第21話 裏切り者04 拳闘士ヒューベレン

 ガンッと椅子が蹴り飛ばされる。

 飾り気のない政務室。

 その室内で、ひとりの男が荒れていた。


「クソがぁ! クローネとラーバンのふたりが殺されただと!? 殺ったのは、どこのどいつだ!」


 男の名前はヒューベレン。

 闘技場コロセウム、常勝無敗の厳しい拳闘士である。


「まさか、俺たち4人を狙った犯行じゃねえだろうな……」


 彼が掴んだ情報によると、先のふたりを殺した賊は同一人物の可能性があるらしい。

 そいつはフードとマントで、顔や姿を隠している。

 殺しの動機もわからない。

 だが魔王討伐の四英雄のふたりが、立て続けに殺されたのだ。

 次は自分が狙われる番かもしれないと、ヒューベレンは不安に駆られる。


「ちくしょうが! どうなってんだよ!」


 当然彼は、殺されたクローネとラーバンを思って荒れている訳ではない。

 迫りくる影に、内心怯えているだけだ。


 ――トン、トン。


「ひぃ!? だ、誰だ!?」


 音に怯えた彼が振り返る。

 扉をノックした人物が、部屋に入ってきた。


「失礼します、ヒューベレン将軍閣下」

「……ちっ。な、なんだてめえか……。驚かすんじゃねえよボケ!」


 ヒューベレンは胸を撫で下ろす。

 ここは軍事国家シグナム帝国、軍施設のとある一室。

 魔王討伐の栄誉を掠め取った彼は、軍部との密約と民の人気に後押しされ、将軍に抜擢されていた。


「てめえ、なんの用だ! くだらねえ話ならぶっ殺すぞ!」

「……は。お命じ頂いておりました、英雄殺しに関する調査の件をご報告にあがりました」

「そ、そうか……。おう! じゃあさっさと報告しやがれ!」


 部下を立たせたまま、ソファへと歩いていく。

 内心の怯えを隠すように、ヒューベレンは乱暴な素振りでドカリと音を立てて腰を下ろした。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ヒューベレンは本質的に臆病な男である。

 粗野に見える振る舞いのすべては、実際には虚勢からくるものだ。


 いまでこそ拳王と呼ばれ、将軍職にまで就いた彼だが、元は闘技場の掃除夫だった。


 当時のヒューベレンは体ばかり大きくて、要領が悪かった。

 そんな彼は、掃除夫としての同僚たちにウスノロ、木偶の坊と蔑まれ、苛められていた。


 ヒューベレンが受けていたのは、言葉の暴力だけではない。

 彼は、毎日のように暴行されていた。

 目があっただけで、蹴られ、殴られる。

 だが臆病な彼は反撃することもなく、ただ愛想笑いで日々を耐え忍んでいた。

 反撃をしない彼は、同僚たちのストレス発散の道具とされた。


 苛めはエスカレートしていった。

 仕事を押し付けられるなんて当たり前。

 配給される食事に泥を入れられる。

 女性の掃除婦からは、臭いだの気持ち悪いだのと罵られる。

 それでもヒューベレンは、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべるだけだった。

 心のなかに、ヘドロのような闇を沈殿させながら。




 そんなヒューベレンの生活に変化が起きた。

 ある日、彼に突飛な話が舞い込んだのだ。

 闘技場のプロモーターが、彼に試合に出ろと打診してきたのである。

 なんでも選手が逃げてしまって、予定した試合が行えず難儀しているらしい。


 困ったプロモーターはヒューベレンに目をつけた。

 ヒューベレンは臆病な性格はともかく、体だけは大きく、観客映えしたからだ。


 ヒューベレンは全力で話を断った。

 闘技場の試合といえば、武器あり、殺しあり、ルール無用のデスマッチだ。

 自分なんかが出場すれば、嬲り殺しにされてしまう。

 それを観て観衆が嗤うのだろう。

 想像するだけでも恐ろしい。

 ヒューベレンは怯えて震えた。


 だが彼は打診を断り切ることが出来なかった。

 話を面白がった掃除夫の同僚たちに、出場を強要されたからだ。


 試合に出ろ。

 さもなければ自分たちが、お前を苛め殺す。

 同僚たちはそう彼を脅迫した。




 ヒューベレンは怯えながら闘技場に立った。

 空が高く、ぐるりと全方位を取り囲んだ観客席から、歓声が聞こえてくる。

 対面で、剣を構えた男が彼を睨んでいた。

 自分の人生はここで終わりだ。

 ヒューベレンはそう思った。


 闘技場に戦いの合図が響く。

 ヒューベレンは最初、亀のように体を丸めて縮こまるだけだった。

 一方的に攻撃をされては逃げ回る。

 そんな彼を観客たちはなじり、野次を飛ばした。


 それでもヒューベレンは逃げ回った。

 しかし行き場のない闘技場である。

 対戦相手からは逃れられない。

 傷だらけになり、次第に追い詰められて逃げ場をなくした彼は、最後の抵抗を試みた。

 ただただ必死に、子供のように腕をぶんぶんと振り回したのだ。


 格闘技術もなにもない、ただ振り回しただけのヒューベレンの拳。

 しかし轟々と風を切り、唸りを上げて振り回されたその鋼の拳は、対戦相手をぶちのめした。


 わっと湧く観客。

 ヒューベレンは、血塗れで倒れた対戦相手と自分の拳を、呆然としながら見つめた。

 ここに至ってようやく、ヒューベレンは我が身に宿った破壊的な力を自覚した。




 試合を終えたその日から、ヒューベレンを取り巻く環境はがらりと変わった。

 いままで彼を苛めてきた同僚の掃除夫たちが、ヘラヘラと愛想を振りまきながら、媚を売ってくる。

 あれだけ臭いだのなんだのと罵ってきた女の同僚たちも、自分と目を合わせようとしない。


 ヒューベレンは気付いた。

 自分は強い。

 いままで虐げられてもずっと我慢してきたのは、こいつらが自分よりも強いと思っていたからだ。

 だがそれは間違いだった。

 こいつらよりも、俺のほうが遥かに強い。

 なら今まで自分がされてきた行いを、こいつらにやり返しても、なんの問題もないはずだ。

 そう気づいた彼は、閉ざされていた道が明るく開いていくような心地に酔った。


 彼は調子に乗った。

 手始めに同僚の男を殴って屈服させ、奴隷のように従えた。

 女の同僚は犯した。

 抵抗するようなら、2、3発顔を殴ればぐったりとして大人しくなった。


 闘技場にも積極的に立つようになった。

 試合は連戦連勝だった。

 誰も拳闘士ヒューベレンを打ち負かすことは出来ない。

 派手なパンチで、容赦のない蹴りで、相手を血祭りに上げる。

 観客は彼の試合に熱狂した。

 いつしかやがて、ヒューベレンは常勝無敗の拳王と呼ばれ、闘技場の覇者となっていた。


 強ければいい。

 力こそ全てだ。

 相手より強ければ、なにをしたって許される。

 そして自分は、誰よりも強い。

 だったら自分は、何をしても許される。


 拳王ヒューベレンは、全能の神にでもなったかの様に自惚れ続けた。

 いつか自分よりも強い誰かが現れ、栄光の座から引きずり下ろされることを、酷く恐れながら――


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「――以上が、クローネ様、ラーバン様、両英雄の殺害状況です」


 部下の報告を聞いたヒューベレンは、苛立たしげにつま先で床をトントンと叩いた。


 クローネは数十人の男たちに犯され、痛めつけられて斬首。

 ラーバンは筆舌に尽くしがたい酷い拷問を受けた末の惨殺。


 どちらも怨恨の跡が伺える。

 しかも飛び切り強い恨みだ。

 だが彼にはそれをした相手が思いつかない。


 仮にも人類最強クラスの戦士たるふたりを、そんな目にあわせる事ができる者。

 もしや、アベルやアウロラが?

 ヒューベレンはそう考えるも、即座に思い付きを否定した。

 あの2人はたしかに始末した筈だ、と。


「……仕方ねぇ。俺はしばらく行方をくらます」


 彼は怯えていた。


「軍部の仕事はどうされるので?」

「そんなもん知るか! てめえのほうでなんとかしておけ!」

「で、ですが、来月開かれる闘技場の特別試合だけは出て頂かなくては困ります!」


 闘技場のトーナメントを勝ち抜いた優勝選手と、ヒューベレンが、特別試合で対決する。

 近くそういうイベントが行われる予定であった。


 これは皇帝主催のイベントだ。

 放り出せば、ヒューベレンとて叱責は免れず、せっかく手に入れた将軍の地位をうしないかねない。


「……ちっ、なら特別試合だけは顔をだす! それでいいだろうが!」


 ヒューベレンは部下を怒鳴りつけて、追い払った。

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