第三章 車中の交渉編 外交官、辞めますか?

第33話【事件は終わった。しかし俺の方は終わってない!】

 事件は実は終わっていないことを俺は理解している。俺的にはここからが始まりだ。

 そう。『日本亡命』の件だ。


「騙したな!」ナキさんとやらがそう叫んで睨んできた。何も言ってないうちからいきなりそう来るか?

「誰が?」俺は極力表情を変えず、すっとぼけて言った。

「いやお前が——」と言われかけたとき、俺は気づいた。そのナキさんの手には手錠がはめられていることに。

 なるほどこれは確かに『騙された』という解釈になるだろう。

「あの〝通信機〟を使った時点でこうなることは予測できたろう?」その声は王子だった。

 ナキさんは怒りを爆発させようとしていたはずだったのに今度は一転凍りついたようになっていた。それが傍目にもすぐ分かった。

 もう声も出せなくなっていた。


 次に耳にした〝声〟はまったく別の声。

「おふたりとも早くお乗り下さい」侍従がそう言ってふたりをリムジンに押し込もうとしていた。

 実に変な具合だ。手錠をかけられている人物が丁寧語で扱われ、高級車に乗るよう勧められているというのも。

「じゃあ乗るね」という声とともにまず桃山さんが乗り込んできた。ここで俺はまた気づく。なぜか桃山さんの手にも手錠が。

 リムジンの中から「なぜ手錠なんですか?」と、井伏さんが侍従を責めていた。

 侍従は「警察の警備計画の通りだそうです」と答えるのみ。

 リムジンの周りは警官隊の十重二十重の人垣で、ナキさんも乗り込まざるを得なくなっていた。

 ナキさんを〝車中の人〟とした時点で、バム、と重そうな音をたてドアが閉められた。密室ができた。


 リムジンの最後列。奥から、一番最初に乗り込んだ井伏さん。その隣、王子。その横、ついさっき閉められたドア近くのシートが俺。

 リムジンは対面式にシートが配列されている。桃山さんとナキさんが俺たち三人に向かい合う形で座っている。


 再会(?)するや鋭いことばの矢を放ってきたナキさんが妙におとなしい。ただおとなしいだけじゃない。肘を伸ばし手を握りしめ、固まったように動かない。

 もしや……嫌でも顔がよく見える座席順だから、か? とは言っても俺にとっちゃいまひとつピンとは来ないが誰もが知ってる有名人と同じ車に乗るなんて体験はあり得ない。しかもただの有名人じゃない。国家的レベルの要人だ。


「どうして加茂くんがこんなにすごい車に乗ってるの?」桃山さんの方が呑気な質問をしてきた。

「それよりその手錠はなに?」

「これはナキちゃんに嵌めるっていうから、わたしにも嵌めてもらっただけ」と桃山さんは無邪気に言う。

「そんなもの嵌めてるとこれがつけられないだろうし」と言って俺は手にしていた『簡易式翻訳機』を桃山さんの前で示した。

「これなに?」と桃山さん。

「これを耳に付けると全てが解るようになる」俺は言った。

 そう言うやなぜかナキさんが俺を睨みつけてきた。

「とーこに解らないことばで何かを喋るつもりはないけどね」ナキさんは俺にそう言った。

 どうやらこれが何かは理解しているようだ。ここにいる五人は全員日本語が解る。今のは『この場では日本語を使う!』という明確な意思表示だ。となるとこの機械は引っ込めるしかない。


 桃山さんの目の前で、桃山さんに解ることばで俺に対する悪口雑言がぶちまけられるのかもしれない。自然視線が下に落ちた。その時、別なことに気がついた。ふたりとも足まで裸足だった。


「靴は?」俺は桃山さんに訊いた。

「いまさっき取り上げられちゃった」桃山さんは言った。たぶんこっちも手錠と同じでつき合ったんだろう、ナキさんに。

 そして〝この調子〟、で解った。桃山さんはひどい目には遭わされていないってことが。

 俺は口にしていた。「ナキさん、ありがとう」。

「なんで?」

「だって桃山さんを無事に届けてくれたじゃないか」

「その代わりに逮捕されたけどね」

 声が固い。身体も動かさない。桃山さんの部屋で聞いた〝不敵な感じ〟はもうすっかり影を潜めている。

「逮捕だったら乗せられるのは警察車両だろ? これは警察車両じゃない」俺は言った。

「それよりなんでこんな車に乗っているの?」桃山さんが元の質問に強引に引きずり戻した。こっちは〝軽やか〟な調子で。短いながらも高校になってから話したあの感じと変わりない。

「それはカモさんがわたし達の友だちだからですよ」井伏さん、つまり王女が言った。

「じゃあ『いっしょに考えてくれる人』ってのは……」ナキさんと俺の視線が合った。

「我々だ」今度は王子が言った。

「あなたは?」と桃山さん。

「初めまして、私が王子です。婚約者の。あまり良い印象は持たれていないかもしれませんが」と王子が妙に爽やかに自己紹介をした。

「ええっ⁉」と桃山さんがひっくり返ったような声を出す。

「私たちの世界の事情に巻き込みたいへんなご迷惑をかけました。誘拐されてしまったのもそうです。申し訳ありません」と続けざまに謝罪のことば。コイツかなりソツがない。

「——ぷろんとさん、アンタいったい何者なんだ?」ナキさんが俺に訊いてきた。心なしか声をひそめているように感じる。しかし何者? 加茂三矢でしかないけど。

「外交官だ。ただし臨時だけど」と王子が言った。

 言うなっての! 本当に勘違いするだろがっ!


 そうだとも。これからが地獄だよな。『騙したな!』と開口一番言われてしまったが、日本への亡命を勧めたんだったっけ。う〜ん、忘れてないよなきっと。きっととぼけられないよな。桃山さん無事にここまで届けてくれたし。つまり約束守ってるし。

 なのに今から俺は人を裏切るんだよなぁ——。

「え〜と、その、ナキさん」

「はい」

「なんというか……」

「日本ってとこへの亡命の件だよね?」ナキさんがあまりに真顔で俺に言う。元々あんたらが桃山さんを誘拐するからこうなってるのに!

 とは言え今さら『騙した』などとは言い出しにくい、ふんいき。


「取り敢えず俺の家に来るか?」、俺は言った。無茶苦茶のようでそうではない計算尽くの苦し紛れ。親しくもない女に言ってタダで済む台詞じゃない。どうか怒って断ってくれ。

「じゃあ行くよ」

 ヱェ⁉

「ちょっとカモさん!」そう言ったのは身を前に乗り出し顔までこちらに向けた井伏さんだった。

「はい?」

「とーこさん、だったはずですよね?」

 なんで俺があなたに睨まれるの?

「もちろんですよ!」俺は言った。

「しかし今カモさんは『同棲する』という意味のことを言ったように聞こえたが」と王子。顔がにやついているぞ。

「なにを言ってるんだ‼ そうじゃなくてせめてもの誠意だ!」

 桃山さんになんて思われてるか! 怖くて顔が見れない。突然くすくすと押し殺したような笑い声。声の主はナキさんだった。なぜ笑い出す?

「ぷろんとさんに亡命を許可できる権限なんて無いって最初から思ってるから」ナキさんはそう言った。俺はなにを思ったか、

「入国審査・滞在許可は法務省だからな」などと言ってしまっていた。

「そんなお芝居はよしたら?」

「!?」


「とーこから聞いてるよとっくに、ぷろんとさんは間違いなくただの一般人なんだろ——?」

 ナキさんは少し間を置く。

「わたしが訊きたいのはわたしと同じく犯罪者になるつもりがあるかってこと」

「……犯罪者?」

「わたしは元々誘拐団の一味だからね。悪いんだよ。ぷろんとさんも外交官どころか密入国不法滞在の手引き者だね。それって犯罪者でしょ?」

 だよなっ。完全に外交官免職案件だよ! 間違いなく『それでもやる?』って試されてるよ!

「カモさん、こうした場合嘘も方便だぜ。この女の扱いに困るんだったらウチの国の刑務所で引き取るが」王子が言った。

 どういうわけかナキさんと王子に同じ方向性の解決策を提示されたような気がした、

 どうするんだ俺?

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