第32話【あとは祈るしか】

 日本時間月曜日。遂に普通の日に食い込んだ。俺は体調不良ということにして学校を早退するというシナリオを描いていた。学校へ一旦行って、行った早々に早退する。その後は家に戻り母親の隙を見てガレージの中へ——

 その計画通り今俺ははしごに手を掛けている。


 学校を早退したはずの人間が家にいないというのは危険な綱渡りだが、桃山さんの方がもっと危険だ。学校側も欠席者についてはその理由を確認をするが、早退者については確認は甘くなる、というか、しない。俺の知る限りそうなっている。それに賭けた。ただしこの手が使えるのは一日が限度だ。先週も早退してしまったし。

 暖炉の中から這い出て今の状況を確認する。

 公国の警察は既に動いている……とのことだった。井伏さんから説明をざっと受ける。この俺のすることと言えば車に乗り込んで座っているだけ——らしい。

 およそ英雄とはほど遠い。だけど井伏さんも王子も車に乗り込んで座っているだけ。



 計画はこうだ。井伏さんこと王女は定期的に礼拝堂に車で出かけている。たまたまそのスパンが今日なのだ。それを活用する。これはいつものことなのだそうだが、容姿がアイドル並みの容姿の王女の姿を見ようと見物人が毎度毎度押しかけているとのこと。それくらい人気らしい。例の『新聞を読みましょうポスター』もぜひ欲しいとの問い合わせが殺到し引きも切らないとか。これには井伏さんも困惑してた。ま、普通王族はポスターになどならないからとんでもないレア物なんだろう。その見物人たちの中にナキさん並びに桃山さんを呼び出し待機してもらい、手早く発見し公室専用車の中に回収する。



「実は時間が押しているんですよ」と井伏さんが言う。車を出す時間は厳密には決まっていないが急いているのは井伏さんだな。俺を待って行動開始という打ち合わせになっていた。

 井伏さんは建物の玄関の方へとつかつか早足で歩き始める。俺と王子はその後を必死に追う。普段なら他人に開けてもらっているであろう玄関の扉を自らの手で開け放つ井伏さん。玄関前車寄せには既に光沢あふれる純白のリムジンが停まっていた。すげー胴体が長い。

 運転手と打ち合わせ中のお付きの者がリムジンのドアを慌てて開ける。完全な不意打ちだったよう。俺を大公様のところに案内したあの人物じゃないか。横を歩く王子に訊けば〝執事〟だと思っていたその人は、実は〝侍従〟というのだそうだ。運転手も慌てて車に乗り込んでいた。

「乗ってください」井伏さんが振り向きざまに言った。俺は井伏さん、王子に続いてリムジンに乗り込む。俺はこんな車いままで乗ったことがない。純白のリムジンはシートまでが純白の革張りだった。ソファーを車に積んだような不思議な乗り心地がする。

 リムジンのエンジンが低くうなり声をあげて回り出し、そしてゆっくりと動き出す。俺はこの建物の外観を初めて見る。奇妙なことだが俺はこの建物の中に入るのに外から入らなくていいんだからな。

 目に入るは広大な芝生の敷地。その緑に映える全棟二階建ての白亜の建造物。これが大公大邸。


 公国という国を表す色は〝白〟なんだろうか。


 リムジンの接近に合わせて大公大邸正門が開かれ始める。リムジンはその門に向かって進み続ける。しかし正門から体半分、いや車体半分だけ前へ出てその姿を表に現したところですぐ停車。後ろ半分は門の中。安全を考慮したものか。

 王子はカード型通信機の回線を繋いで俺に手渡した。


「プロント」、俺は言った。

『準備はできてる』ナキさんの声だった。

「桃山さんの声も確認したい」

『まるで誘拐犯扱いだな。とーこ、ちょっと良い?』直後、『わたしだよ』と桃山さんの声。王子が通信機と連結した解析機の画面を読んでいる。

「正門東、大通りの向かい側、距離約七十五」

 王子は単位の呼称を省略したが〝七十五〟はもちろんメートルではない。訊けば百メートルほどだと王子は言う。

「正門の正面にいない。なにかを警戒しているのか」と王子。

 これが〝正門近く〟かどうかは微妙なところだ。

「進めていいんですよね?」井伏さんから訊かれる。

「お願いします」俺がそう言うと、その旨を井伏さんが助手席に座る侍従に伝えた。

 侍従は侍従で通信機を操作し、王子が確認したその位置情報を警察に伝える。既に目標は外観十代半ばから後半女子ふたりと警察に伝わっている。後は合い言葉。

『カモ』と言い『ぷろんと』と戻ってきたら該当者だ。これが合い言葉にされるとは。


「カモさん」と王子に名を呼ばれここで或る品物を渡された。「例の物だ。耳に付けてくれ」と続けて言われる。俺はそれを耳の穴にねじ込む。王子の口がぱくぱくと動く。

「『今のは母国語だ。日本語に聞こえるだろ?』って言ったか」俺が言う。

「その通り。装置に問題は無いな」王子は言った。

 この妙な極小機械はこの車の中にナキさん並びに桃山さんを回収するからこそ用意された物だ。名は『簡易式翻訳機』。王子や井伏さんの国のことばを喋ることはできないが、耳に入ってくる音声が日本語に変換されるため、ヒアリングだけはできるようになるという代物だ。

 そしてもう一個を手渡される。

「とーこさんの分だ。カモさんから渡してくれ」と言われる。


 これには『私が犯人から何を言われるか、また犯人に私が何を言うか、それを二人には聞き届けて欲しい』、という王子たっての希望、という意味がある。

 外国人同士が母国語でやり合った場合、『あの始まりの夜、庭からの奇声』と同じようにしか聞こえない。俺と桃山さんには会話の中身が解らなくなる。それを消そうというのだ。王子は全てをあけすけにやるつもりらしい。


 井伏さん、王子、そして俺。俺たち三人は車の中から大通りの彼方を注視する。約束通りならいよいよ桃山さんと犯人グループの現場リーダー、もしかして『元』になってしまっているかもしれないリーダー、ナキが警官隊に囲まれてこちらに来るはずだ。

 その時だった。

「あれじゃない?」井伏さんが右側ドアガラス越しに指さす。見れば強い日差しを避けるためなのか布を全身ぐるぐる巻きにしたような恰好をした人物の姿が警官隊の人垣の間からチラと見えた。さらに警備を担当する制服姿の警察官たち、婦人警察官たちが二人のところへと急行する。辺りに私服も相当いるかもしれない。正に警官の塊状態に。なにが起こったのだろうと見物人がざわめいているよう。

 ふたりは警官の森の中に埋もれてしまったため様子がすっかり分からなくなっている。


「なにをやっているんだろうな?」俺が誰に問うでもなく口にした。

「おそらく身体検査だろう。この車の中に呼び入れる予定だからな。何かあれば大問題になるからな」王子が応えて言う。

 それで婦人警官の姿があったのか。女子相手にボディーチェックではな。

「凶器でも持っているってのか?」

「要人警護ってのはこういうものだろう。どこの国であれ」王子は言った。


 実に妙なことになっている。この何分か後、仲が微妙な婚約者の王子と王女。偽外交官の俺。誘拐団の一味とその被害者の奇妙な取り合わせの五人がこの純白のリムジンの中でご対面となる。これは王子が言いだしたこと。


 ようやく調べは終わったらしい。異常なしと見ていいのだろう。警察官達に囲まれながらふたりがこのリムジンの方へと歩いてくる。

「とーこさんっ」井伏さんが声を出す。

 ここでリムジンはゆっくりとバックを始める。礼拝堂などへは行かない。大公大邸へと逆戻り。警察官達もリムジンの周囲に貼り付く。車は庭のど真ん中へ。


「あれっ? なぜここにいる?」王子が外した声を出した。

 俺も〝あっ〟と声が出そうになった。見知った顔を場違いな所で見つけるとこういう感覚になるのか。

 けっこう距離はある。だがあの身長。間違えるはずがない。王子が〝警視〟と呼んでいたあの警察官がなぜかこの大公大邸と呼ばれる建物の庭の中に立っていた。

 そんな場所でなにやら『△こでも△ア』ようなものを何枚も何枚も並べさせている。または伏見稲荷大社の鳥居たちとでも言うのか。千本も無いが。

 おそらくはその中を通り抜けることでボディスキャンができるとか、その手の装置のように見えた。


 王子がウインドウを下げた。それをめざとく見つけた警察官が猛然と走って来る。

「困りますね。窓を上げて下さい」あの警察官が言った。

「なぜ警視がここにいる?」

「出張ですよ。上からの命令が無ければこんなところにはいません。それもこれも王子殿下が妙なことを『始めたい』と言うからです」

 それだけ言うと警察官は『早く窓を閉めろ』というジェスチャーをした。この警察官は今、〝王子殿下〟と言ったが日本では〝殿下〟を省略していたような……

 王子は指示の通りに窓を閉めた。

「わたしの国って信用されてないですね」井伏さんがつぶやいた。

「今はとーこさんに集中だ」王子が言った。


 こつん、と指の先で耳にはめ込んだ極小機械を小さくつつく。たいしたもんだ、この科学技術は。たった今のやり取りは外国人同士。日本語ではなく母国語でやったことだろう。それが全て日本語に聞こえた——


 とは言え集中しようにも俺たちはただ車の外の庭の真ん中の一点を見ているだけ。そこには警官隊が人垣を造っているだけで様子がさっぱり分からない。

 やがて警官隊の人垣が解け形を変え、しかし一塊のままこちらに近づいてくる。先頭はよりによってあの長身の警察官。

 警察官が助手席の窓ガラスをノックした。〝侍従〟と呼ばれる人物が窓を下げる。


「身体の中も含め爆発物・劇物の所持は確認されませんでした」と口にした。


 やっぱり外国人同士の会話が日本語になる。そしてその実感はゼロに近くなっていたが目の前にいる王子や井伏さんは正しく警護の対象であり紛う事なき要人なんだと改めて認識させてくれる。

 ここで大公大邸の門が閉じられる。

 侍従がリムジンの窓ガラスを上げてから助手席のドアを開け、降りる。今一瞬だけ車の窓ガラス越しにふたりの姿が見えた。侍従が後部座席のドアを開けた。緩やかな風が吹き込んでくる。間仕切りが何ひとつ無くなり同じ空気を共有した。桃山さんがそこにいた。腰をかがめ、開いたドアからリムジンの中を見ている。呆然としたような顔。そして——


「来てくれたんだ」と、俺に。「みらのちゃんも!」と、井伏さんに。立て続けに桃山さんの声。この声がまた生で聞けた。事件の終わりは拍子抜けするほどあっけない————

 だけどようやく、ようやく俺は責任を果たすことができた。どこの誰だかよく分からない人を桃山さんに引き合わせ事件を引き起こしてしまった俺。柄にも無く外交官など演じて柄にも無く頭を回転させ柄にも無く交渉なんかして。

 それがようやく今終わった。終わってくれたんだ。

 これがあの外交官の映画だったなら〝タ○ム・トゥ・セ○・グッバ○〟が流れ、『キャスト 日本国特命外交官 加茂三矢』とか文字がゆったり流れていく感動のエンドロールなのに——


 なのに——



 だけど俺にはこれから〝嘘つきになる〟というイベントが用意されている。井伏さんが懸念してくれたように。ナキさんなぁ……

 日本への亡命などできるものか!

 だから嘘つきは感謝されないし、責められるし、軽蔑されるし、嫌われる。


 『外交官・加茂三矢』に大団円は無いのかよ……

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