第3話【職員室の駆け引き】

 私立御萩園高等学校。なにしろ『おはぎえん』だからな。まあふざけた名前だな。この際俺の実力は脇に置いておいて客観的に語るなら、ここにいてもまあ他人に自慢はできない。悲しくなるほどじゃないが特にレベルが高いとも言えない私立高校。中途半端な進学校。その学校の校門にようやく辿り着いた。確定的に遅刻。


 しかし今の俺は〝遅刻くらいなんだ〟ってな感じだ。

 ってのもこれから無茶をやろうとしている。何処の誰だか解らないこの同伴者の女子をこの学校の中にご招待しようってんだからな。

 むしろ授業中こそ校内に人通りも無く却って都合が良い。何せこの容姿だ、目立ちすぎることこの上ない。


 さて、と。遅刻をした者が必ず行かなければならない場所がある。職員室だ。そこで遅刻の言い訳、もとい、遅刻した理由を報告することになっている。義務である。ただし、それは担任が職員室にいる時間帯、つまり〝後で〟の話しだ。


 俺はある意味セオリーを無視する。遅刻したら教室へ直行が常識だ。少しでも〝遅れ〟は短くした方が良い。


 だが俺は職員室の方に直行する。教室には行かない。担任が職員室にいないのならいる時間まで粘ろうという魂胆だ。もう五分遅れただとか十分遅れただとかそういうレベルはとうに超えている。何しろあと二十分も経てば一時間目の授業は終わってしまうのだ。逆に開き直れる。


 俺は謎の女子を伴い校内に突入する。自転車置き場へそして靴箱へ。上履きに履き替え……

 あぁ、そうか。このコの上履きは無い。それに脱いだ靴は……


 ことばは通じない。俺は敢えて上履きは履かず、脱いだ靴を手に取った。そして靴を持った手を軽く上下させ、〝同じようにしてみてよ〟という意志を伝えた。

 意志は伝わったようで同じようにしてくれた。


 授業はとっくに始まっている。故にがらんとした廊下を、騒ぎも起こさず歩き職員室へと向かう。二人直列で。


 いよいよ職員室か——


 案の定職員室に謎の女子とともに踏み込んでいくと、たまたまこの時間職員室にいる担任でもなんでもない、しかし俺の名を知っている先生に早速見つかり、たちまちのうちに咎められた。他の先生達も当然こちらを見ている。


 その先生には当然こう聞かれた。「その女子は誰だ」、と。

 普通こういう時は「こら加茂っ早く教室へ行け!」とか言われるはずだがそれが無い。嬉しい誤算だ。想像以上に目立つ同伴者だ。


 〝ですが事情など話していたら早く教室へなど行けませんよ〟、と俺は心の内でだけ呆れたぜポーズをとり、職員室直行という己の行動の正当化をしてみせる。ともかくここで重要なのはハッタリをきかせることだ。下手な言い訳をすればより立場を悪くする。

 俺はしれっとして言った。

「人助けをしたら遅刻してしまいました」と。表情を変えないように心がけつつ、だ。

「『人』というのはその女子か?」

「はい」

「どう助けた?」

「人捜しです」

「その女子は誰だ?」


 なんと図星。確かに誰だかわからねぇ。


「誰かは分かりません」正直に言うしかなかった。

「オイ」

「ただ、自分と同じクラスのに大切な用事があるようで」

 これは完全な嘘である。ただ俺的に心当たりが多少でもあるは彼女しかいないのだ。

「名前も確認していないのに何を言っている?」


 俺は内心焦った。確かにその通り。しかし何か言わねば……。


「実は喋るのがたいへんそうな方のようで……」俺は受け取る側に勘違いをさせるような言い回しをした。

「なるほど気の毒にな……」先生は言った。嗚呼、上手くいってしまった……これは方便だが。

「だが名前だけは訊いておく必要がある」


 確かにそれについては俺も知りたい。


「なまえ」俺は言った。その女子はきょとんとした顔をしていた。たどたどしかったがカタコトの日本語を話していたじゃないか。それを期待しもう一度「な・ま・え」と、今度はゆっくり言った。まだ分からない。

 俺は自分の胸に手を当てて「僕は『かも』。あなた、は?」と口に出した上で謎の女子の方を指差し、訊いた。こくりとうなづいてくれた。ようやく分かってくれたらしい。


「いふぇせ」と言った。本当に通じているのか? にわかに不安になる。先生はそのまま彼女の言った言葉を反芻していた。「イフェセ?」


 まずい。

 〝あまり喋らずにいて欲しい〟だとか、そういう細かい打ち合わせなんか一切やっていない。それどころか喋るように勧めてしまったぞ! これ以上喋られたら——〝訳の解らん言語を喋る人だってことはておいた方が良い!〟と直感が走った。

 そんなことを考えていたせいだろうか、

「えー『』みたいですね。です」と俺はなぜか取り繕いこの人を日本人にしてしまっていた。

「いふせ、というのか? 変わった名字だな、どんな字を書くんだ?」先生は気になるのかこんなことに妙に興味を持つ。

 俺は生徒手帳を取り出し適当に開き、制服の内ポケットからもボールペンを取りだし、

「どんな字を書くの?」とわざとらしく訊いた。

「じ?」その女子はおうむ返しに訊いてきた。意味を理解したとしても訳の分からない文字を書かれたら迷惑だ。

「ああそうかそうか」などと俺は適当に返事をしながらうなづいた。

「いふせ、の『い』は井戸の井、『ふせ』は京都の伏見の伏です」

 その先生は俺の言ったとおりに机の上の紙片に文字を書いていた。そしてそれを俺に示した。『井伏』とあった。

「いふせ、じゃなくて井伏鱒二の『いぶせ』だよな。『いふせ』でいいのか?」

「いや、それでいいみたいですよ」俺は適当に答えるしかなかった。〝井伏〟と書いて『いふせ』で通すしかない。

「で、桃山とどういう関係が?」と続けた。

「さあ」と俺はとぼけるしかなかった。ここにいる女子、仮称井伏さんことイフェセさんと桃山さんが知り合いであるわけがない。断られたら断られたで「勘違いした」の一点押しで乗り切る以外に道はない。

 そうこうしているうちに一時間目終了のチャイムが鳴る。俺はタイミングを逃さずすかさず言った。

「桃山さんを連れてきますよ」と。

 俺の一年一組の教室から職員室に着くまでの間に話しが通ればそれで好し。ともかく一年一組というトップバッターなクラスに俺はいる。今から声を掛けねばならん。女子にな。

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