その男、凶暴性A+の宇宙人と精神合体したことにより、正体を隠しながら超能力学園生活を送るハメになる

織星伊吹

01 いやミスってんじゃねえよ


「えっほえっほ」


 夕暮れの河川風景を眺めながら日課のランニングで汗を流していると、俺の人生史上聞いたことのない絶叫――ただならないSOSが聞こえた。

 瞬間ピタリと足を止めて、走ってきた遊歩道を全速力で逆走する。


「――どうしました!?」


 相手にしっかり伝わるように、腹の底からハッキリと声を上げる。

 尻餅を付いた女性は泣きそうな顔でぶるぶると震えていた。彼女の握る赤いリードがピンと張ったまま茂みの中に引き込まれていく。姿の見えないワンコがワンワン吠えまくる。


「大丈夫っす。俺に任せてください」


 何があったのかわからないが、レパートリーの少ない語彙力から安心してもらえる言葉を選び、俺はすぐに茂みに飛び込んだ。

 柴犬ワンコが、手のひらサイズの熊のぬいぐるみに噛みついていた。引き千切らんばかりのぶんぶん首を振っては地面に擦りつけている。滅茶苦茶楽しそうなその微笑ましい光景にほっこりする俺だったが、先ほどの女性の悲鳴や表情とはまったく結びつかない。


 そして、俺の人生史上聞いたことのない怪音が聞こえた。


「○&¥%#……! □*+?@!!」


 柴犬に咥えられたまま、熊のぬいぐるみが喋った。


「なんだぁ!?」


“それは”玩具の電子音ではなく、感情を持った生物の声だったのだ。

 しかし、そんなことお構いなしに柴犬ちゃんが唸りつつぬいぐるみぶんぶんを続ける。そのたびにぬいぐるみが気味の悪い音でうにょうにょ鳴く。

 ぬいぐるみの丸っこく愛らしい瞳が俺を捉えた、そのとき。

 生き物としての直感が脳に警報を鳴らした。咄嗟の判断で胸の前をガッチリクロスする。


“何か”が、飛んでくる。多数の衝撃。

 夕色の空をバックに茂みで引っかけた葉をぱらぱら落としながら、俺は十メートル以上吹っ飛んだ。柴犬の飼い主が待つ遊歩道の上空を通り過ぎ、漫画みたいに河川にドボン。


「いやなんでだよ!」


 勢いよく水面から顔を出して、ついデカい独り言を言っちまう。

 ヘッドアップクロールで距離を速攻で縮め、柵を飛び越え、ずぶ濡れのまま遊歩道に戻った。

 そのまま駆け出そうとしたとき、腹部と腕がじんと痛んだ。

 腕に無数の裂傷。腹部は血でべっとり濡れていた。着ていたトレーニングウェアもずたずたに切り裂かれて、所々肌がさらけ出ている。


「な、なんだぁ……?」


 良くわからんが、残されたワンコと女性が危ない。俺は怪我の処置もせずに茂みに突撃する。


「ウウゥゥゥ…………ワンワンッ!」

「△$*&……! ◇%Ψ℃×!」


 唸るワンコとぽてぽて歩く熊のぬいぐるみ。両者は一定の距離を保ったまま睨み合っていた。

 瞬間、熊のぬいぐるみが尋常じゃない速さで跳躍する。


 ――逃げんのか?

 先回りして遊歩道に飛び出る俺。右腕を伸ばし、ぬいぐるみの足をがっつり掴む。

 ふわふわした腕を空中でじたばたさせたかと思えば、スパーン、と気持ちの良い切断音。


 俺が先ほど乗り越えた金属の柵が真っ二つに裂けていた。

 悪寒。握っていた毛むくじゃらの足を離したとき、手首に痛み。ぱっくりと切り傷が出来ていた。傷口からたらたらと血が流れる。


「おいおい、流石に嘘だろ」


 全盛期のヨーダみたいにくるりと器用に着地したぬいぐるみを見て、血の気が引く。

 ヤツと距離を取りながら、出血の酷い腹部を押さえる。様々な危険に対処できるよう心構えはしているつもりだったが、熊のぬいぐるみに流血沙汰の暴力を振るわれるとは思わなかった。


「ワンワン!」


 茂みの中からワンコが飛び出す。熊のぬいぐるみがびくりと驚いて構えた。


「*□*Ψ&……! +△%&……!」


 毛むくじゃらの身体を必死に逆立たせて、小さな体を大きく見せようとしている。うにょうにょの鳴き声も、無理矢理捻りだしているせいか、酷く甲高く不安定だ。


 ――まさか、こいつ犬が怖いのか?

 なんとなく事情がわかってきた最中、いつの間にかリードを手放していた女性が喋る熊のぬいぐるみを見て叫び声を上げた。その声に驚いたぬいぐるみが女性に突撃する。


「危ない、逃げろ!」


 手を伸ばして必死に叫ぶ。でもダメだ、絶対に届かない…………じゃないだろ。届かないとあの人は危ないんだ……! なんとかしろよ俺!


 ランニングシューズの靴ひもを指でぶち切って、全身の筋肉を足に込めて靴を蹴飛ばす。

 熊のぬいぐるみが宙でこちらを振り向いて、初のバイト代で買ったナイキのシューズを真っ二つにしてくれた。ぶん投げといてアレだけど、やりやがったなこの野郎……!

 でも、一秒でも早く俺の腕がお前に届くなら……それでチャラにしてやる!


 金属を簡単に切り裂く熊のぬいぐるみを相手に、俺はこれから大けがするかもしれない。

 でも、それでも今ここで手を伸ばさないと俺は絶対に後悔する……!


 柔らかい体毛をむんずと鷲づかみにしたそのときだった。上空から何かが振ってくる。

 ドゴン、ドゴン、ドゴンの三連チャン。


「……え?」


 俺は、底だけ抜けた立方体に閉じ込められていた。底が抜けたら立方体じゃない気もするが。


「いやなんでだよ!」


 どうした今日。地球最期の日かなんかですか?

 途端に肌寒くなる。俺を閉じ込めた立方体は氷でできていた。各面が濁っていて汚いし、腐った卵の匂いがする。これじゃまるで河川の水だ。


「まてまてまて! 流石に夢を疑うぞ、これは」


 だがそんなおかしな状況に構ってもいられなかった。掴んだ熊のぬいぐるみが攻撃してくる。


「うわっ……!! おまっ、今はやめろってこの…… ぬおっ」


 氷の密室空間でなんとかぬいぐるみの攻撃を躱し続けたおかげか、逸れた攻撃が氷の立方体にダメージを与え、おかげで分厚い氷が崩れた。

 崩れた面から外に出る。俺たちを閉じ込められていた氷の立方体は、タワーのように同様のものが三つ積み重なってできていた。謎のドコン三連チャンの正体はわかったが、ますます混乱する。なんで遊歩道のど真ん中にこんなモンが建設されるんだ。工事してなかったよな?


「動かないでください。死にたくなければ」


 機械のように一定のボリュームが聞こえた。辺りを見渡してみると、わらわらと黒スーツの人たちが寄り集まってくる。――そう、つまり俺は完全に包囲されていた。


「いやなんでだよ! 死にたくなければだって? アンタ何言って――」


 プラチナブロンドが印象的な女性が、微動だにしない瞳で俺を見た。


「あなたに用はありません。わたしたちの目的は“グルミン星人”の拘束です」

「グルミン星人? アンタたちは一体……」

「はい。説明します。わたしたちは秘密結社のエージェント。この地球上に蔓延る宇宙人と地球人の間を取り持ち、その安全と秩序を守るために日夜暗躍しているので――」


 急につらつら喋り始めた女性が、隣の黒服にポカリと頭を叩かれた。何か注意を受けていた。

 そのありさまに気を取られていると、捕まえていた熊のぬいぐるみが俺の手から消えていた。


「逃がしはしません。凶暴な宇宙人」


 女性が両手の指先を合わせて、桃色の唇から息を吹いた。

 俺がおかしくなきゃ、実際に起きてることなんだろう。瞬きをしている間に目の前の河川に濁った氷でできた仏像が出現していた。


 全長15メートルはありそうな氷の仏像に向かって黒服のうちの一人が手を翳したとき、仏像がノータイムで野太い腕を遊歩道に叩きつけた。

 バリンと割れてしまう仏像の腕。大量の氷塊が遊歩道に散らばる。


「なんだってんだよ……マジで」


 続けざまに転がったバラバラの氷塊たちが何かの引力で引き上げられ、空中を縦横無尽に駆け回ったとき、俺の近くで苦渋の表情を浮かべていた黒服が言った。


「クソッ……“長老”はまだか……! 早くヤツを結合しないとこの地区は手遅れになるぞ。地球終了の引き金になる可能性だってある」

「ああ、凶暴性A+と影響力Aのダブルパンチは伊達じゃない。……ちなみに長老は孫娘が夕食前に外出したショックで腹を下したらしい。転移系PSIが使えるヤツを長老宅のトイレ前にセッティングしているが、定時連絡ではブリブリ音がハンパないとのことだ」

「汚たねえないらねえよそんな情報! つか漏らしながらでもいいからこいよ! 地球がかかってんだぞ! なんだあのじーさん!」


 黒服の二人組がわけワカメな会話を繰り広げる。地球終了と長老のブリブリ音が俺の頭の中で繋がらない……。何、これなんの映画なの? 当然撮影かなんかなんだよね?

 しかし、周囲にスタッフは愚かカメラすら見当たらない。大きな不安を感じる俺を余所に、別の黒服が氷の仏像によじ登っている姿を見つけてしまう。

 声をかけることもできず唖然としていると、仏像の頭頂部に辿り着いた黒服が、濁水でできた仏像と一体化した。


「俺がブツゾウだ」


 ――何言ってんだ?


「ブツゾウ、行きまーす!」


 ――ホント何言ってんだ?


 機動戦士ブツゾウがアニメチックな動きで遊歩道に乗り込んでくる。もうなんでもありだな。

 そんな滑稽な光景を目の当たりにしつつも、俺は視界ですばしっこく動く影を見逃さなかった。ヤツの向かう先は――先ほどからピクリとも動かないプラチナブロンドの女性の元だった。


「危ねえッ――!」


 俺は全速力で走り、女性を正面から押し倒した。小さな身体を守るために強く抱きしめる。


「$*◎☆! □◇¥=!」

「ぐっ……ぐあああああああああああ!」


 不快な音と共に、背中の筋肉繊維が切り裂かれていくのがわかる。痛い痛い痛い! 痛すぎて死ぬほど痛すぎる。なんだか良くわからなくなってきたぞ。とにかく痛い。

 鼻腔まで血の香りが届く。こんなにも流血したのは俺の人生史上初めてだ。人生史上初が三つも重なるなんて、今日は本当にどうかしてる。

 いつもながら深く考えることなく行動しちまったが、流石に今回はヤバいかもしれない。


「……危ないのは、あなたのほうだったんですが」


 腕の中で、もごもごと女性の声が聞こえた。


「いや、誰がなんと言おうとアンタのほうだったよ」

「理解できません。わたしはエージェントであなたは一般市民です。わたしは、あなたを守る側の人間です。それなのに、何故こんなことに……」

「そっちの理由は知らねえけど、身体が勝手に動いちまったんだ。申し訳ねえが」

「きっと頭が悪いのですね、あなたは」

「えぇ……その返事はまさか過ぎるんだが」

「でも、もういいです。ありがとうです。早くどいてください。デカくて重いです」

「続けざまに酷くねっすか」


 だんだん意識がぼんやりしてきた。熊のぬいぐるみの猛攻は続いている。

 ――もう一踏ん張りだ……。

 背筋に全身全霊の力を込める。頑張ってくれ俺の筋肉たち。お前等は、きっと今日この女性を助けるために毎日のトレーニングに耐えてきたんだ。

 顎から一滴の脂汗が零れて、女性の絹のように滑らかな肌の上で弾ける。


「汚い汁がかかったのですが」

「まあちょっと汚いかもしれないけど一応汗だよ!? 汁って言わないで」


 迷惑そうな表情で軽快な口を挟んでくれる女性のおかげで、俺はなんとか意識を保てていた。

 プラチナブロンドの女性が上目遣いで俺を見つめてくる。こんなときだというのに、凄く美人でちょっと照れてしまう。


「あの……一つ、聞きたいのですが」

「なんだよ」

「人助けが好きなのですか?」

「いや別に」

「ではなぜ」

「さっき言った以上の答えは出ねえよ、理屈はねえ。結果が先だ。迷惑だってんなら謝る」

「…………謝ってください」

「マジか。なんかごめんなさい」


 ああ、ダメだ……もういい加減限界だ。

 精神力だけで支えていた身体がついに崩れそうになったとき、風にたなびくコートが見えた。

 良い値段のしそうな革靴と共に杖を伴った初老の男性が、いつの間にか俺の前に立っていた。

 使い古した中折れ帽の下で白い髪と髭が繋がっていて、小皺の垣間見える表情は年相応だったが、その割に背筋は真っ直ぐで異様な雰囲気がある。周囲の黒服たちと同じ黒スーツの上には、これまた高級そうなブラウンのコートを羽織っていた。

 初老の男性が、灰色の瞳で俺とプラチナブロンドの女性を見下ろしてくる。


「……あれ、ワシこれタイミングミスった? ラブなカンジ?」

「長老ッ!!」


 リーダーっぽい黒服の男が叫んだ。アンタが長老か。なんか納得した。


「待たせたの。スマンスマン、孫がヘンな男とデキちまったら地球以前にワシ終わりだから。ゲリピーになっちゃうのも不可抗力ってもんでしょうが」

「長老トイレ行ってたんですよね!? なんでちょっと良い外行の格好してるんですか!」

「いやいや、そこはやっぱり格好良くいきたいじゃろ。だから転移待っててくれた娘に着替えを手伝ってもらったのよ。急げってむっちゃキレられたけど……でも、楽しい一時じゃった」

「もうそういうお店行ってください! こんなときまで! 市民が被害にあってるんですよ! さっさと“結合”しちゃってください! 標的はあの役に立たない氷の仏像でお願いします! 操縦してる馬鹿パイロットは即刻クビにしますんで!」

「なんであの仏像はロボットみたいに暴れてるんじゃ? お主らもしかして遊んでた?」

「そこは本当にすいません! でも馬鹿はあいつ一人だけなんです! ていうかもうなんでもいいからさっさと結合してください!」

「いやでもちょっと待ちなさいよ。コレ難しいし超久しぶりなのよ。失敗したら怖くない? ワシまで一緒くたに結合しちゃう可能性だってあるわけ。そしたらめっちゃキモい生物爆誕しちゃうわけよ。そしたら多分人生辞めたくなるし、それ以前に孫に嫌われたら――ハッ……! 想像しただけでちょーヤバい。もう死のう」

「うるさい! いいからさっさとやれや! ほら、仏像が今丁度跪いたトコなんで! 標的デカいからやりやすいでしょ!」

「ちっ……ワシ偉いのに。しゃあないの……では、やってやっかの」


 子供のように舌打ちをした長老が、チラリと俺を見つめてから笑った。


「少年、良く頑張ったな」


 朦朧とする意識の中で、聞こえてきた言葉は――――、



「やっべ、ミスった」



 だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る