第3話 アベル03 惨殺
「グルゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
厳めしい龍の咆哮が天地に轟く。
アウロラが、僕の手を踏みつけていた賢者モンテグラハに向って急降下した。
「……はっ!? ぼさっとしてないで、シールドを張るのよ!」
「わ、わかっておるわ!
虚空に不可視の盾が出現した。
モンテグラハは腐っても教国の賢者である。
張られた障壁は、並の魔物では傷ひとつ付けられないほど堅固だ。
しかし怒れる古龍にそのような障壁は、なんの障害にもならない。
薄い紙でも引き裂くかのように、魔法の盾を食い破ったアウロラは、勢いそのままモンテグラハに襲い掛かった。
「グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「ひ、ひぃぃ!?」
恐れをなした賢者が頭を抱えて丸くなった。
そこに大口を開いたアウロラが、巨大な牙を剥き出しにして迫る。
「糞が! 世話の焼けるじじいだな!」
拳闘士ヒューベレンが割り込み、モンテグラハを蹴り飛ばした。
喰らい付かれれば必死の牙が、ぎりぎりのタイミングで賢者と拳闘士を掠める。
「やべえぞ! この糞アマぶち切れてやが――って、おわ!? がはっ!?」
強靭な古龍の尾がヒューベレンを打ち据えた。
闘技場(コロシアム)常勝無敗の拳王も、この熾烈な一撃には堪らず膝をつく。
そこにアウロラの鉤爪が、連続して迫る。
「ちょ、ちょっと待ちやがれ――!?」
「私に任せろ! はぁ……っ!」
ヒューベレンを助けに割り込んだのは、聖騎士ラーバンだ。
「ぐぬううううう!」
鉤爪と聖盾がぶつかり合い、硬質な音を立てた。
体を覆い隠すほどに巨大な聖盾を頭上に翳し、渾身の力でなんとかアウロラの一撃を耐えしのいだラーバンが、その場を離脱する。
「気を付けろ、ヒューベレン! 私たちは勇者を亡き者にして、4人揃って帰還する。それが対魔王連合諸国との密約だろうが! お前が死ねば全部ご破算だ!」
「そんなこたぁ知らねえよ、糞が!」
「口論してる場合じゃないでしょ! この龍どうすんのよ!」
古龍アウロラは圧倒的だ。
その力は、神剣の加護を全開にしたときの僕にも比肩する。
この裏切者4人の手に負える相手ではない。
「グルウウウウウウウウウウウウウウウウウウ……」
古龍の喉元が赤熱し始めた。
「やっば……、やばいわよ! アウロラのやつブレスをぶっ放すつもりよ! ほ、本気であたしたちを殺すつもりだわ!」
「んなこたぁ、最初っからわかってんだよ!」
「まずい! いかに私の聖盾といえど、古龍のブレスには耐えきれんぞ!」
アウロラが大きく息を吸い込む。
ブレスの射線に僕やマーリィを巻き込まないように、位置取りを調整しながら、裏切者たちを睨み付ける。
「く、糞がぁ! おいてめえら! 俺の盾になりやがれ! 盾になって代わりに死ね!」
「は、離しなさいよ筋肉ダルマ! こんな所で死にたくない!」
「お前、私を巻き込むな! そんな事でブレスが防げるか! 死ぬならお前から死ね!」
絶大なエネルギーがアウロラの喉元に満ちた。
龍の彼女は、見せつけるように大きく口を開く。
まさにブレスが放たれようとした、そのとき――
「ま、待てい、古龍! これを見るのじゃ!」
僕の首筋を抉るように、聖杖が突きつけられた。
その先端には攻撃的な魔法の力が満ちている。
「くあああっ!?」
思わず漏れた苦痛の声に、アウロラがピタッと止まった。
それを確認した賢者モンテグラハは、悪だくみが功を奏したとばかりに厭らしく嗤う。
「そ、そうじゃ。大人しくするのじゃぞ? さもなければアベルを殺す!」
アウロラは僕をじっと見つめている。
なにかを考えているようだ。
しばらくそうして止まっていた彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「……グルゥ。神剣の加護を受けし勇者を、貴様のごとき名ばかりの賢者が、簡単に殺せると思うてか?」
「ふん……。この小僧は、いま現在、神剣の加護を受けておらん」
「嘘だ! アウロラ! 僕なら大丈夫だ! だからこいつらを倒してくれ! そしてマーリィの手当てをどうか……!」
「お主は黙っておれ!」
聖杖が一層強く首筋に押し付けられた。
うめき声を漏らした僕を、アウロラの碧い瞳が見つめている。
「これが証拠じゃ! もし神剣の加護を受けたままであれば、ちょっと喉を突かれたくらいで呻きはせん! 第一わしの魔法で麻痺したりなどせんじゃろうが!」
アウロラが僕の目をみて、語り掛けてくる。
「……アベル。貴様、いつから神剣の加護を失っておった?」
「失ってなんかいない! 僕は大丈夫だから、どうか戦ってくれアウロラ!」
聖騎士ラーバンと拳闘士ヒューベレンが、アウロラに近付いていく。
「くく……。なんでも魔王討伐で神剣の力を使いすぎたそうだ。一時的に神剣が使えないらしい。お前は聞いていなかったのか? くくく……」
「……アベル。なぜ妾に言わなかった? 知っておれば、貴様をひとりにはせなんだものを」
アウロラが口惜し気に牙を鳴らす。
「おら、糞アマぁ! わかったらさっさと人の姿になりやがれ! 糞勇者をぶち殺されてぇか!」
しばしの沈黙の後、アウロラが人の姿になった。
前髪を真っ直ぐ切り揃えた長い白髪に、吸い込まれるように深い碧の瞳。
人化したアウロラは美しい。
だが仮初めであるその姿では、彼女は龍の力を十全に発揮することができない。
「おらよぉ!」
ヒューベレンがいきなりアウロラを殴り飛ばした。
「はっはぁ! おらおらぁ! おらおらおら、おらぁ!」
繰り返し、繰り返し、殴りつける。
今度は大きな掌で彼女の顔を鷲掴みにして持ち上げ、後頭部から地面に叩きつけた。
衝撃で地面が揺れる。
「……くぅっ」
「ははっ、ははははっ! ざまぁねえな!」
「やめろ! やめてくれヒューベレン! 僕ならどうなってもいい! だからアウロラに手をだすな!」
ヒューベレンは彼女に馬乗りになって、何度も顔を殴りつける。
鼻息を荒くした彼は、遂にはアウロラの着物に手を掛け、破り捨てた。
「うげぇ……。ちょっと、あんたぁ。なにする気ぃ? そいつってば綺麗な女の姿を模しているけど、正体は化け物よぉ?」
「んなこと知るかよぉ! 俺ぁこいつの済ました面ぁ殴りながら、思い切り犯してやりてえってずっと思ってたんだ!」
「……は、悪趣味なやつめ」
「てめえにゃ言われたかねえよ! 聖騎士の皮を被った快楽殺人者が! ……っと」
ヒューベレンががさつな手つきで、半裸になり露わになった彼女の乳房を揉みしだく。
アウロラの表情が初めて歪んだ。
「ヒューベレン! やめろ、やめろぉ! お前! やめろぉ! アウロラから離れろぉ!」
「うるさいわ小僧! お主は黙って眺めておれ!」
聖杖が首筋に押し付けられた。
それでも僕は、喉が千切れんばかりに叫び続ける。
「じゃあ早速……。ん……。おぉ? 入った! う、うっほ……。こいつぁ堪んねえなぁ! はっは!」
ヒューベレンの巨躯に組み敷かれたアウロラが、ゆさゆさと揺さぶられる。
彼女はそうされたまま、じっと僕を見ていた。
「殺す……! 殺してやる! きさまぁ! 絶対に僕が殺してやる!」
「ははっ! やってみなぁ、負け犬野郎! さあ飛ばしていくぜ! あんあん鳴きやがれ!」
ヒューベレンの腰の動きが、一層早くなった。
血の涙を流しながら、僕はヒューベレンの背中を睨み付ける。
組み敷かれたアウロラの視線が、いつのまにか僕から外れていた。
彼女の視線を追う。
その先には動かなくなったマーリィがいた。
アウロラは、マーリィの死体から片時も目を離さない。
……どうしたんだ?
僕も彼女の遺体を眺める。
そのとき、マーリィの指がピクリと動いた。
生きている!
死んでない!
マーリィは生きている!
アウロラはこんなにされながらも、それに気付いたんだ!
アウロラが揺さぶられながらも、ひっそりとマーリィに指先を向けた。
裏切者たちは、僕の監視と彼女をいたぶることに夢中で、なにも気付いていない。
「……転移せよ」
彼女が小声でつぶやくと、マーリィの姿が掻き消えた。
魔法行使の気配を察した裏切者たちが騒ぎ出す。
「て、てめえ! いま何をしやがった!」
「転移だ! こいつ空間転移で、あの荷物持ちの奴隷を逃がしたぞ!」
「このバカ! あんたがこんな化け物、犯し始めるから隙ができたのよ!」
「ええい、もう犯すのはやめるのじゃ! さっさと殺してしまえ!」
ヒューベレンが舌打ちをして、アウロラの上から降りた。
同時に一斉攻撃が始まる。
賢者モンテグラハが、凶悪な魔法を彼女の心臓に撃ち込んだ。
女盗賊クローネが、音速でしなる鞭で彼女の肌を打ち据えた。
拳闘士ヒューベレンが、鋼の拳で何度も彼女の顔を殴りつけた。
聖騎士ラーバンが、聖剣で彼女の腹を滅多刺しにした。
4人は何度も何度もそれを繰り返した。
アウロラの命の灯が消えていく。
彼女は血の涙を流す僕を見て、……最後にやさしく微笑んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
事切れたアウロラの遺体が横たわっている。
光を失ったその瞳を、僕は呆然となりながら見つめ続ける。
「……ふぅ。やっと死によったか」
「ほんと、しぶといったらありゃしないわね」
「あー、ちっとばかし犯し足りなかったなぁ」
「古龍の死体か……。じきに人化も解けるだろうし、これはいい素材が剥げそうだな」
4人の悪鬼どもが、何かをほざいている。
でも、もうこの僕には……、この俺には……その言葉の意味すら理解できない。
「……ヒューベレン。……モンテグラハ。……クローネ。……ラーバン。お前たち全員、必ず……」
彼らが僕に笑顔を向けた。
にやにやと笑いながら近寄ってくる。
「んじゃま、この糞勇者もぶち殺しちまうとするか」
「そうじゃの。しかし逃がした奴隷が気になるのぉ」
「なぁに、あんた? びびってんの? あんなのただの荷物持ちじゃない」
「そうだな。ここは危険な魔物の領域だ。転移した先でどうせすぐに死ぬ」
悪鬼どもが近づいてくる。
僕のそばまで寄ってきた4匹の鬼が、武器を構えた。
「必ず……。必ず殺す……。貴様らに、報いを……」
「わかった、わかった。……じゃあな、アベル」
自分の体から、ぐしゃりと音がした。
その音を最後に耳にしながら、僕の意識は途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます