13 きょうだいもんだい
秘密学園への出入りは厳重に行われる。学生証をパスポート代わりに三つの校門を通り、外部から決して目に触れることのない森の中、真っ白の施設に入り込み、そこから黒塗りのバスに搭乗する。それから三時間ほど進み、到着したのが遊麻(ゆうま)町だ。おそらく、俺たち秘密学園に入学している生徒たちが最も最寄りの駅だと認識しているであろう街である。
個人所持の通信機器は学園内に持ち運べないため、支給されたスマートフォンを持ち歩くことになるが、当然これらのGPS機能ってヤツは制限されているらしい。この地からバスで三時間ほどの地に秘密学園があるのだろうけど、この遊麻町からちょっと離れれば途端に辺り一面は森だらけだ。航空写真は緑一色だろう。場所の秘匿は徹底しているようだった。
まあ第一、見つけたところで部外者が侵入なんてできないだろうけど。
大変だった外出手続きを思い出して、俺はげんなりする。年に二回は実家に帰るつもりだったが、果てしなく面倒くさくなってきた。
休日なのに制服に腕章姿の俺たち風紀委員は、駅から二十分ほど離れた場所に到着した。
遊麻町はこの辺りじゃ一番栄えているらしく、休日出勤に勤しむサラリーマンから、ヒップホップでもやってそうなラッパーのあんちゃんまでごたごたしている。飲食店も娯楽施設も探せばあらかた出てくるだろう。と言っても、ショッピングモールが学園内に併設されている俺たちにとってはあまり用事のない場所だが。
指定場所には30分も早くに着いてしまった。なんでも今回依頼人であるエージェントの先輩は毎回15分前にピタリとやってくるらしい。流石プロ。
意外と人通りは多い。映画で見るようなスパイ同士の情報交換的なヤツなのを密かに期待していたんだが、いいのかね。こんなに人目に触れる場所で秘密の会話なんかして。
待機時間で各々が身体を伸ばしたりしている間際に、俺は鞄から小さな小包を取りだした。
「そういえばこの間は助かりましたよ。ミクノ先輩、これ、お礼です」
キョトンとした顔で受け取った小包と俺の顔を見てから、彼女はポンと手のひらを叩く。
「まさかこの間の電話の? 嘘~! そんなお礼もらうようなことじゃないよ~!」
「いえ、でもお願い聞いてもらっちゃったんで。そんな大層なもんじゃないですよ。学園内で買ったお菓子です。気持ち程度に受け取っといてください」
「はぁ~キミはデキたヤツだね~……ただアニメの配信サイトを紹介しただけで」
「いやぁ~、でも俺ビックリしましたよ。今の時代、テレビじゃなくてもアニメが観られちゃうんすね! それも録画しなくていいだなんて! 画期的すぎて手が震えましたよ」
「電話越しにパソコン操作するキミをなんとか配信サイトのURLまで導けたときは、我ながら涙が出そうになったよ。凄い達成感だった……」
「ああ、すいませんでした! 俺本当にそのヘン疎くて。ULR長過ぎるんすよ」
「“URL”ね。素で天然決めてくるんだもんなー、リューセイくん。からかい上手のあたしがまさか後手に回らされるとはね……初めてだよ、キミのような男は」
「それ、褒めてるんすか?」
「うん。おじーちゃんと話してるみたいで面白いよん」
「……それは微妙だな。でもミクノ先輩もアニメとか見るんですね」
「妹と弟がいるからさ~。実家帰ったときとか録画できてないと泣かれるんだ。で、もう面倒くさいから会員になっちゃったわけさ。リューセイくんは妹がいるんだっけ?」
「はい。滅茶苦茶可愛いっす」
「シスコンだ。じゃあ良かったよ、『ペディキュア』観れて、妹ちゃんも喜んでくれたかな」
「……あ、あはは! そうっすね、多分喜んでました」
『ありがとう みくの せんぱい おかげで ぜんわ かんそうした わけだな』
俺以外にメッセージを送ろうとしないナルメロが、珍しく長文のお礼を言った。素直!
結局、ナルメロはあの日以降女児向けアニメ『ペディキュア』にドハマりし、最新話までの現シリーズは勿論のこと、前作や前々作まで遡りはじめた。挙げ句にはエンディングクレジットに記載される声優さんの名前まで覚え始めていた。前々作で脇役のお母さん役で出ていた声優が、現シリーズでは主役に大抜擢されているらしい。それについてナルメロは偉く興奮しているようだった。おかげで俺の視力が落ちたような気さえする。まあ室内トレーニング中とかに観られるから、思いの外俺も楽しんでしまったが。
『しかし われは りうせいの いもうとでは ないわけだがなあ』
俺だって勘弁被りたいわ! お前が妹とか!
『あによ』
呼ぶな! ったく、一体どこで覚えて来やがったんだ。
「そういえば、ハイロくんもお兄さんお姉さんいるよね」
「フン……だからどうした」
普通に返事しろ。毎回ワンテンポ止まるんだよお前との会話は。
「ハイロくんってさ、あたしたちのこと名前で呼んだりしないじゃない。きっと恥ずかしがり屋さんなんだろうなーとか勝手に思ってたんだけど、家族の場合はどうなの?」
「…………………………別に、どうだって良いだろう」
「……アニキ、アネキ?」
「……フン」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん?」
「……フン」
「にーちゃん、ねーちゃん」
「………………フン。…………それ以上喋ってみろ、女」
ミクノ先輩が、人質でも取ったかのような表情で笑う。
「あはは、ごめんね意地悪しちゃって! 学園内のカフェでお姉さん働いてるでしょ? あ、ねえ皆も聞いてー。あたし結構常連だから良く喋るんだけどね――」
「うるさい黙れこのっ、女!」
「その“女”っていうの辞めてくれたら辞めてあげる」
「クソッ……卑怯だぞ!」
「卑怯って何よ、ただ名前呼ぶだけじゃない。リューセイくんみたいにほら、ミクノ先輩って。さん、はい、どうぞ!」
「………………ミ、ミ――いや、やはりお前は女だ!」
「なんでそんなに頑ななんだハイロは。俺のことだってお前お前ってそればっかじゃねえか。ミクノ先輩や碓氷さんは女性だからまだわからないでもないけどよ、俺くらいは別に……」
「うるさい黙れ。お前はお前なんだ。俺に……指図するな」
「なあハイロぉ、俺を名前で呼んでくれよぉ寂しいじゃねえかよぉ」
「バカが! 男が男に泣きつくな。気色悪い」
「友達だろぉ俺たちぃ」
「勝手に決めるな! 俺とお前は…………好敵手(ライバル)だ」
何故かそこだけキメて、ハイロは俺たちから遠ざかって壁に背中を預け始めた。
人見知り激しい猫みたいなやつだ。こいつは、俺やクラス男子連中でさえ名前は疎か苗字ですら呼ばない。すべてが「おい」か「お前」だ。クラスでは女子からチヤホヤされてるが、男子からは憎まれてるし(例の一件も有り)、実は寂しい思いをしているはずだと思うのだが。
――もしかして恥ずかしいのか? 俺を名前や苗字で呼ぶことが。友達認定しているようで、小っ恥ずかしいんじゃないか? なるほどそうか、良くわかった。可愛いヤツだなお前は。
「へへ、ハイロ……俺はいつでもいいぜ」
「……なんだお前は。気持ち悪いヤツだな」
「皆まで言うなって」
「言っていない」
ハイロの傍に迫っていたミクノ先輩が、次の瞬間がばりと飛びつく。
「このこのー可愛いなあ、カッコイイ髪型ぐちゃぐちゃにしちゃうぞ~!」
「くっ……よせ、俺の髪に触るなああああああッ……うおおおおおおおお!」
ミクノ先輩にガチの抵抗を見せるハイロ。今日もキマってるよ、俺のベストフレンド。
やがて振り落とされたミクノ先輩が、肩をすくめてため息をついた。
「ま、女呼びも面白いから個人的には好きだけど……ところでミゾレちゃんは兄弟いるの?」
話を振られた碓氷さんの頭が、20度ほど持ち上がる。きゅい、とか音鳴りそう。
「兄が居ますが」
「へえー! 想像つかなーい! どんなお兄さんなの?」
すると、碓氷さんがチラリと俺のほうを見上げる。
「進導さんに……とても似ています」
「え、マジで……」
これにはミクノ先輩もテンションが上がったらしい。彼女からにまにまの表情が消えない。
「え、じゃあちょっとさ、この筋肉だるまをお兄さんだと思って接してみてくれない?」
「誰が筋肉だるまだ!」
「いいからいいから。はい、どうぞ」
ミクノ先輩が俺と碓氷さんを向き合わせて、「後は若い二人で」と謎なことを抜かし始める。
碓氷さんの小さな顔の中で、一際大きな瞳が俺のことをじっと見つめてくる。
おお……なんか、すごい緊張してきた。
「いつものようにすればよいのですか」
「……ああ。いつでも、いいぜ」
我ながら良くわからない状況だったが、俺は胸を広げて待った。抱きついてきても俺なら受け止められるぜって意味だ。俺が碓氷さんを抱きしめたいというわけではなく、彼女がいつもお兄さんにそのような対応を取っている可能性を考慮した上での周到な準備というわけで――。
とことこと、ローファーの靴音が俺の前まで迫ってきた。
「おにいちゃん」
「…………ッ!?」
俺の身体の中で何かに音を立てる。
碓氷さん……? 今、なんと言った? 記憶を呼び起こせ……俺の聞き間違えでなければ……“おにいちゃん”と?
「今日ね、風紀委員のみんなと学外での風紀活動を頑張るんだよ。楽しいといいな」
「………………ッッッュ!」
俺は、知らぬ間に我が愛する妹にするように唇を激しくすぼめていた。多分正面からみたらめっちゃキモいと思う。
「おにいちゃん? どうしてそんなヘンな顔をしてるの。もっとわたしの話を聞いてよ」
「…………くっ……ちくしょう……ハァ……ハァ――んっ、はぁ……クッ……ンッ」
喘いでいる俺の顔面が横殴りされる。
「ぐほぉ」という情けない声と共に、俺は道ばたに横たわった。
「…………という感じでしょうか。ミクノ先輩」
俺は愛しの天使を見上げる。ああ……いつもの碓氷さんに戻ってしまっていた。
ホワットゥ? 今のフェアリーフィルターは一体……表情が変わったわけではなかった。敬語が取れてナチュラルな会話になっただけのはずだ。それであの魔法の時間になるってのか?
そして俺は気付いた。
そうか……これが、“おにいちゃん”の力か――。
最強じゃねえか。この力を前に全人類ひれ伏すだろ。これこそが最高峰のPSIだろ。
俺をブン殴ったミクノ先輩が、ごめんごめんと謝りながら俺の身体を起こしてくれる。
「流石に危なかったからさ。でもこれは破壊力あるね~。ワメリカン侍のリューセイくんでもああなってしまうのはわからないでもない……」
「今回ばかりは殴ってくれて感謝します。俺はもう少しで人間を辞めるところでした」
「ワリとキミは人間辞めやすいたちなのかな?」
この間の女子寮の件は本当にどうかしていた。あのときは熱に乗せられていたんや……。
「でも女性関係に堅物っぽいキミがね、そんなにキタんだ」
「ええ、来ましたね……碓氷さんの“おにいちゃん”呼びに」
「それがどうかしましたか? ただ呼んだだけなのですが」
首を傾けて、不思議そうに訊ねてくる碓氷さん。
「俺、実の妹に呼ばれたことないんすよ。『おにいちゃん』って」
「え、じゃあ普段はなんて呼ばれてるの?」
「筋肉か、おっさんです。酷いもんでしょ、まあそれすらも可愛いわけですが……フフフ」
「リューセイくん、思ったより悲しいもの抱えてたね!?」
ミクノ先輩のツッコミはなかなか抜け目がなくて受けていて気持ち良い。ハイブリットか。
「ていうことはみんな兄弟いるんだね~、意外な共通点! なんか親近感沸くなあ~」
「今度ハイロのねーちゃん見に俺もカフェ行っていいか?」
「ふざけるな、来るんじゃないぞ。絶対にだ!」
今度はうぅぅぅ……と唸っている仔犬っぽいハイロ。
「あたし、兄弟居る人に悪い人居ないと思ってるから。風紀委員に来てくれたのが皆で良かったーって心の底から想ってる~! 嬉し~!」
顔を覆って喜ぶミクノ先輩の横で、碓氷さんが深刻な表情をする。
「実は困ったことに、進導さんのことを何度かおにいちゃんと呼んでしまいそうになったことがありました。心の中で葛藤が行われていたんです」
「え、それ全然負けてもらって良いんで。なんなら毎回呼んでもらっても……」
「お前……本当に気持ちの悪い奴だな。一体なんなんだ?」
俺がハイロからドン引きされている間に、エージェントの先輩たちが到着した。
まさかお前にそんなを顔される日が来るとは、夢にも思わなかったよ。
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