第23話【暗号・符丁】
王子は非常に非常にたいくつそうな顔をしてただ蚊帳の外に置かれ続けていた。
ようやく桃山さんとナキの似顔絵が完成した頃、王子は椅子に腰掛けたままかなり深そうな居眠りをしていた。そう言や夕飯を食べ終わったのが十八時半くらいであの後何時間経ったろう? 今はもう深夜の時間帯ではないのか。少しも眠たくならない。こんなことでも桃山さんが事件に巻き込まれた責任を感じているというアリバイに、少しでもなるだろうか。
担当の公国警察官がたった今退出していった——
「かーもさんっ! わたし考えちゃいました」井伏さんがこの時を待っていたとばかりに話しかけてきた。婚約者は熟睡中。その横で別の男と王女がふたりきり。場所は王女の部屋だとはなんとも危険な……。
「桃山さん救出のための具体的な方法ですね?」俺は言った。
「はぁいっ」
「あっその前に王子起こしましょうか」
「いいです。その人は」
「はぁ……」
「わたしはテレビに出て新聞の宣伝をします!」
? ? ?
なにを言っているのかさっぱりだ。ただ、こっちの世界にもテレビと新聞があることだけは分かった。
「カモさん。いまからわたしは一気呵成に話しますから話し終わってダメなところがあるように思ったら言ってくださいね。いいですか、よくよくよく聞いていてくださいよ」
「わ、かりました」
「では行きます! わたしはテレビCMに出ます。公共CMを装うんです。『新聞を読みましょう』『新聞を読みましょう』『新聞を読みましょう』ってわたしが呼びかけます。ただし、時間は明日午後七時から午後八時まで限定で。その代わりその時間帯の全てのCMはわたしが出る公共CMに置き換えます。極めて不自然な、あり得ない状況を作るんです。そうすればとーこさんの耳にも入って気づくはずです。新聞を見れば何かが分かるんだなって。そして実際新聞に何かを載せるんです! で、載せるのはこういうのですっ!」と井伏さんは言うやいなやテーブルの上に無造作に置かれた紙の上にペンを走らせ殴り書きし始めた。
書き終わるやその紙は俺の目の前に突きつけられた。なんだかよく分からない得体の知れない文字が書かれていた。なにかもの凄く字が下手なんじゃないかという気がしたが気のせいかもしれない。井伏さんはさらに一方的に続ける。
「カモさんには読めないでしょうから、わたしが〝日本語〟に翻訳して読みます。いきますよ。『とーこさんへ。ふたりで出かけた旅行、とっても楽しかったよ。また逢いたいよ。とーこさんもそう思っているって信じたいよ。どうか想いが飛行機に乗ってわたしに届きますように。もし来られたなら自動車に乗ったわたしが気づくよう思いっきり手を振って。わたしは自動車の扉を開けて喜びます』こんな感じの手紙です。これをメッセージとして新聞に載せます。どうですか?」
……どうですかって……、これはどう見ても『いわゆるラブレター』のように見えてしまうんですけど……
「これは、何かの暗号か符丁ですか?」
「正にそれです! わたしの意図ならとーこさんには必ず伝わります!」
どうやら『私の方に連絡を下さい』という意味のようだけど、けど伝わるんだろうか? ソレ。
ただ、交渉するためにはまず接点を造らなきゃいけない。そういう意味で方向性は間違ってはいないようだが……
しかしこういうことをして大丈夫なのだろうか?
「あの、〝日本〟という世界では〝皇族〟、つまりこっちの世界でいう〝王族〟がテレビCMに出るなどあり得ないことなんですが、こちらの世界では平気なんですか?」
「結論から言うとこちらの世界でもあり得ません。たぶん平気じゃないと思います」
「……お父さんに怒られるよね?」
「だけどわたしも、とーこさんのためになにかしたい!」
たぶん、このコ(という言い方は失礼かもだけど)はこんなことは今まで一度も言ってないと、そういう気が激しくする。もしかして『異世界人(つまり俺)にそそのかされた』なんてことにされたりは……
でも言えるわきゃあない、そんなことは。
代わりに訊いたことは「新聞にそういう不思議な文を載せられるのですか?」になっていた。
「これはメッセージ欄です」井伏さんは言った。
「メッセージ欄?」
「広告欄の一種ですけど。相手がどこにいるか分からないけどメッセージだけは伝えたいと、そういうスペースです——」
なんかどこかで聞いたことがある。『〝尋ね人〟欄』っていうやつだろうか。しかしそんなものはずいぶん昔に既に新聞紙上から消えているはずだけど、それがまだあるのはここが異世界だからか?
そこいら辺りを井伏さんに訊いてみると、
「元々の目的の人捜しの目的ではもう使われていません。暗号ごっこの感覚でこの欄使う遊びがあるんですよ」と答えが戻ってきた。
「——新聞以外はどうでしょう?」俺は訊いた。
異世界の事情は詳しくは知らないが、正直『今どき新聞?』という感じがした。有り体に言って〝読む習慣〟の無い人間には通じないのではないか、と。
「え? 新聞以外ですか? でも新聞が一番だと思いますよ。端末なんて無くても一番簡単に手に入れられるのが新聞ですから。図書館ならタダですし」井伏さんは答えた。
ハッとした。目から鱗だ。確かに『情報を仕入れるためには端末が必要』は常識になってしまってる。だけど逆に言うと端末無しには情報が入らない。
そして端末と聞いて芋づる式に別のことが頭に浮かんできた。端末は使用した痕跡(つまりアクセスした痕跡)が必ず残るはず。一方新聞はネットワークじゃない。新聞なら独立した紙だ。新聞を介し情報を仕入れるなら仕入れた痕跡は何も残らない。これは犯人側の視点に立っていると言える。交渉に食いついてくる可能性は高くなる。
「それに新聞は雑多な情報の集まりですから木を森に隠せちゃったりするんですよ」
! そういうことか! またまた目から鱗! 『新聞を読みましょう』という一見公共CM風の呼びかけを暗号として使うことができるのは新聞だからだ。こういう曖昧なことばで済ませることができるのは新聞が雑多な情報の塊だからだ。
井伏さん、すごく考えてくれていたんだ。でも……
「この手紙ですけど、差出人の名前はどうするつもりです?」
「ふっふん! そこです! もちろん書きません!」
「それとなく匂わせる偽名とかも無しですか?」
「はい。テレビとは逆に新聞の方はわたしだと気づかれないようにしないと事件をもっと大きくしてしまいます。だから敢えて名前は書きません。だけど誰が差出人かは分かる人には分かります。簡単な暗号ごっこです。『とーこさん』っていう呼び方をするのはわたしだけですから!」
実名+さん付け、というのは『わたしだけ』ではないような……でも待てよ……さっきからどこかナニカが引っかかり続けて……
「あの〜テレビでの呼びかけも、この新聞メッセージも、〝日本語〟ではやらないですよね……?」
「あっ!」と井伏さん。
俺は非常に言いづらかったが突っ込まざるを得なかった。たぶん桃山さんは確実に何を言っているか、何が書いてあるか理解できないだろう。
みるみるうちにしおれていく井伏さん。その様に胸が痛む。なんとかフォローは——。
「でも素晴らしいと思います」俺は断定調に言った。
「どこがです? わたしの考えなんて……」
「いえ、桃山さんの近くに〝この地のことば〟ができる人がいます」
「犯……人の……人?」
「そうです」
「もしかして、とーこさんと友だちかもしれないっていう」
「そうですね」
「その人は……いい人なんでしょうか……?」
その会話でいまごろ気づく。桃山さんへのメッセージは同行者である犯人を介してしか伝わらない。となると別の問題が出てくる。
この新聞広告が効果を生むと期待できるのは、王女である井伏さんと桃山さんの間にある信頼関係を信じればこそだ。だが、犯人と井伏さんの間には信頼関係など無い。王女として敬愛しているかどうかも定かじゃない。日本にも反天皇の左翼はいる。桃山さんといっしょにいる犯人の性質次第ではその意図も情報も桃山さんに伝わること無く効果ゼロというオチになってしまう————
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