第5話【俺そっちのけでふたりが親密に……】
休み時間は当然二時間目と三時間目の間にもある。
桃山さんがあっという間に教室からいなくなる。俺は教室を出た桃山さんが気になって後をつけた。行き先は案の定職員室。
それとなく観察してしまった上に後をつけるとか、やっちまった。うえぇ我ながらどうかしてるぜ。
あの件で二人でどんな話しをしているのか気になって気になって仕方がない。話しの中身を聞ける立場でもないのに——
これから昼食、というほんのスキマ時間でさえ俺は桃山さんの後をつけてしまった。ひょっとしてトイレだったりしたら俺はスゲー自己嫌悪なヤツになっちまう、と思いつつ。でも行き先はやっぱり職員室。
と思ったらすぐに職員室から桃山さんが出てきた。小走りで急いで。危うく俺は鉢合わせになるところだった。と、バクバクしてる呼吸など整えていたらすぐに桃山さんが戻ってきた。手に昼食の弁当を持って。どうやら職員室で食すらしい。二人でか。
桃山さんのその表情は実に『楽しそう』に見えた。どういうことだ? もっと嫌々ながらやるものだと、てっきり頭からそう思っていたのに。
その昼休み、遂に桃山さんは職員室から戻ってこなかった————
放課後になった。俺は一般論で考えた。ここに男女間のトラブルがある。女の方が助けを求めている。その求めに応じ助けることは立派なことだ。だが男はどう出る? 女の方を助けるってことは『邪魔をしている憎い敵』と男に思われる可能性が高い。いったい何をしでかすか。凶器を持って狂気に奔るということも起こり得る。俺は不安になってくる。
桃山さんは俺の感じている嫌な予感をものともせずにスクバとともに教室から掛け出していった。さては一緒に帰るつもりか。今の時間やることと言えば帰ることくらいしかやることがないしな。帰る以外にやることのない放課後だから帰るしかない。
この高校の生徒をやるってことはクラスによっては放課後暇になる。基本進学クラスに在籍している生徒には学校は部活を奨めない。そういう暗黙のルールがある。
勉強専門、部活専門。両極端なクラスが同じ学校に存在し、外から見た目文武両道に見えるようになる、という実に誉められない高校だからな。よくあるタイプだろうけど。
俺は桃山さんを追いかけた。やってることは『つける』と同じだが追いかけた。いったい何をするつもりなのか? かなり気になっている。
やはり職員室以外の行き先はなかった。しばらく職員室前の廊下でウロウロしていると桃山さんと仮称井伏さんことイフェセさんが出てきた。二人揃って。
俺はすかさず歩み寄り尋ねる。
「この後どうするつもりだよ?」と。
桃山さんは本当に屈託なさそうに言ってくれた。
「わたしの家に来てもらうことになったから」
「なんだって?」俺は気の利いたことが言えなくなっていた。なおも桃山さんが言ってくれた。「泊まってもらおうと思っているんだ」
目が点になったと思った。
「ばかな」口が勝手に喋っていた。だってそりゃそうだろう。どこの誰かも分からない人間を家に招いて泊めるなんて正気の沙汰じゃない。
だがこの〝沙汰じゃない〟なんて台詞を言うことができない。なにしろ『この女子の話しを聞いてあげてくれ』と言ったのは俺なのだ。
女子だ。しかも非の打ち所がない顔をしている女子だ。〝こんなヤツを泊めるのは危ないぞ〟、なんて言えるわけない。むしろ親切にしてあげなければ、という感情が興る女子だ。
それにこの謎の女子『仮称井伏さん』視点で考えるなら、実はどっちもどっちなのだ。同じ女子とはいえ今日初めて会った人間の家によく泊まれる、と思う。『嫌な男から逃れたい』という感情はこういうことさえもやらかすということか。
俺に都合良く解釈すれば『この俺が紹介した人間だから間違いない』と思ってくれたのだと思えなくもない……
「帰りながら、歩きながら話そうか」桃山さんが言う。これは……『いっしょに帰ろう』と誘われたってことなのか? 帰りも自転車を押して歩くことになるがそんなことはどうでもいい。俺は嬉しく、なんとふたりの女子と並んで下校ということになる。
——俺にとっちゃ内容の薄い会話がひたすら続いている。
桃山さんが言っている。「その制服きれいっ」などと。そうした言に対し仮称井伏さんも桃山さんの制服を誉めている。この学校の制服地味なのにな。っていうか仮称井伏さんの着ている服って本当に制服なのか? 俺はそんなの確認してない。
この間も私服の好みだとか延々薄い話しがたどたどしい日本語とともに続いている。
しかし俺が心底感心するのは桃山さんのある種の天才性だ。この仮称井伏さんとは少し話しただけだが決して社交的ではない。そういうカンが激しくする。なのにこの仮称井伏さんとほんのちょっとの時間でもうここまでうち解けてしまうとは——。正に羽柴秀吉も真っ青の天才的人たらし。こういう表現はちょっと良くないのかもしれないが。
それにしてもよくそんなに話すことがあるもんだと感心していたが、女子同士話しが弾んでいるときに俺がわざわざこのふたりの間に割って入り、根掘り葉掘り訊く気も起きない。
だがっ、俺が桃山さんと会話できる機会は今しかない。なぜなら俺が桃山さんの家に上がり込めるはずがないからだ。
流ちょうとは言えない日本語に応じる根気強い会話がひたすらひたすら続く。どのタイミングでこの会話に割り込めるだろう? 俺はそればかりを考えていた。
そしてその時が来た。ぽっかりとエアポケット。ふたりの会話の一瞬の途切れ。俺はその隙間にスルリと滑り込む。
「俺も桃山さんみたいな英語のノートにしたい。だから見本書いて欲しいんだけど」なんてことを口走っていた。
なにやってんだーっ俺っ! も少し弾むような会話ネタを思いつかなかったのかーっ!
桃山さんは今日二度目のキョトンとした顔をした。そして、
「いいけど。よくわたしの字なんて真似して書こうなんて気が起きるね」と言った。
いいのか⁉
「なんか大統領令みたいでカッコいいから!」
なんてアホなことを、と自己嫌悪するが、今は深く嫌悪してる場合じゃない。俺は大慌てで桃山さんの気が変わらないうちにと英語のノート及び筆記用具を取り出した。桃山さんはノート一式を受け取り一番最後のページを開くと、
「書くの、アルファベットのAからでいいよね?」と言った。
やったーっ! 怪我の功名だぁ! 俺のノートなのに桃山さんに字を書いてもらえる!
桃山さんは道の端にしゃがみ込み腿を机の代わりにするという器用な姿勢をとってくれ、サラサラサラサラと滑らかに俺のノートに俺のシャーペンを走らせていく。そして、
「大文字と小文字両方書いとくね」とも言った。
おおっ、そうだった。そうだった。
サラサラサラサラとまたしても音を立てシャーペンがノートの上を滑る。
「じゃあ今度は分かりやすいように1文字ずつ切って、ね」とさらに言ってくれ、今度はゆっくり丁寧にまたしても書いてくれた。そしてまた大文字小文字両方ということで再びゆっくり丁寧に書いてくれた。
都合四回『abc』即ちアルファベット二十六文字を書いてもらったことになる。一○四文字もだ。俺は緊張しそのノートとシャーペンを受け取る。
ノートを開いてみる。紛うことなくそこには今日俺が見た桃山さんのノートと同じ字があった。じーん、とする。〝桃山さんがここにある〟と思った。
「ありがとう」俺は言った。
「どういたしまして」と桃山さんはにっこり笑って言い、再び仮称井伏さんとの会話に戻っていった。
なにやってんだーっ俺! 桃山さんグッズ(?)を集めて(?)悦に浸ってんじゃねーっ! これじゃただのアブナイ人だろっ! そうじゃなくて会話を弾ませて距離を縮めるのが今すべきことだったろうが!
が、しかしそのタイミングは過ぎた。それ以前に異性と会話を弾ませる能力が無かった。会話が弾んでいるのは仮称井伏さんとの間のみだった。しかし聞き耳を立ててみても桃山さんとの会話の弾ませ方について、なんらの参考になるところも無い。だって仮称井伏さんは口べたそうだから。
そのうちに俺はその仮称井伏さんの会話に或る特徴があることに気が付いていた。どーでもいいって言えばどーでもいい。話す言葉はたどたどしくまどろっこしい。が、たどたどしいが選んで丁寧な日本語を使っているよう。そうした振る舞いは間違いなく『お嬢様』のそれだ。
こういうのが『話しを聞こう』って気になる秘訣かね?
俺がただそうした会話を聞きながら歩いていたら、いつの間にか着いてしまっていた。
桃山さんの家に。
俺はその家を見上げる。小学生時代、どこにあるのかも分からなかった同級生の女子の家。その場所が今ようやく明らかに。高校から意外に近いんだ。ま、だからどうだと言われても困るんだけど。
で、俺だ。結局ほとんどな〜んも話さずバカみたくここまで着いてきただけだった。そして本当にバカみたいだった。その場で桃山さんが俺に言ったことば、
「じゃあ加茂くんこれで」だった。
やっぱり『上がってって』とは言ってくれないわけか。
俺にしては粘った。『じゃあ加茂くんこれで』を最後のことばにせぬように、と意識的に思ったわけでもないだろうけど俺は言っていた。
「男の側だってすぐには諦めないだろうよ。一人で何日もかばいきれるもんじゃないぜ」
「加茂くん。このコの相談に乗ってって言ったのは加茂くんだよ。話しを聞くのには充分な時間が必要でしょ」こう言われてしまい俺は返す言葉に詰まるしかなかった。
そもそも仮称井伏さんは俺に困り事の相談をしようとはせず女の子相手にしたがった。ならば俺が桃山さんの家に上がり込める余地など無い。桃山さんの言うことは理に適っている。
だが今日の俺はいつもの俺とはやはり違っていた。
「俺のケータイの番号とメアドを教えておきたい」そう言っていたのだ。言うやスクバを開けB5サイズのノートを丸まる一ページビリリと破り(もちろん英語のノートであるわけない!)でっかく俺の番号とメアドを殴り書きしていた。これだけ大きな紙ならば無くすことはないだろうと言わんばかりのサイズ。俺はその紙を桃山さんに渡す。渡しながら俺は言っていた。
「何か面倒なことが起こったときのために」と。
桃山さんは反射的にそのでかい紙片を受け取った。無料通話アプリのIDを互いに教え合うほどの距離ではない今、これこそ合理的な行動なのだと自分に言い聞かせる。個人情報の交換は無理だが一方的な提供だけはできる。
だがここで意外な事が起こった。
「じゃあわたしのも教えるね」
なんと! 桃山さんが! 信じられない‼
「一回その番号に掛けてみて」反射的に俺の口が言っていた。まったく同時に反射的に俺の手がさっき桃山さんに渡したばかりのでかい紙片を指さしていた。
たぶんに一回でいいから俺のケータイに掛けて貰いたかったに違いない。
桃山さんが一瞬固まったような気がしなくもないが俺のリクエストに応えてくれた。
俺のケータイが鳴り出す。
「ハイ」と俺が出る。むろん『プロント』などとは言わない。
『取り敢えず番号はこれでいいよね?』と俺のケータイの中から桃山さんの声がする。
「じゃちょっと待って」と今度は実物の桃山さんの声。俺の渡した紙片を見ながらスマホをなにやらいじっている。
「えいっ」と桃山さんが言った直後、俺のケータイからメールの着信音。開けると、
『これでわかった?』との文字列。桃山さんのメアドも確かに受け取った。こちらからメアドを差し出したとはいえこれは期待していなかった。よく俺が桃山さんから実メアドを受け取れたもんだ。これが無欲の勝利か。
「分かった」俺は桃山さんに向かって生の声で答えた。言ったその顔がニヤけてないか気になるが自分で自分の顔など確認しようがない。
だが現実に俺のケータイの中にそれはある。あるのは『女子のデータ一号』だよ! それも桃山さんっ! 桃山さんに文字を書いてもらった上に桃山さんのケータイ個人情報手に入れちゃった! なんとなく凄く距離が近くなったんじゃないかという錯覚感。が、ここまでが限界だった。
結局のオチは二人の女子の顔が俺の方を見て笑顔で「さようなら」だ。完全にお呼びじゃねぇ。そこで実に下らないことにというか今さらながらに気が付いた。二人の女子の顔をほぼ正面から見て気が付いた。無意識に比較してしまった。
『非の打ち所がない顔』と『普通にカワイイ顔』の格差に。桃山さんについて「そうは悪くない」と思っていたがこうして比べてしまうと同列には見えない。この仮称井伏さんと並んでしまうと。桃山さんに何ら思い入れの無い完全第三者の男がこの二人を見たら十人が十人仮称井伏さんに引き寄せられていくことだろう。その顔の分、余計に男からの接触と摩擦に悩まされるとしたら顔などほどほどに良いのがいいのかもしれないな。
もう二人は玄関扉の向こうに消えていた。
はァ。思わず出てしまうため息。
不思議なのは桃山さんの内心だ。顔の格差的に言えば容姿の良すぎる人間と仲良くなっても比較の対象にされるだけじゃないのか? 現にこの俺が無意識に比較してしまった。それとも俺が腐ってるのか。
もう俺のやることと言えばいつものこと。『家に帰る以外にあるか!』だ。アア今日は実に変わった日だった。
とびっきりの美人でその上カワイイという要素も多分に入っている外見理想的な女子と言葉を交わし一緒に学校に行ったかと思えば、小学校の時同じクラスの憧れの女子だった女子と会話してしまった。しかも個人情報も手に入れてしまった! その上帰り道はそれら二人の女子と一緒だったのだからな! 普通これからどんな素晴らしいことが起きるのだろう‼ となるんじゃないの?
————何も起こらん。一縷の望みはケータイ番号・メアドの交換。俺はチャッとケータイを開き、さっき受け取ったばかりのデータを確認する。確かにここにある。僅か僅かの儚い糸をつないである。
だが、手段はあっても、『掛ける・送る』理由の方が無い。理由も無くそれをやればストーカーにされる。現実「ここまで」と見るのが妥当な雰囲気のようで——。
俺の気分はただ憮然。自転車に乗れず引きずりながら家へ——。
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