11 君の喜んだ顔は、何よりもメリット
俺は碓氷さんから借りたジャージをぱっつぱつに着こなし、キッチンに立っていた。
「悪いな、待たせて。もう少しでできるからな」
「急かしてはいません」
『ついにか』
ああ、ナルメロも悪かったな。いっぱい作るから、好きなだけ食ってくれ。
――あれから少し冷静になった俺は、下着姿の碓氷さんを視界に入れないように付近に畳んであったベッドシーツで彼女をグルグル巻きにした。
「くるしいです」
「碓氷さん! 自分の服と、俺のこの裸体を隠せるような何かを持ってきてくれないか! 頼む、助けると思って」
我ながら無茶苦茶な要求だなと思うが、もうそうすることしかできないくらいに俺の精神は参っていた。俺の裸体を隠せる何か……頼む、まともなものであってくれ……!
「ですが、前が見えません。このまま倒れます。ああー」
本当に転んだ。所々でこの人も抜けている。
「ごめん碓氷さん! でも頑張ってくれ! 君の素肌を見ないために必要なことなんだ!」
「わたしは別に気にしませんが」
「ええ、嘘だろ!? そんな女子この世にいんのか!?」
「はい。ここに」
「そうだとしても、俺が気にするんだよ!」
「そうですかわかりました。着替えてから、何か持ってきます」
「……わかってくれて嬉しいよ。是非そうしてくれ」
そして数分後、ルームウェアに着替えた碓氷さんが持ってきてくれたのは、無地の木綿エプロンと、ジャージの上下だった。俺は迷わず後者を選択した。
ちょっとでも力むと張り裂けそうなジャージ姿のまま、俺は両手に乗せた大皿を小さめのダイニングテーブルへ運ぶ。
「いやあ、でも良かったよ。碓氷さんが晩飯まだで」
「わたしは決まった時間に栄養補給しないので」
「栄養補給て……まあ、俺もまだだったから、丁度良かった」
『われもな はやく たべたいがな』
わかっとるわ、ちょい待て。
「ごめんな、こんなことでしか埋め合わせできなくて。でも、一応料理には自信があるんだ」
俺は借りていたエプロンを外して、碓氷さんの対面の席に座る。
「そうなんですか」
「ああ。一時期最高に美味い炒飯を作ってやろうと躍起になってた時期があってな……その過程で色んな料理に手を出してたら、ワリとなんでも作れるようになってた」
「いつ頃ですか?」
「中学一年のときだったな。で、結局一年後には最高に美味い炒飯が作れたからその目標は達成できたんだ。んで次の目標が、誕生日プレゼントに買ってもらったロードバイクで日本一周だったかな。中二の夏休み、一日150~200キロくらい走ってさ。これも達成できた」
「……その次は?」
「読まれてた! 次は救急救命士の講習を受けて、身体に覚えさせた。その後実際に二人の救命救助にも関わったよ、ってそれは関係無いか」
「進導さんには色んな技能が備わっているんですね」
「身体を鍛えたり、自給自足できる力だったり、人命救助だったり、生き抜くための力や人助けの能力を育てたいと思ってんだ。まあ、ただ生に対して愚直なだけだな。だからこうして目標設定しては達成、ってのを小学生から続けてるんだ」
「では、今の目標は?」
碓氷さんに問われて、最近いろいろバタバタで自分磨きができていなかったことに気付く。
「そうだな……今はこの学園でエージェントになれるように頑張りながら、次の目標探し中って感じかな……っていうかごめん、飯が冷めちゃうな」
「いえ、進導さんのお話は聞きたいです」
照れるようなことを言ってくれる。でも冷めるのはダメだ。是非温かいのを食って欲しい。
「さあ、食ってくれ!」
手を広げる。彼女は珍しいものでも見るように、テーブルの上の料理に目をやった。
「どうした? もしかして食えないもんとかあったか」
備え付けの冷蔵庫には色んな食材が詰め込まれていた。卵や米は自動で補充されるし、食材の要望があれば注文できる。しかも10分以内に学寮スタッフが調達してくれるという神システム搭載。こんなの料理作りが楽しくなるに決まってる。
そんな豊富な食材から厳選した今日の献立は、カリウムとカルシウム満載のたけのこご飯と、ウナギの蒲焼きに適当な野菜をあえたもの。それから春の野菜をふんだんに使ったミネストローネに、おまけでバナナミルクセーキ。元気になること間違い無しのスタミナレシピだ。
「とても、エネルギッシュな匂いがします」
「はは、凄い嗅覚だな。さ、食べようぜ、俺腹減って死にそうだよ」
「それは餓死するということですか? ならば急いで補給しなければいけませんね」
「冗談に決まってるだろ」
『われは がしするがな ぱったり いくな』
「お前は食わんでも生きていけるだろが」
「…………なんです?」
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
本当に返事しちゃうクセをなんとかしないと。独り言ばっかで怪しまれる。
「では。いただきます」
「口に合うといいんだが」
碓氷さんの箸がたけのこご飯をすくい、その小さな口に入れ込んだ。
「……………………」
もぐもぐする碓氷さん。なんか小動物っぽいな、この人。
「ど、どうだ」
「……………………」
「え? 本当にどうなの? 不安になるんだが」
「…………なるほど」
「納得された」
碓氷さんの箸が進む。あれもこれも口に詰め込んで、欲張りなハムスターみたいになる。
「もっとゆっくり食べないと、碓氷さん。喉詰まらせちまうぞ」
「ですが、手が止まりません。わたしの身体がこれらを求めています」
碓氷さんは取り憑かれたようにテーブルのあちらこちらへ高速で箸をスライドさせる。まるきり食事を楽しむ顔ではなかったが、いつになく彼女は活き活きして見えた。
「ははは、なんだそれ翻訳文みたいな。でも良かった。喜んでくれたみたいで」
「誰かの手料理というものを、わたしは久しぶりに食べた気がします」
「そうなのか? 実家の御両親とかは?」
「いません」
「そうか……悪かった。俺の手料理で良ければ、いくらでも作るよ」
「……そんなことをして、進導さんに何かメリットがあるのですか?」
「メリットか……碓氷さんの喜んでいる顔が見られる、かな」
「わたしの喜んだ顔を見ることがメリットですか」
「多分他の男子連中が今の俺たちの状態を見たら腰抜かすぞ。それくらい碓氷さんは男子たちの注目の的なんだ。そんな子を喜ばせることができるなんて、有意義な時間じゃねぇか。俺は嬉しいけどね」
だからこそこんな事件に発展したわけだが、そこは考えないようにしよう。
「そうですか。なら利害関係が一致しますね」
「随分ロジカルだな、碓氷さん。でもそんなこと言って俺に色々教えてくれたり、カロリーメイトくれたりしたじゃないか。君にメリットなんて何もなかっただろ?」
「……そう思いますか」
「え、違うの?」
「どうでしょうね。わかりません」
碓氷さんらしからぬ微妙な表情で、彼女は首を傾けた。
碓氷さんとの会話に集中していて補給が疎かになっている俺の身体が、叫んだ。
『もう いいだろう いく たべう!』
ナルメロが勝手に俺の腕を操作してスプーンを握り、熱々のミネストローネをすくい、そいつを俺の顔面に思い切りぶっかけてきやがった。
「熱ッ……! く、くそっ……お前、どうしてこんな……」
椅子と一緒に背中から倒れ、俺は床で悶えた。碓氷さんから俺は一体どう見えてるんだこれ。
『もういっかい いっとくか』
いやいくなよ! ちゃんと食べるから勝手に俺の身体を乗っ取るのをやめろ!
『ふびんな りうせいだ』
そしてその哀れみの感じもやめろ!
「……何してるんですか? 食べ物で遊んで楽しいですか?」
「全然楽しくねぇよ! あーもう……」
とりあえず立ち上がって冷水で顔を冷やしてから、再び席に戻った。
「……変わった人ですね」
「アンタには一番言われたくないけどな!」
『われも へんか』
お前も相当ヘンだよ! ていうか学園長を始めにヘンなやつしかいねーよこの学園!
『それは たいへんに しょっくきんぐな ことだな』
すべての食事を胃に収めて、バナナミルクセーキで喉を潤しながら俺は気になっていたことを碓氷さんに尋ねる。
「そういえば、どうして碓氷さんは俺のことをえらく気にしてくるんだ?」
「……嫌ですか?」
「いや……それはねぇけど……その、気になっちゃって」
正直、秘めた恋愛感情があって、とかなら嬉しいし盛り上がってしまう。だが、どうにもそういう感じはしなかった。碓氷さんの瞳は、何かの義務で俺を観察している感じだ。だから風紀委員もクラス委員も俺と同じに合わせてきたんだ。
「進導さんに興味があるからです。ですが、どんな興味かは……秘密です」
あくまで教える気はないらしい。
「うーん……そうか。俺さ……この学園に来る前、碓氷さんと会ったことあったっけ」
「ないと思いますが」
「そう……なんだよなぁ」
だけど何かが引っかかる。
碓氷さんと話していると、誰かの顔を思いだしそうになるのだ。
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