第31話 裏切り者05 賢者モンテグラハ

 聖スティピュラ教国、枢機院。

 建前上は教皇の下に置かれる枢機院であるが、実質的には教国の運営を担う最高機関である。

 そこでいま、モンテグラハの審問が行われていた。


「ネロウーノ卿。貴卿の魔王討伐について、ある疑いがかかっている」


 賢者モンテグラハ・ネロウーノ。

 彼は院を構成する枢機卿のひとりである。


「……ふん」


 モンテグラハが太々ふてぶてしく鼻を鳴らす。

 その顔には不満がありありと見て取れた。


「軍事国家シグナム帝国が公表した話だ。魔王討伐の四英雄。彼らは実は、勇者アベルを騙し討ちして栄誉を掠め取った欺瞞の英雄であると」


 声を発した議長のほか、賢者を囲むのもまたすべて枢機卿たちである。


 モンテグラハは魔王討伐の名声を利用して新しい教皇候補を擁立し、教国を意のままに操りつつあった。

 この場に集った枢機卿たちは、その頂から彼を引きずり降ろそうと躍起になっている。


「そこで本題だ。ネロウーノ卿。貴卿も魔王討伐の英雄のひとりと謳われているが、……真実のほどは如何に?」

「しらぬ」


 モンテグラハがしらを切った。

 問いただす議長を睨みつけながら、反論を始める。


「わしらは魔王を倒した。勇者アベルはその戦いで不幸にも命を落とした。これが事実じゃ。疑いをかけるなら、まず証拠を持ってくるが良かろう」

「……話によると、勇者の奴隷の少女、マーリィというものが証言しているそうだが?」

「話にならぬの。ならその娘を連れてきて、審問台に立たせよ」


 知らぬ存ぜぬを貫き通しながらも、内心でモンテグラハは焦っていた。

 小さく舌打ちをする。


 モンテグラハは考える。

 議長がこの審問会を開催した目的は、すべての枢機卿への周知と確認だろう。

 彼らはまだ連携していない。

 だが議長はいま、英雄たる自分を本気で問いただす姿勢を見せた。

 恐らく議長は、この審問会を起点として団結する腹づもりだ。

 そうなれば自分はすべての枢機卿を敵に回す可能性すらある。

 それはまずい。

 ここは一刻も早く、教国を我が手に掌握せねば。


 賢者モンテグラハは、そう考え焦りを募らせた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 モンテグラハは元は教国の一司祭であった。

 教義のもとに信徒を正しく導くことを己が喜びとしていた彼は、生来の柔和な性格もあって、皆からよく慕われていた。


 彼には娘がひとりいた。

 早くに妻に先立たれたモンテグラハには、家族はその娘だけだった。


 朗らかな笑顔が似合う娘は、すくすくと育ち、父であるモンテグラハについて、教国の助祭となった。

 教国と信徒によく尽くす彼女は、彼にとっての自慢の娘であり、たったひとつの宝だった。


 父と娘の幸せな日常。

 だが転機は突然訪れた。

 娘が病にかかったのだ。


 その病は進行性の奇病。

 初期の兆候としては、体のどこかに膿皮症のわずかな症状が見られる。

 やがて化膿は全身に広がり高熱を発して死に至る。

 罹患するものの珍しいこの病は、教国では『背信病』などと呼ばれ、不浄の証とされた。

 曰く、教義にもとる行いをすると患う病であると。


 娘は教会に連れていかれた。

 モンテグラハは娘が教義に背く行いをしたなど、信じることができなかった。

 彼は必死になって病について調べてまわった。

 くる日もくる日も書物を漁り、医者に話を聞いて回る。

 ようやく彼は、他国でも同様の症例の報告があることを突き止めた。

 そうしてこの病が決して治らぬ病ではないことも。


 モンテグラハは訴えた。

 その病は背信病などではない。

 娘は教義に背いてなどいない。

 それどころか娘ほど教義に忠実なものはいない。

 その病は大陸中で、それこそ教国の教えが届いていない地域でも見られる。

 発病に教義や背信は、関係ない。

 体を清潔に保ち、十分な栄養を摂って安静にしていれば、治ることもある病なのだ。

 どうか娘を返してくれ。


 彼は何度も何度も訴えた。

 だがその訴えは届かず、しばらくして娘が隔離された牢のなかで死亡したことだけが告げられた。




 モンテグラハは変わった。

 教義に疑問を持ち始めた。


 亡くなった娘の命に意味を持たせたい。

 そうするには誤った教義は正さなければならない。

 そうして娘と同じような不幸を消し去れば、娘の生にもきっと意味が生まれる。


 モンテグラハは教義を変えることを目指した。

 いまの時代にあった新しい教義をつくる。

 その為には自らが教国の頂点に立たなければならない。


 彼はのし上がる決意をした。

 手段は選ばなかった。

 教会の人間に金を掴ませた。

 対立する司祭を罠に嵌めた。

 罪のない信徒を貶め、それを裁くことで功績を積んだ。

 直属の大司祭に毒を盛って殺した。

 モンテグラハはどんどん出世していった。


 やがて賢者と呼ばれるまでになった彼。

 だがすべてを追い落とし、枢機卿にまで上り詰めた頃、モンテグラハは権力を追い求めるだけの愚物へと成り果てていた。




 権力欲に取り憑かれた賢者モンテグラハ。

 彼の望みは教国の掌握である。

 その高みへと至る道はまだまだ険しい。


 そこで彼は一計を案じた。

 そのころ人類は、圧倒的な勢力を誇る魔王軍との長きに渡る争いに疲弊していた。


 だがいま大陸全土に希望が広がっていた。

 神剣の勇者の出現である。


 古龍をつれたアベルと名乗る青年が、白く輝く神剣を手に、魔王の支配下となった地域をことごとく解放して回っている。

 勇者の出現に希望を見出した人類主要4国家は、対魔王同盟を結んで反撃の狼煙を上げはじめた。


 これを利用しよう。

 モンテグラハはそう考えた。

 魔王の力は絶大だ。

 それはもはや人間がどうこう出来るものではないと、そう思われていた。

 だが伝え聞く神剣の勇者の力が本当であれば、もしかすると魔王を倒せるかもしれない。


 勇者に魔王を倒させて栄誉を掠めとる。

 そしてその名声を利用して、一気に教国をこの手に掴み取る。

 それがモンテグラハの立てた計画だった。


 彼は計画を実行に移しはじめた。

 魔王討伐の栄誉を奪うには、討伐後に勇者を殺してしまうのが一番だ。

 だが自分ひとりでは心許ない。

 勇者を裏切るための仲間がいる。


 モンテグラハはまず、オット・フット都市連合国、宗教都市ルルホトの代表へと連絡を取り、聖騎士ラーバンを仲間に引き入れた。

 その後もルルホトを通じて都市連合のコネクションを利用し、各国に連絡を取った。


 傭兵都市グロウラインを経由してシグナム帝国軍部へ。

 拳闘士ヒューベレンを。


 商業都市ユニスを経由してイスコンティ王国の貴族へ。

 女盗賊クローネを仲間に引き入れた。


 計画の黒幕となったモンテグラハは、対魔王同盟に働きかけ、集めた仲間とともに勇者パーティーに潜り込んだ。


 そして勇者が魔王を討伐した夜。

 彼は最後の計画を実行し、アベルとアウロラを裏切った。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「おのれぇ! どうしてこうなったのじゃ!」


 あと一歩。

 もう少しで聖スティピュラ教国のすべてを、手中に収めることができるのに。

 半生を費やしてきた目的の達成を前に、モンテグラハは歯噛みする。


「あの奴隷を、逃してしもうたのが不味かった……」


 裏切りの夜。

 古龍アウロラ・ベルに逃がされた荷物持ちポーターの少女を思い出す。

 まさかあの奴隷が神剣を受け継ぎ、追い縋ってこようとは。


 クローネもラーバンもヒューベレンも、あの奴隷少女に殺されたと聞く。

 なら次に狙われるのは自分だろう。

 彼は迫り寄る影に怯える。


「やられてなるものか! わしは、教国の頂点に立つ! 立たなければならぬのじゃ! そして……、そして……」


 モンテグラハは、はたと考えた。

 そして……なんだったか。

 なにかを成すために頂点を目指したはずだ。

 けれども、はじまりの理由が思い出せない。


「わしは……、なんのために……」


 思考が深みに落ちようとする。

 それを遮るように、賢者の部屋に人影が飛び込んできた。


「猊下! 枢機卿猊下、大変です!」


 姿を見せたのはモンテグラハ腹心の女大司祭だ。


「……どうしたのじゃ、慌ただしい」


 彼女は息も整えず、報告をする。

 その目にはありありと怯えが見て取れた。


「か、怪物です! 黒い瘴気に包まれた怪物が現れました! あ、ああ、あ、あんな……! あんな化け物みたことがない!」


 だが要領を得ない報告だ。

 モンテグラハが彼女を一喝する。


「落ち着けい! わかるように話すのじゃ!」


 女大司祭がはっと我にかえった。

 今度こそ息を整えて報告をする。


「……猊下、怪物が現れました」


 シグナム帝国でヒューベレンが殺されたとき、近くに怪物の姿があったとの話。

 モンテグラハの脳裏を、その不確かな情報がよぎる。


「黒い瘴気を纏う、獣じみた男です。その者は、ここ神殿を目指していると思われます。目下、僧兵含む全兵力をあげて対応していますが、まるで歯が立ちません」


 怪物?

 とはいえたったひとりで神殿に?

 しかも歯が立たない?

 現実味のない話に、モンテグラハが戸惑う。


「すぐにお逃げください猊下! まもなくここは……この神殿は、戦場になります!」

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