第16話【事態急変の夕方】

 なぜか王子、そして仮称井伏さんこと王女が、俺の家で夕食を採るという流れになっていた。


 聞く人の立場によってはほとんど暴言に近かったであろう桃山さんの言動。『桃山さん救出』についてさじを投げられる可能性〝極めて大〟だったことを思えばこの夕食会は二人との協力関係を維持するための重要イベントである。

 正に晩餐会だ!

 ただ一つ問題なのは〝おかずがあるかどうか〟というその一点のみ。


 ——しかし俺のそうした心配は杞憂に終わった。なにしろ今日は一週間に一度の残り物お片付けデーだったのだ。ご飯に味噌汁は基本としてそれに卵焼き。ここまでが今日作ったもの。作ったと言えるかどうかは微妙だが冷や奴。あとはひたすら残り物。煮物の残り、ポテトサラダの残り、中途半端に何本か残っているソーセージに冷凍フレンチポテト、おでんの残り各種。冷凍されて眠っていた二日前のビーフシチュー、他もろもろ。

 食卓の上は大小各種の皿で埋めつくされていた。量については問題は無いかもしれない——しかし赤の他人が家でタダ飯を食らうことに母親が納得するかどうかが気がかりだった——。


 俺はおそるおそる訊いたのだった。母親に。

「このふたりの分の食事はあるだろうか?」と。


「無ければ別にいいんだけど」と逃げ道を作ることも忘れてはいなかった。てっきり小声でねちっと愚痴られるであろうくらいの覚悟はしていたのだがこれも杞憂だった。


「ふたりは仲直りしたの?」さっそく母親がこのふたりに言ったことばがこれだった。そうだった、〝恋の相談〟をしていたんだった。


「ええ!」と王子。「は……い」と仮称井伏さん。

 明らかに後者の方は本心とは違うのだろう。次に母親がこのふたりに言ったことばは、

「まるで芸能人みたいね」だった。あぁ恥ずかしい。どうして芸能人という発想になるのか。一応王子と王女なのだが。とは言え王子と王女だからって必ずしも顔が正比例するわけでもない。正比例するのは着ているものだけだろうな。しかしさすがにそこは王子と王女、立ち居振る舞いに品がある。母親もそれに気づいたものか、

「うちの子がどこでこんな坊ちゃん、お嬢ちゃんと知り合いになれたのかしら」などと言う。これは結構核心を突いてくれる疑問点である。


 ただ、一つだけ品のないところもあったのでその点で王子や王女にはなりきれてない。つまり箸の使い方は見ているこちらがドキドキするほどヘボかった。王族なのにテーブルマナーがなってない。むしろ外国人(一応は)だと見破られたりしないかと、こっちの方がヒヤヒヤもの。しかし母親が訊いたことは定番中のド定番、高校のことだった。なぜ他人の学校が気になるんだろうか?

 どこで仕入れた知識なのか王子のヤツは、

「単位制の高校に通っています」などとしれッとした顔で言ったものだ。


 それよりも驚いたのは王子と仮称井伏さんがこの夕食を心底感心しおいしそうに食べていたことだ。外交辞令かもしれないが外交辞令に聞こえない。たぶん本当に心底感心した部分があったんだろう。俺が思うにそれは皿の数だ。(残り物を思いっきり食卓の上に展開したから皿の数が多いのは実は当たり前なのだが)

 王子のヤツはその数の多さに言及した上で、「これを母君がひとりで作られたのか」などと言っているのだ。

 オイオイ、『母君』なんてことば使うか? 普通。


 楽しい夕食(?)を俺たちがあらかた採り終わりつつある頃に電話機から音が鳴る。ピン・ポン、ピン・ポン。父親が帰ってくるには早すぎる。こんな食事時に誰が来た?

 俺が一番電話機に近いところに座っていたので俺がインターフォンに出る。それは知っている声だった。俺は受話器を一旦置き、王子に向かって言った。

「お付きの者が来たぞ」


 どう考えても警察官は王子だけに用があったと思われるが、俺を含めて他二人も揃って玄関へと向かっていた。玄関のドアを開けると件の警察官が早速口を開く。


「王子にご報告したいことがあります」

「部屋の中で聞こう」王子は言っていた。って俺の家なんですけど。

「いえ、事態が急展開しましたのでここで結構です」

「急展開?」

「桃山宅に留まっていた犯人グループが逃亡を試みました。それを阻止しようとした我々と衝突が起こり、三名の身柄の確保に成功しましたが一名が人質を同伴し目下逃走中です。ただいま私の部下が犯人を追跡中です」

「言うことはそれだけか?」王子が尋ねる。

「犯人の居場所の特定についてはカモさんの協力があったればこそです。そのお礼と言ってはなんですがカモさんにひとつ情報を提供しましょう。犯人の一人が言い残したことばです。『あの女め裏切りやがったな』です。私も逃亡犯を追跡しなければならないので、これで」

 それだけを言うと警察官は踵を返し、たちまちのうちに歩き去ってしまった。空はようやく薄暗くなろうとしている。王子がつぶやくように、いや、本物のつぶやきとは違う。わざと聞こえるように言った。

「あいつめ、やったな」

「なにをやったんだ?」俺は尋ねた。

「夕食の最中だったけどカモさん、桃山さんの家に行ってみないか? こんな時間になっているけど外出は大丈夫か?」王子も俺に尋ね返してきた。

「わたしも行きますよ!」仮称井伏さんが真っ先に応答した。


 王子と仮称井伏さんはその身分に相応しく母親に丁寧にお礼を言った後行動を開始する。宵の街並みの中三人で駆ける。

 駆けだしてすぐに気づいた。厳密に考えりゃ王子や王女といった要人が犯人グループが潜伏していた辺りに近づくのは無謀だと思うのだが。奔りながらそれを訊いた。

「警視が『引き上げる』といった以上、この世界に犯人は誰一人として残っていない」王子は即答で断言した。今度は王子が奔りながら問うてくる。

「カモさん、気づいていたか?」

「何にだ?」

「警視がなんて言ったか覚えているか?」

「女が裏切ったとかなんとか、か?」


 『裏切る』ってことは仲間であることが前提だ。人質の桃山さん、王女である仮称井伏さんは除外して良い。すると女に該当する者は一人しかいない。そいつが裏切ったという意味はあの女リーダーの〝ナキ〟って奴だけが先に逃げたという意味になるしかない。

 確かにそういうのが起こりかねない雰囲気はあった。ナキと他の男三人との間には隙間があったように感じた。しかし王子の指摘はそこじゃなかった。


「その少し前だ」と言った。

「なんて言ったっけ?」

「『犯人の一人が言い残した』だよカモさん。どう解釈する?」

「普通に解釈して、犯人が逃げる間際に言ったということじゃないのか?」

「『犯人が死んだ』とは解釈できないか?」

 なに? 俺は声が出なくなった。しかし確かにそういう解釈も成り立つ。

 再び王子が口を開く。「何が起こったかは現場を見ないといけない」。議論より行動か。



 桃山宅の前に行ってビックリした。警察が動いている‼

 桃山宅前に止まっていた一台の車。それは白と黒のツートンカラー、屋根には赤ランプのお馴染み日本警察の警察車両だった。

 何かが起こって桃山さんの母親も遂に警察に110番通報せざるを得なかったというわけだ。こうなると再びあの家の呼び鈴を鳴らす勇気は起こらない。俺は日本警察から見て不審人物二人(むろん王子と仮称井伏さんだ)と行動を共にする参考人だ。職質なんて受けたら最悪だ。

 この二人は日本の警察車両がどういう外見かなど知らない可能性が高いが〝そうだ〟ということに既に気づいているらしかった。車に書いてある文字が読めるようになっているのかもしれない。俺たちは誰が音頭を取ったわけでもないのに警察車両を横目で見ながら何気に桃山宅の前を通り過ぎていく。

 くるくると回り続ける回転灯の赤色がやけに強く網膜上の記憶として残る。



 俺たち三人は俺の家、俺の部屋に帰ってきていた。俺は王子に訊く。

「犯人が無事元いたところに逃げ込んだなら間もなく桃山さんが解放されるはずだよな?」

「その訊き方……分かってるってことだよねカモさんも……無事に逃げ込んだのは一部だ」王子は答えた。そして付け加える。「読めなくなってきた」と。

「なあ向こうの世界では桃山さんは人質の価値は無いんだって言ってたよな?」

「……」

「なんだよ⁉ 違うのか!」

「さっきまでと条件、いや状況が変わってきた」

「どうなっちゃうんですか⁉」仮称井伏さんまで叫ぶような声で王子に問う!

「もしもだ、犯人グループの中に犠牲者が出たなら……人間には報復感情というものがある……」王子は言った。

 それっきり全員で黙り込んでしまう。


「追いかけるしかない……」意識などまるでしてない。そんな声がなぜだか漏れた。

「そうだ。追いかけなきゃな」俺のつぶやきに王子が応えた。


 変な期待をして毎日毎日待っていてもな〜んにも始まらないんだ。学習済みだそれは。俺と王子と仮称井伏さんの三人でこれから後いかに行動すべきか決めなくてはならない。

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