を込めて、蹴りつける。

 ヒューベレンが這って逃げる。

 俺はゆっくりと追いすがり、丁寧に、丁寧に破壊を繰り返していく。


「ごふぅ……! や、やめへ! もうやめてくれぇ! た、たす、たすけ……!」


 悪鬼の悲鳴が心地よい。

 喉のつかえが、すぅっと降りていくような気分だ。

 堪らず笑みが込み上げてくる。


「ひ、ひどい……」


 客席で誰かが呟いた。

 それを皮切りに、あっけに取られていた観客たちが騒ぎ始める。


「そ、そうだ! もういい! やめさせろ! これ以上はただの残虐ショーだ!」

「英雄ヒューベレンに……、俺たちの英雄になんて真似しやがる!」

「審判とめて! もうこれ以上はみてられない!」


 四方八方から投げかけられる非難の声を聞きながらも、俺はヒューベレンをいたぶることをやめない。

 こいつらに俺の復讐を阻ませるつもりなどない。

 もっと。

 もっとだ!

 お前の苦痛こそ俺の望み!

 お前の嘆きこそ俺の愉悦!


「み、みろ! あいつ、嗤ってやがる! あんな残酷なことをしながら、……嗤っていやがる!」

「Gブロックのネームレス……。なんてやつだ」

「……あいつは怪物、……本物の怪物だ!」


 恐怖は伝播していく。

 一部の観客が泣き出した。

 逃げていく者もいる。

 それが過ぎた頃、残った観衆たちは今度は口々に俺を罵り始めた。




 観客の非難の声が大きくなる。

 誰もが必死に俺を糾弾する。


「静まれぇぇ! 帝国の臣民らよ、静まれぇぇ!」


 貴賓席上部で、皇帝の従者が叫んだ。

 観客たちが鎮まっていく。

 頃合いを見計らって、皇帝が口を開いた。


「……英雄ヒューベレン。その様はなんだ?」

「こ、降参だ! 俺は特別試合を降参する!」


 虫の息になったヒューベレンが、必死になって皇帝に訴えかける。

 だが当の皇帝は、冷めた目でその姿を見下ろしていた。


「……降参など許さぬ。貴様は魔王討伐の英雄なのであろう? 貴様のごとき俗物が魔王討伐を成したなどと余は疑っておったが、よもや嘘ではあるまいな?」


 皇帝は欺瞞の英雄たちをよく思っていないのだろうか。

 わずかばかり、興味がそそられる。


「う、嘘じゃねえ! 俺は魔王を倒した英雄だ!」

「……ふん。ならば背を向けずに戦え。余を失望させるな。仮にも貴様は英雄なのだろう?」


 ヒューベレンが絶望に顔を蒼くした。


「ちがう! そいつは英雄じゃない!」


 闘技場の隅で、少女が声をあげた。

 皇帝が、観客たちが、そちらに顔を向ける。

 寝かせていたマーリィが、意識を取り戻していた。


「そいつは! ヒューベレンは、英雄なんかじゃない! ただの薄汚い裏切りもの!」


 マーリィはまだダメージから回復していないのだろう。

 血を吐き腹部を押さえ、苦しげに顔を歪めている。


「……裏切り? 発言を許す。説明せよ」

「わたしはマーリィ。神剣の勇者アベルさまの奴隷で、勇者パーティーの荷物持ちポーター。……この神剣がその証拠」


 マーリィが淡く輝く神剣ミーミルを掲げた。

 観客たちがざわつき始める。

 貴賓席では軍部の一部将校が、慌て始めた。


「アベルさまが魔王を倒した夜、そいつらが……、わたしとアウロラさまを除く4人が裏切った! 自分たちは魔王と戦ってもいないくせに、アベルさまとアウロラさまを殺して、手柄を横取りした!」


 皇帝の目がすっと細まった。


「……軍部がおそらく余には内密で、対魔王同盟諸国と良からぬことを画策していたことには気付いていた……」


 皇帝が貴賓席で青ざめている大将軍を睨みつける。

 彼は一頻り将校たちを眺めたあと、ヒューベレンに目を向けた。


「英雄を祭り上げ、クーデターでも起こす気であったか? 此度の特別試合で、なにか尻尾を出せばと思っておったが、貴様ら、やはり余を謀っておったな」


 成り行きを見守る。

 どうやら帝国は一枚岩ではないようだ。


「この件は、人類大陸全土に広く知らしめよう。……してマーリィと言ったな。そこの獣じみた男はなんだ? 貴様の仲間か?」


 皇帝が俺を見下ろした。

 変わり果てた俺をアベルと認識できないらしい。

 マーリィが口を噤む。

 彼女は、魔道に堕ちた俺についてはなにも語るつもりはないようだ。


 しばしの沈黙が流れた。

 皇帝が口を開く。


「……語らぬか。ならばよい。試合を続行せよ」

「そ、そんな! 糞がぁ! 俺はもう降参だっていってんだろうが!」


 ヒューベレンの訴えを無視し、皇帝が椅子に腰掛けた。

 冷酷な顔で欺瞞の英雄を見下ろす。


 次にヒューベレンは、貴賓席の大将軍をみた。

 救いを求める表情で縋り付く。

 だが大将軍は、そんなヒューベレンから目を逸らした。


「くそぉ! 糞! 糞っ! 糞がぁ!! 俺を切り捨てるつもりか!」


 この裏切りものは、たったいま自らも軍部に裏切られたのだ。

 まさに因果応報である。


「く、クくく……。残念だッたなァ、ヒゅーベレン」


 皇帝は公開処刑をお望みらしい。

 なら見せてやろう。

 だが暴走はしない。

 自らを律しながら、薄汚い裏切り者を地獄送りにする。


 ヒューベレンはすでに再生を終えていた。

 俺は歩み出し、ゆっくりと悪鬼に近づいていく。


「ち、畜生が! く、くるな! こっちに来るんじゃねえよ!」


 ヒューベレンが逃げ出した。

 臆病者らしくみっともない悲鳴をあげ、俺に背を向けて走り出す。


「グルルゥ……」


 醜い外道が……。

 こいつは俺から逃げられると、本気で思っているのだろうか。


 大きく足を踏み出す。

 たった一足で逃げ出したヒューベレンに追いつき、その背中を殴りとばした。

 ぐしゃりと拳が背骨を粉砕し、肺を潰す。


「がふぅッ!?」


 木偶の坊を地面に引きずり倒した。


「……こレは、……返シてもらウぞ」


 無理やり胸当てを剥ぐ。

 引っかかった腕を強引に引っ張った。

 ぶちぶちと筋肉が断裂し、腕が千切れる。


「ぎゃああああああああああああ!!」


 取り戻したアウロラの断片を、大切に胸に抱く。

 ようやくこれで3つ目……。


「いでえ! いでえよ! 俺の腕がああああああああああ! あぎゃああああああああああ!」

「……喚クナ」


 ヒューベレンの頭を鷲掴みにした。

 力を加え、そのまま捻っていく。


「あ゛、あ゛、あ゛……、やめ……! 折れる! やめてくれ……!」


 ヒューベレンが必死に抵抗する。

 だが俺は容赦なく力をこめ、捻っていく。

 ミシミシと悪鬼の首が軋みだした。


「はっ、はっ、はっ……! あ、謝る! ああ謝ります! 全部謝りますから、許して下さい! ア、アベル! いや、アベルさま……! たひゅ、たひゅけてぇ……!!」


 ヒューベレンが情けなく泣き出した。

 子どものように涙と鼻水を流し、口からは涎を垂らしている。

 ごきっと首がなった。


「あぎぃゃああ!」


 小気味よく首の骨が折れた音だ。

 ヒューベレンは口から血の泡を吹き、情けなく糞尿を漏らした。

 小便が地面を濡らしていく。


「お、お願い! なんでもしまひゅ! ど、奴隷にでもなりまひゅ! ご、ご主人様! お願いだから、許ひて……!!」


 あらぬ方向に首を曲げられたまま、ヒューベレンが命乞いをする。

 ミシミシと首が軋み続ける。


「……貴様のヨウな奴隷をモった覚えハない。詫びルなら、あの世でアウロラに詫びてコい」


 首がぶちぶちと千切れ始めた。

 手に最後の力を込め、一気に捻り上げていく。


「ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

「いや! いや! いや! いやああああああああああああああああああああああああああ!!!! 助けて! 助けてえええええええええええええええええええええ!!!!」


 そのまま首を捩じ切った。

 噴水のように血が噴き出す。

 頭部を引き千切られた体が、どさりと崩れ落ちた。




 客席は静まり返っていた。

 凄惨な復讐劇に言葉を失っている。


 ヒューベレンの穢らわしい頭を捨て、ぐしゃりと踏み潰した。

 復讐は遂げた。

 残るはひとり。


 ドクンと胸が脈動する。

 暴れたい。

 このまま暴れて眼に映るすべてを殺し、破壊し尽くしたい。


「グゥゥゥゥ……!」


 ダメだ。

 俺は誓ったはずだ。

 まだこの破壊衝動に飲まれはしない!


「グルルゥ……!!」


 早くこの場を去らなければ。

 まだ俺が俺であるうちに。


「待って! アベルさま、待って!」


 背中を呼び止められた。

 振り向くとマーリィが、這いずりながら直ぐそばまで近づいて来ていた。


「アベルさま……! 置いてかないで! わたしも一緒に……!」


 マーリィが俺に手を伸ばした。

 視線が交わる。

 ひたむきで穢れのない彼女の瞳と、魔物のように濁った俺の瞳が……。


「フシュルゥ……! グウゥゥ……!」


 この無垢な少女を弄びたい。

 脳裏によぎった邪悪な欲望を振り払う。

 もうこの手を取ることはできない。

 再びマーリィに背を向けて、俺は闘技場を飛び去った。

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