第4話 アベル04 回想01 古龍と神剣

 頭の中を走馬燈のように記憶がめぐる。

 彼女との……、アウロラと過ごした日々の記憶。


 僕は辺境の集落で生まれ育った。

 その集落は人類圏である大陸の端にあって、どこの国家にも属していなかった。


 世界では人類と魔物との戦いが日増しに激化していたけれど、僕の暮らしていた集落は戦禍を被ることもなく、そこに暮らすみんなは比較的安穏とした生活を送っていた。

 それは僕も同じだった。


 僕は辺境の集落で、鍛冶を生業にしながら穏やかに日々を過ごすだけの平凡な青年だった。

 彼女と、古龍アウロラ・ベルと出会うまでは……。


 あの日、僕は日課の水汲みのために、森の小川に向っていた。

 森はいつもと違って、なんだかざわついていた。

 僕はその原因にすぐに出会うことになる。

 小川のすぐそば。

 そこで傷つき、倒れている一匹の龍を見つけたのだ。

 それは大きな、とても大きな白龍だった。


 なんて綺麗な龍なんだろう。

 真っ白な龍を見て、僕が初めて抱いた感想はそれだった。

 恐ろしさよりも荘厳な美しさが先に立つ。


「……剣を、……神剣を……」


 呆けたまま見つめていると、どこからか声が聞こえた。

 今のはこの龍の声だろうか。

 女性の透き通った声。

 でもどこか切羽詰まって、苦しげな響きを伴っている。

 なぜだろうか。

 龍の周りをぐるっと歩いて確認してみると、わき腹が深く抉れていた。


「うっ……。なんて酷い怪我なんだ……」


 思わず顔を顰める。

 これは放置しておくと死んでしまうんじゃないだろうか。

 とにかく手当てをしないと。


 この森には、様々な薬草が自生していることに思い至る。

 傷の治癒を促進する薬草もあったはずだ。

 僕は水汲みをそっちのけにして、薬草を採りに向かった。




「えっと。たしかこの辺りに……」


 薬草を探して辺りを見回す。


「あ、あった。これこれ」


 手早く薬草を採取していく。


 あの純白の龍は凄い巨躯だ。

 傷口も相応に大きかった。

 たくさん採らないと足りないだろう。

 いや、そもそもこの薬草って、果たして龍にも効果があるんだろうか。


 そんなことを考えながら薬草の採取を続けていると、遠くの茂みに光るものを見つけた。

 近付いて眺めてみる。

 それは一振りの剣だった。


「ふわぁ……。なんて綺麗な剣なんだろう……」


 一応これでも僕は、鍛冶で生活の糧を得ている。

 刃物を見る目は肥えているつもりだし、知識も豊富だ。

 そんな僕からしても、見たことも聞いたこともないような不思議な輝く剣だった。


 鞘に収まった少し反りのある刀身が、淡く光りを放っている。

 この形はたしか『刀』とかいう珍しいものだ。

 鍔に華美な龍の装飾が施され、鞘の先から柄頭に至るまで透き通るように白い。

 その真っ白さは先ほどの白龍を思い起こさせた。


「そういえば、さっきの龍が、神剣がどうこう言っていたような……」


 もしかするとこの剣のことだろうか。

 そうかもしれないし、とにかく持っていこう。

 手を伸ばして剣に触れると、刀身を覆っていた淡い光が輝きを増し、一面を眩しく照らしだした。


「うわっ!? なんだこの光っ!?」


 眩しさに目を覆う。

 やがて光は僕の胸に集束し、収まっていった。


「な、なんだったんだ、いまのは……」


 わけがわからない。

 気を取り直して剣を鞘から引き抜く。

 刀身が白く輝いている。

 まるで柄が手のひらに吸い付くみたいだ。

 ひょいと持ち上げてみた。


「すごい軽さだ……」


 純白の剣は、まるで羽根のような軽さだった。

 どんな素材で出来ているんだろう。

 ちょっと信じられない。


「っと、いまはそれよりも龍の手当てをしなきゃ」


 薬草の採取を続ける。

 十分な量の薬草を採った僕は、急いで龍の下に向かった。




 戻った僕は、白龍の手当てを始めた。

 傷口を小川の水で洗い流して、薬草を塗りつけていく。

 どれほどの効果があるのか定かではないけれど、やらないよりはマシだろう。


 額の汗を拭いながら手当てをしていると、龍が呻いた。


「痛ぅ……。わ、妾は……」


 傷口に触れた痛みで起こしてしまったようだ。

 龍が碧い瞳を開き、縦長に切れた瞳孔をギロリと向けてきた。


「あ、起きたんだね」

「……グルゥ。……なんじゃ貴様は? なにをしておる? 痛ぅっ」

「ご、ごめん。痛かった?」


 慌てて傷口から手を離す。

 龍は、僕と治療中の自分の傷口を交互に眺めた。


「これは……?」

「ああ、いま薬草を塗ってるんだ。痛いかも知れないけど我慢してね」


 断りを入れてから作業を続ける。

 龍からなんとなく不可解そうな気配がした。


「……貴様。妾が恐ろしくないのか?」

「え? あれ? そういえばそうだね。……全然怖くないや」


 どうしてだろう。

 今更ながらに気付いたけど、普通はこんな大きな龍を見たら怖くなるよなぁ。

 でもまったく怖くない。

 むしろ純白の鱗に触れていると安心すらする。


「……おかしな奴め。それよりも治療はもうよい。その程度では焼け石に水じゃ。この傷は致命の深手。妾はこのまま、ここで朽ちる運命なのであろう」


 龍が細く息を吐いてから、ゆっくりと目を伏せた。


「……それに、助かっても、もう……」


 なにかを諦めたように。


 僕はその瞳をみて悲しくなった。

 助けたい。

 龍の言葉を聞かずに治療を続ける。


「やめよと言っておろうに」

「……いやだ」


 ただ黙って黙々と薬草を塗りつける。

 龍がため息を吐いた。


「……ほんに変わったやつじゃ。ふぅ。なら好きにせよ。どうせもう助から――」


 白龍が目を剥いた。

 伏せていた体を急に起こす。

 巨躯から巻きあがった風に押されて、僕は尻もちをついた。

 その拍子に腰に下げていた剣が地面に落ちる。


「うわ!? いきなりどうしたの!?」

「き、貴様!? その剣を……、神剣ミーミルをどうして……!?」


 神剣?

 この純白の剣のことだろうか。

 拾い上げて、小枝を振り回すように軽く振ってみる。


「――なっ!? なぁあっ!?」


 龍が驚いている。


「はっ、ほっ、えい! へへ。すごい軽さだよね。それに透き通るみたいに綺麗で、神秘的な剣だ」

「そ、そんな……。勇者は、勇者はこのような場所におったのか……」

「はぇ? 勇者?」

「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 白龍が咆哮した。

 大気がビリビリと震え、森中の鳥が羽ばたいていく。


「うわっ、凄い声!」

「き、貴様! 名は、名はなんというのだ!」

「僕はアベル。でもどうしたのいきなり吠えて。……びっくりしたぁ」

「アベル……。アベルか! 妾はアウロラ。すべての龍の頂点に立つ女王にして、神剣の護り手。古龍アウロラ・ベルじゃ!」


 興奮した龍は、僕の言葉を聞かずに一方的に話し掛けてくる。


「貴様、先ほどその剣を軽いと言ったな!? だがそのようなわけはない! その神剣は重い! それこそ持ち上げられぬほど! 神剣に認められた勇者以外には、重いはずなのじゃ!」

「はぇ? 神剣? こ、これのこと?」


 ひょいと持ち上げてアウロラに見せてみる。

 するとまたアウロラは歓喜の咆哮をあげた。

 結構感情表現の豊かな龍なのかもしれない。


「アベル! 貴様なら神剣の声を聴くことができるかもしれぬ! 語り掛けてみよ! 神剣に! 神剣ミーミルに!」


 語り掛ける?

 剣に?


 よく分からないけどやってみよう。

 アウロラがこんなに嬉しそうにしているのだ。

 手に持った剣に目を落として、鞘から引き抜く。


「え、えっと……。これでいいのかな? ミ、ミーミル?」


 その瞬間、純白の剣がまた光り輝いた。

 強大な力が渦巻き、剣を手にした僕に流れ込んでくる。


 なんだこれ!?

 力の奔流に意識を飛ばされないように、歯を食いしばった。


『……勇者。勇者アベル。わたくしはミーミル。魔を穿ち、闇を払うことを使命とする一振りの剣です』


 頭に直接流れてくる言葉に、声にならない驚嘆を漏らす。

 いまのはこの剣の!?


「聞こえた……。いま、ミーミルの声が、聞こえたよ……!」

「っ!? やはりか、アベル! ……遂に、遂に、妾は勇者を……」


 剣から力が流れ込んでくる。


『アベル。わたくしを手に。……立ち上がり、ともに魔王シグルズを……』

「うん。えっと、それはまたあとでゆっくり聞かせてもらうよ。……それよりいまは」


 神剣をアウロラに向けて翳した。

 治癒を。

 いまの僕なら、溢れ出るこの力でアウロラの傷を癒やすことができる。

 それが僕にはわかる!


 神剣がアウロラに向けて輝きを放った。

 わき腹に負った深手がみるみるうちに癒えていく。


「あぁ……。これぞ……。これこそが勇者の力。アベルよ。逃走の果てに落ちのびたこの地で、其方と出会えた運命に、感謝を……」


 威厳に満ちた古龍が、感極まる。

 アウロラは僕に向けて、ゆっくりと頭を伏せた。

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