第11話 アベル09 断罪01 憎しみの連鎖

「いくらでも吠えな! けど神剣も、アウロラも! 何もかもを失ったあんたには、勝ち目なんてないのさぁ!」


 クローネが胸元を飾る古龍の瞳を翳した。

 慟哭する俺を嘲笑う。


 失っただけなら、確かにそうだろう。

 しかしクローネはひとつ勘違いをしている。


「クローネぇぇええ!! 貴様だけは、殺すッ!」

「ははん! やれるもんなら、やってみなよぉ!」


 俺はこの悪鬼どもに、すべてを奪われた。

 だが代償として、ふたつ得たものがある。


 ひとつは俺を突き動かす、この憎悪の心。

 そしてもうひとつは……。


 ――ドクン……!


 胸の奥で、無限の闇が蠢いた。


 これこそ……。

 これこそが、なにもかもをなくした俺に与えられた、呪われし力。


 この身と魂を喰らい尽くし、新たな魔王となりて世界を滅ぼさんと欲する、破滅の力――


「ぐうううううううううう……ッ!!」


 呻きながら、剣を手放した。

 地に落ちた刀身から、カランと硬質な音がなる。


「グゥうううう……、ぐるぅうウううう……」


 俺の瞳孔が縦長に変化し、剥き出した犬歯が鋭く伸びていく。

 身体中から瘴気が漏れ始めた。


「な、なんだい!? あ、あんた! 一体なにをしようってのさ!?」


 異変を警戒したクローネが、俺から距離をとる。


「……ぐルゥう。お、教えてやるよ、クローネ。……蘇った俺には、無限の闇が……宿っている」


 両の手足が獣のように膨れ上がる。

 そこに強靭な鉤爪が、生え備わった。


「……ひっ!? その姿はまるで、ま、魔物!?」

「この力を……使い続ければ……、いずれ俺の魂は、闇に染まり……魔王と、成り果てるだろう……」


 予感がする。

 そうなれば、もう俺の魂に救済はない。

 悠久の闇に囚われ、内側からこの身を苛む苦痛に、永劫に喘ぐことになる。


 それでも。

 たとえ、そうだとしても。


 この悪鬼どもに復讐をなせるなら、たとえ、魔道に堕ちたとしても……。


 ――俺は、構わない!


「グルゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 咆哮に大気が振動する。

 建物全体がぐらぐらと揺れた。


 吹き出した瘴気はもはや靄などではなく、激しく燃え盛る漆黒の炎となって、一匹の獣と化した俺を闇色に染め上げる。


「ちぃ! この化け物がぁ!」


 クローネが自慢の鞭を蛇のようにしならせて、俺を打ち据えようとした。


 クローネの放てる全身全霊の一打。

 その速度は、これまでの比ではない。


 だが俺は音速をはるかに超えた速さで襲いくる鞭を、なんなく掴み取った。


「な!? そんなバカな!? あたしの全力の鞭がッ!?」


 掴んだ鞭を、そのまま引っ張る。

 呆気に取られて手を離し損ねたクローネが、俺の下に引き寄せられてくる。


「グルゥ……!」


 腕を振り上げた。

 握りしめた拳に、破壊の力を込めていく。


「や、やめ!? ちょ、待ちな――」


 向かってくるクローネの鳩尾を目掛けて、思い切り拳を振るった。


「くそッ!!」


 クローネが鞭を捨てて、咄嗟に両腕でガードする。

 構わずその上から殴り付けた。


「ゴゥアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 両腕の骨が砕ける音がした。


「あぐぅあは……ッ!?」


 インパクトの衝撃はそれだけに留まらず、彼女のあばらを砕いていく。

 ダメージが突き抜けた。

 肺を巻き込み、背骨を粉砕する。


「かはぁ!」


 クローネが吐血した。

 吐き出された真っ赤な血が、俺の頬に降り注ぐ。


 そのまま拳を振り抜くと、彼女の体は地面に叩きつけられ、鞠のように何度も弾んでから、ようやく停止した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 魔王化を解除する。


「ぐぅうう、ぐぁあああああああ……ッ!!」


 途端に激痛が走った。

 全身が内側から、ばらばらに引き裂かれる痛み。


 だがこれは身体の痛みなどではない。

 魂を侵食される痛みだ。

 息を整え、体を丸めて魂の痛みが治まるのを待つ。


 集まった野盗どもは静まり返っていた。

 目の前で起きた出来事が信じられないのだろう。


「い、一撃……。あ、あの姐さんが、たったの一撃で……!?」


 誰かがぽつりと呟いた。

 その小さな声を聞きながら、俺は倒れたクローネの下に歩み寄る。


「……ぅ、……ぅう……」


 まだ息があった。

 胸元を飾る古龍の瞳を、鎖を引き千切って奪い、大切に懐に仕舞う。


 アウロラ……。

 これでやっと、きみをひとつ、取り戻すことが出来たよ……。


「……っ、……っあ……」


 クローネは這い蹲り、虫のように蠢いていた。

 どうやら逃げようとしているようだ。

 足首を踏み砕く。


「ぎゃあ!!」


 長い赤髪をひっ掴んで引きずり起こし、成り行きを見守っていた野盗どもへと、乱暴に投げ付けた。


「……ぐ、……ぐは……」


 野盗の男たちは、側に転がされたクローネをどうすればいいのか、わかっていない様子だ。

 だから教えてやる。


「おい、貴様ら……」

「ひゃ、ひゃいい!」

「犯せ」


 男どもは何を命じられたのか、まだ理解が出来ないようだ。

 仕方がないので、もう一度教えてやる。


「その女を、犯せ」


 野盗たちが困惑する。

 さきほどの戦いに竦み上がってしまった彼らは、なかなか行動を起こそうとしない。

 だがひとりだけ、周囲とは違った様子の野盗が前に進みでた。


「じゃ、じゃあ、おで、犯したい」


 見るからに知性の欠けた男だ。

 しかし体は人一倍大きく、相応に持ちモノも大きい。


「お、おで、前から姐さん、やってみたかった」

「……や、やめ、な。……この、木偶の……坊」


 男がクローネにのしかかる。

 彼女も抵抗するが、虫の息ではなす術がない。


「うひ! 楽しみだぁ!」


 服を剥ぎ取られ、強引に脚を開かされたクローネに、大男が覆い被さった。


「うひゃあ! メリメリって! いまメリメリっていいながら、入ったぁ!」

「あぐぁッ!? やめ……、やめな……!」


 裂けて、鮮血が流れ出す。

 だが気持ち良さげに蕩けた表情の男は、行為をやめようとしない。


「……お、おい。……こいつぁ……」

「あ、ああ……。実は前から俺も、姐さんと……」

「へへ、へへへ。ホント言うと、俺も……」


 男どもが、ごくりと喉を鳴らす。

 高嶺の花だったクローネを、好き放題に犯すことができる。

 目の前で繰り広げられる陵辱に、野盗どもは色めき立った。




 嫌な臭いが鼻につく。

 むせ返るような血の匂いに、野獣と化した男どもの獣臭。

 血の海のなかで、クローネが仰向けになっていた。

 精液にまみれた彼女は、自虐的な笑みを浮かべながら、天井を見つめている。


「……ふふ。あたしも、ここまでってことかい」


 野盗どもはもう全員殺した。

 あとは目の前のクローネだけだ。


「十五の頃、盗賊に落ちぶれてから、いつかこんな日がくるとは思ってたよ……」


 彼女は両手を震わせながら持ち上げ、眺める。


「この手はすっかり血に染まっちまった……。因果応報ってやつさね……」


 ごふっと口から大量の血を吐き出す。


「最後に……、最後に一目でいいから、あの子を、ラルフの姿を見たかったねぇ……」


 クローネがゆっくりと瞳を閉じた。


「…………殺しな」


 どうやら観念したようだ。


 だがこいつはわかっていない。

 俺はこの悪鬼に、地獄の苦しみを与えて殺すと言った。

 死に瀕したクローネの表情には諦念がある。

 こんな穏やかな逝きかたを、この女に許すつもりは毛頭ない。


 広間の端に置いておいた麻袋に、歩み寄る。

 瞳を開けたクローネが、俺を眺めて首を捻った。


「……なにをしてるんだい、アベル?」


 麻袋に手を掛ける。


「言っただろうクローネ。お前には、俺と同じ苦しみを味わわせてやる、と」


 袋を開いて、なかから人間を引きずり出した。

 そいつは気を失っている。

 クローネが目を見開いた。


「おい、起きろ」


 俺は引っ張りだした人間を蹴り飛ばす。

 気絶していたその青年が、「んん……」と呻いて薄っすらと目を開いた。


「まさか……、まさか、あんたは……」


 クローネがわなわなと震えている。


「そんな……。どうして……、どうして、あんたがこんな所に……」


 まだ覚醒仕切っていない様子の青年が、クローネに顔を向けた。

 ふたりが見つめ合う。


「…………ラルフッ!!」


 名前を呼ばれた男が、数回、まぶたを瞬(しばたた)かせた。


 この男の名前はラルフ。

 女盗賊クローネが、唯一大切にしていた家族だ。


「……ここは? それにきみたちは……?」


 ラルフはまだ朦朧としている。

 だがやがて、何かに気がついたように、はっとして目を見開いた。


「ぼ、僕は……!? 誘拐!? そんな、僕なんかがどうして!?」


 この男は都市の商会で、手代(てだい)として働いていた。

 そこを俺が攫ってきたのである。


「クローネ……。港の情報屋が洗いざらい吐き出してくれたぞ? お前、よほどこの弟のことが大切らしいなぁ?」

「アベル……! あんた、ラルフに指1本でも触れてみな……。……必ず、殺してやるから……!」


 俺は笑顔で頷きながら、クローネの吐き出す呪いの言葉に耳を傾ける。

 青年が驚きの声をあげた。


「……クローネ? はっ!? ま、まさか、クローネ姉さん!?」


 ラルフが大きく目を開いた。

 精液にまみれ、血の海を漂う姉の姿に、目を見張る。


「く……っ、みるな! あたしを見るんじゃない! あんたのことなんて、知らないよ!」

「そんな!? 僕だよ姉さん! ラルフだよ!」


 いまのクローネに幼き日の姉の姿を重ねて、確信したのだろう。

 倒れた彼女を助け起こそうと、近づいていく。

 だが俺はその彼の腕を掴み、地面に組み伏した。


「ぐああ!?」

「やめな、アベル! その子から手を離しなっ!」


 クローネの悲痛な叫びを無視して、俺はラルフに話しかけた。


「……ご明察だ。こいつはクローネ。お前の姉だ。お前にいいことを教えてやるよ――」


 語りかける。

 女盗賊クローネが、ラルフの姉が、これまでどれほどの悪事に手を染めてきたかを。

 そうとも知らず、お前は孤児院で、商会で、幸せな環境のなかで、いかにぬくぬくと育ってきたかを。


 ゆっくりと、一語一句を語り聞かせるように、囁き続ける。


「アベル……! アベル、お前えええええええええええええっ! 殺す……。殺してやる……!」


 クローネが大切に守ってきた真っ白な弟の心を、黒く、闇のように黒く、染め上げていく。


 しかしラルフからは、意外な反応が返ってきた。


「……知ってたよ。姉さんが盗賊で、悪事を働いて僕を育ててくれたことくらい、知ってたよ!」

「あんた……!? どうして、それを……!?」

「あの孤児院の院長だ。あの金の亡者は、いつも僕に話していた。お前の姉は盗賊クローネだ。略奪した金をたんまり持っている。お前から姉に、もっと金を寄越すように話を通せってね!」


 クローネが驚嘆し、息を呑む。


「でも僕は……。僕は姉さんが盗賊でもよかった! 大好きな姉さんが、いつか会いに来てくれるって、それだけを心の支えに毎日を暮らしてたんだ……!」


 クローネが毛虫のように蠢き、地を這いながら近づいてきた。


「ラルフ……、あんた……。あたしは、姉ちゃんは、こんなに汚れちまったってのに……」


 震える指をラルフに伸ばす。

 だが俺は、クローネのその手に、剣を突き立てた。


「ぎゃあ!」

「やめろ! 姉さんを……、姉さんをこれ以上傷つけるな! ……ぐああ!」


 腕を締め上げて、ぎゃあぎゃあとうるさい男を黙らせる。


「は、ははは……。麗しい姉弟愛じゃないか、なぁクローネ?」

「アベルぅううううう! お前えええええええっ!」


 クローネが憎しみのこもった目で睨んできた。

 俺は薄汚れた、暗い歓喜に包まれる。


「そうだ、クローネ! その目だ! 俺はお前のその目が見たかったんだ! 安らかになど、逝かせるものか! お前が俺になにをしたか忘れたか! 俺の苦しみをお前も味わえ! 苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで、苦しみ抜いた末に、あの世でアウロラに詫びてこい! ははっ、ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」


 ラルフが怯えのこもった瞳を向けてきた。

 小さく呟く。


「く、狂ってる……」

「ああ、そうだとも! 俺はとっくに狂っている! だがそうしたのは誰だ? この女だ! あの4人の悪鬼どもだ!」


 組み敷いていた手を離す。

 ラルフの背中を踏みつけたまま、立ち上がった。


「さあ、そろそろ死んでもらうぞ、ラルフ。……クローネ、お前は大切な弟が殺される様を、そこで無様に這い蹲りながら眺めていろ」


 血に濡れた剣を、ラルフに向けた。


「ひ、ひぃ……!?」

「やめろおおおおおおおおおおお! やめろアベルお前えええええええええ!!」


 クローネがジタバタと暴れ出した。

 しかし背骨と足首を砕かれた彼女は、立ち上がることすら出来はしない。

 惨めに地面を這いずっている。


「殺す……! 絶対に殺す! たとえ死んでも、何度でも地獄から蘇って、あんたを殺す! 何度でも何度でも蘇って、貴様を殺してやる……!」

「是非そうしてくれ。ははは。蘇ったお前をまた地獄送りにできるなんて、最高じゃないか」


 剣を振りかぶった。


「殺してやる! ラルフを殺してみろ! 絶対に、アベル、お前を殺しやる! アベル! アベル! アベルぅうう! お前えええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」


 刃を振り下ろす。

 そして俺は、クローネ・・・・の首を刎ね飛ばした。


 頭部を失った首から、噴水のように血が噴き出す。

 その血液が、怯え、腰を抜かしていたラルフの頭上に降り注いだ。


「……ね、姉さん? あ、あれ……? あはは……」


 ラルフは呆然としている。

 俺は剣を投げ捨て、呆けだした彼に背を向けた。


 復讐は遂げた。

 まずは一人目……。


 出口に向かって足を踏み出す。


「……待て。僕も、殺していけ……」

「……お前は、生きたまま、地獄を味わえ」


 歩みさる俺の背中に、怨念のこもった男の声が投げ掛けられた。


「許さない……。絶対に、僕は、姉さんを殺したお前を許さない……!」


 憎しみが連鎖する。

 狂ったように泣き喚くラルフの慟哭を聞きながら、俺はその場を後にした。

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