16 エージェントの仕事


『ささきみくるの なかのひとだ せいゆうだ』


 ああ……だから見覚えがあったのか。エンディングのクレジットで何度も見てるから。でも、声優がライブなんてするのか? 絵に声を当てる職業だろ?


『いまどきは そういうの だけじゃない! いまどきはな! だからこれはもらいたい』


 何どさくさに紛れてモノにしようとしてんだ。ダメです、これは持ち主に届けるんだ。しかしまさか宇宙人に地球文化について教えてもらうことになるとは。大分偏ったモンではあるが。


『そんな むじひな ちけっとは なかなか もらえない というのにな』

「人気声優のチケットみたいだな。なかなか手に入らないらしい」


 とりあえずナルメロから得た情報を碓氷さんに伝える。


「声優……ですか。詳しいですね」

「あ、ああ……妹の影響で最近アニメを見ることが多くてさ。ペディキュアって言うんだ、碓氷さんは知ってるか?」

「いえ。ですが興味はあります」

『ほう こいつは しんように あたいするな』


 なんか知らんが認められた碓氷さんと、ナルメロが俺を介してペディキュアシリーズの生い立ちから、そのコンセプトに至るまでを語り合った。碓氷さんは、知らない世界に片足を突っ込んだばかりの子供のようにうきうきと俺(ナルメロ)の話を聞いている。


「――なるほど……だからそこに至るまでのメタファーが、アバンの変身シーンに如実に表れているというわけですか」

「ああ……なんでも噂じゃ初期シリーズにはお蔵入りになった幻の最終回があって、そのプロットはペディキュアシリーズを根本から否定するような内容だったらしい」


 一体何を言ってるんだ俺は? 話した用語のすべてがわからん。本当に女児向けアニメか? ふと周囲を見渡してみると、各々の時間を楽しんでいる女性たちが俺を見つめてくる。なんだよ! 大柄な俺がペディキュアの話をしちゃいけないって言うのか!


『うすいさんは はなしがわかる やつだな』


 良かったな、お前にも話し相手ができて。凶悪宇宙人らしからぬ行動に少々呆れつつも、なんだかんだナルメロと碓氷さんが仲良くわかり合えるんだということは嬉しかった。


「そろそろ仕事に戻るか」


 伝票を摘まんで席から立ち上がる。レジを探していると、店員さんが客人と揉めていた。


『そんなまさか ねねさま!』


 何言ってんだお前は。そんなわけねーだろ……ってうわっ!

 勝手に俺の身体を乗っ取ったナルメロがもの凄い勢いで跳躍し、結果俺は壁に突っ込んだ。おかげで店内の注目は俺に集まる。完全に痛い奴だ。


「痛てて……何してんだよナルメロ」

『りうせい! おいかけろ! ねねさま! ねねさま!』

「マジでどうしたんだよお前……って、店員さん、どうしました?」


 痛めた背中を摩りながら、レジから大声を外に向ける店員の男性に声をかける。


「食い逃げですよ! アンタがレジに突っ込んできたあの一瞬でドロンさ! アンタ、あの食い逃げ犯の共犯かなんかかい!?」

「なんだって、どんな人でしたか?」

「芸能人かってくらい綺麗な美人だよ! ったく美人なら何をしたって良いってのかねぇ!?」

『これは ねねさまだ ちがいない いくぞ りうせい』


 まあネネ様かどうかは置いておくにしても、食い逃げ犯は見逃せない。


「碓氷さん悪い、落とし物のほう頼めるかな、俺ちょっと行ってくる!」

「いいえ。わたしもお供します。友達ですから」

「……ああ、ありがとう!」


 とりあえずレジに千円札を叩き込んで、俺たちはカフェを出る。


「ちょっとデカいお兄さん、これじゃお金足らないよ! やっぱ共犯者なのか?」

「あっ……すいません! じゃあこれで残りを……おつりは……ん~…………良いんで!」

「そういうところですよね。進導さんは」


 入り口で碓氷さんにそんなことを言われてしまう。何も言い返せない。


『している ばあいか りうせい はやくしろ どこにいった ねねさま!』


 ナルメロが興奮して俺の身体の至るところを勝手に動かしやがる。

 こら、お前も落ち着けって。見間違えだろきっと。人気声優が食い逃げなんかするかよ。


「碓氷さん、とりあえずミクノ先輩たちに知らせてくれ」

「送りました。既読はつきませんが、協力を仰ぎますか?」

「早っ。これは別件だし、とりあえず俺たちだけで捕まえよう」

「了解しました」


 人混みの状況を見るに、食い逃げ犯が使ったルートはなんとなくわかった。なんでみんなスマートフォンで写真を撮りたがるんだろうな。一方向に向かって人々の視線は集中していた。


「碓氷さん、走れるか」

「当然です」


 ばびゅん――という音と共に碓氷さんがダッシュする。正直驚いた。まるで、短距離走の選手みたいだった。俺も彼女を追いかける。


「何かスポーツでもやってたのか?」

「いいえ。都合で身体を鍛える必要があっただけです。進導さんは驚くのも馬鹿らしいほどの身体能力をしていますよね」

「まあ、それだけが取り柄だからな」


 言いながら、俺は速攻で碓氷さんの隣を併走する。


『だめだ おそい おそすぎる りうせい』


 何言ってんだ。大分飛ばしてるほうだぞ、これ。


『だまれ からだ かせ』

「な」


 次の瞬間――、俺は街の中をカッ飛んだ。そこそこの高さの建物が並ぶ中、人間の能力を超越したスーパージャンプ。これ……着地は大丈夫なんだよな? なあナルメロ?


「うおおおおおおおおおおおお! ナルメロ、頼むから少し落ち着け!」

『それは できない いまは ねねさまだ!』

「あああぁぁぁ助けてくれネネ様ー!」


 そんな俺の叫びも無視してすたりと着地したかと思えば、今度はアクション映画みたいに雑居ビルの壁に張り付き、ひょひょいと登っていく。

 なんとか首の主導権を取り戻し、ぐるりと後ろを振り向く。碓氷さんは居なくなっていた。

 ナルメロのこの奇行、PSIで説明できるだろうか……いやするしか無いんだが。


『あれだ! ねねさま! うしろすがたが あった』

「とりあえずでかしたナルメロ! あとは俺に任せるんだ」


 雑居ビルの屋上から見下ろすと、確かに小走りの女性の後ろ姿が見える。


『いやだ さいんだ まずは もらわなければな』

「そういうのは後だ! とりあえず身体の制御を寄越せ!」

『だめだ りうせいは ねねさまを つかまえるきだ』

「あたりまえだろうが! あの人は食い逃げ犯なんだぞ!」

『だめだ われはここを うごかんぞ ああでもさいんが もらえん ぐぬう』


 ナルメロが無理矢理俺を地面に押し付ける。おかげで自分の身体なのに動かない。改めて凄い力だ。なんとか抵抗して腕立て伏せの体勢に持ち込むが、そこから歯噛みしかできない。


「クソっ……言うことを、聞けって――! ネネ様が行っちまうだろうが!」


 そんなとき、人影が差し込む。コトン、コトンというローファーの音。


「誰ですか、ナルメロって」

「……え」

「さっきから、誰と話してるんですか。進導さん」

「…………碓氷さん。一体、君はどこから」


 俺を見下ろしていたのは碓氷さんだった。彼女は腕を組んでこっちに近づいてくる。

 まずい。聞かれたのか? というか、どうやって上がってきた。ここ雑居ビルの屋上だぞ。


「碓氷さん……あんまり近づくと……その」


 俺は顔を微妙に背けながら言った。この角度からだと、スカートの中が見えてしまう。緊急事態とはいえ、俺が覗いて良い理由にはならない。


「なんですか」

「君はスカートだ。それ以上は……」

「だからなんですか」

「パンツが……見えてしまう」

「構いませんが。お好きなだけどうぞ」

「いや構えよ! そこは躊躇しようよ! イロイロと君の今後が心配だよ俺は!」

「今その話は関係ありません。ナルメロについて訊ねています」


 碓氷さんの背後に、白い冷気。雑居ビルの屋上には、据え付けられるように氷の足場が出来上がっていた。


「その氷、碓氷さんのPSIか……?」

「訊ねているのはこちらです。ナルメロとは、なんのことですか。あなたは、良く誰と会話をしているのですか」


 碓氷さんの表情はいつもと変わらない。夕日の色に透けて、栗色の髪がブロンドに見えた。


「もしかして……君は」


 あのとき、ナルメロと合体するハメになった事件。長老の適当なPSIのせいで俺がこんなことになった原因。あの場にエージェントが何人か居たことは覚えている。

 髪の色も、長さも、瞳の色だって違っていたような気がする。だけど、ずっと何処かで見かけたことがあった気がしていた。


「エージェント……なんじゃないのか。碓氷さんは」


 一度連想してしまえば、もうそれしか考えられない。


「俺たちは、一度会ってる。それどころか、俺は一度君を抱いてしまってる」

「…………」


 焦りからつい口が滑ってしまったが、これでは違う意味に取られてしまう。


「あ、違くて、助けようとして抱きかかえた、か? ……そ、そうじゃないっすかね?」


 この訂正が逆に恥ずかしくなってきた。碓氷さんも碓氷さんで表情を変えない。


「あなたの質問には答えられません。ですが、わたしの質問には答えてもらいます」

「ワガママだ! そういうところだぞ、碓氷さん!」


 とりあえず、テンションで誤魔化す方向で乗り切るしかない。


「ナルメロとは……貴方の中にいる凶悪な宇宙人のことなのではないのですか」


 碓氷さんは氷でできたナイフを握っていた。偉く精密なデザインだった。そういえば、あの事件で目にした仏像も、氷の彫像だった。


『やはり あのとき はいじょ すべきだったな』


 お前、まさか気付いてたのか!?


『きづいてない ただ きけんだと おもったのだがな でもおいしいの くれたから』


 凶悪な宇宙人なんて、全員食い物で釣れるんじゃないか?


「おかしいとは思っていました。あの現場で結合したはずのグルミン星人の痕跡が一切発見できませんでしたから。あのとき、長老さんの前に居たのは、わたしと進導さん……それからグルミン星人だけでした」

「…………」

「わたしは、北の秘密学園を卒業したエージェントです。凶暴性A+の宇宙人、グルミン星人抹殺のミッションを請け負っています。進導さん、協力していただけませんか」

「抹殺ミッション……」

『そんなのごめんだ われは』


 俺(ナルメロ)が勝手に立ち上がる。

 まさか…………やめろ、ナルメロ! 早まるな、落ち着け。


「……やはり凶悪な宇宙人なのですか」


 俺が立ち上がったことで、碓氷さんの警戒心が上がる。氷のナイフがキラリと光った。


『われは  われは         ねねさまの  さいんが  ほしい!』


 ――お前……そんなにか……マジか。

 ワリとシリアスな感じだったから、正直予想してなかった。ナルメロ、お前は真のファンだ。

 俺(ナルメロ)が、ぐっと踏み込んだ足でロケットダッシュをキメ込む。めきゃめきゃ、とヤバい音が響く。

 あの……今の踏み込みでこの雑居ビル崩れかかってねえか。踏ん張っただけで? 嘘だろ。


「クソッ……! 碓氷さん、君のPSIでビルを支えてくれ! その後にビル内の人たちを避難だ! 俺は……食い逃げ犯を追う!」


 本当なら人命救助のほうに注力したいが、なんと言っても身体がいうことを利かない。


「まだ話は終わっていません。絶対に逃がしませんよ」


 ナルメロの力に引っ張られながら、俺が彼女に叫んだ。


「頼むよ碓氷さん! 今面倒な事情は無しだ! 今この付近の人たちを助けられるのは、君だけだ! エージェントなんだろう!?」

「わたしの任務は……」


 碓氷さんの反応を見ることもできず、俺はもの凄い脚力で対象を追っかけていく。


「エージェントの任務は、地球人と宇宙人の間を取り持つことだろ! 宇宙人のほうはとりあえず俺に任せてくれ!」


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