第一章 現代世界編 異世界からのインバウンド

第1話【夜、ウチの庭に侵入者】

 遡ること僅か三日前。それはGWもすっかり一週間以上前の過去になってしまった薫風薫る或る平日の夜。俺は気持ちが良いので二階の自室の窓を開け放し網戸越しの風を感じ、なあにをするでもなくテレビを点けっぱなしにしていた。とそのとき突然、


「ヴェラタコアナアダハカダパァケエオアオアカイスアタウツタタアウ!」


 という音が窓の外からしてきた。いや正確にこういう音がしたのかどうかはまるで自信がない。何しろ俺の英語のヒアリングときたら……まぁいい。それより音だ。音とは言ったがそれは生き物の声のようだった。今度はその妙な声に呼応するかのように別の声が聞こえてくる。


 今度は——

「ちぇらびゅいふぉんせりーねゆーしぇふぉせおんきおすかえらりーれ!」と、いうように聞こえた。ま、なにしろ俺の耳であるからそう聞こえただけなのだ。


 その後も断続的にその妙なやりとりが外から響いてくる。かなり声高な言い争いだ。一体どこから聞こえてくる? やけに近いところから聞こえてくるような気がする。

 この頃になると俺はすっかり確信していた。これは人間に違いないな、と。そして今ひとつ確信していた。これは男の声と女の声に違いないな、と。


 机の上の時計を見る。十九時少し過ぎ、酔っぱらいが出るにはまだ早い。

 どこの国の言葉だ? 外国人がその辺を歩いていても珍しくないし文句は言わねーけど、騒ぐなよ。

 再び得体の知れないやりとりが外から聞こえてくる。しつこく続けてる。せっかく気持ちの良い風が吹いてるのに気分が台無しだ。他人のウチの前で痴話喧嘩など論外も論外だぜ。


 とは言え、窓から顔を出し『ウルセーぞ! バカヤロー‼ ボケ!』などと怒鳴る勇気があるはずもない。だが興味だけは押さえきれない。

 俺は部屋の電気もテレビのスイッチも点けっぱなしにしたまま窓も開けっ放しにしたまま一階に降りた。そして電気の消えている部屋、客間に入る。その様子を見ていた母親からすかさず注意を受ける。

「外を見るのはよしなさい!」と。どうやらあのキテレツな声々に気づいていたらしい。


 ま、それが常識というものだろう。だが部屋の電気さえ消していれば論理的には外からは分からんはずだ。その確信のもと足音に気をつけつつ窓辺に寄る。カーテンを少しだけ開けることを決意する。塀越しに何かが見えるかもしれない。

 顔を窓に十二分に近づけカーテンをつまみ、そろっと動かしてみる。俺は別に事件を期待していたわけじゃない。

 だが、そこに見たものはまさしく男女だった。声質から男女だとは分かっていた。問題は、なのだ。


 ウチの庭にふたり立ってる! 光量がまるで無い中分かるのは輪郭のみ。


 向こうはなぜだかカーテンが少し開いていることに気づいているらしく男女ともに既にこっちを見つめている! 顔の角度的に! 間違いない!


「マイ、ガッ!」アメリカ人でもないのに思わず口の中にそのフレーズが出てしまう。こいつはヤバい! 即座にカーテンを閉め心中だけで慌てながら抜き足差し足で、でも急いで客間を離れ、離れた後は小走りになりキッチンダイニングへと飛び込む。そして——

「たいへんだ母さん、庭に変な奴らが入り込んでいる」と叫ぶように言っていた。

「あんたが外なんか見るから!」と理不尽な説教が返ってくる。いや、外を見るも何もヤツらウチの庭に入り込んでいたんですけど。ヤツら明らかに不法侵入じゃないか。

「とにかく警察に連絡入れた方がいいよね?」と俺が言うと母さんに、

「もう一度いるかどうか確認してからにして!」と言われる。それだと必然的にもう一度見ることになるんですけど。


 しかたないので俺は今一度客間に踏み込む。さっきのカーテンをそろりと開けてみる。


 人影は無い。人影が無いと俄然強気になってしまう。俺は大胆にも(いや俺のウチだから大胆でもなんでもないのかもしれないが)客間の電気を点ける。カーテンを開ける。当たり前のことが起こった。部屋の電気を点けてしまっては逆に外が見えなくなるのである。窓ガラスは鏡のようになり自分の顔が映っていた。

 埒が明かん。

 俺は懐中電灯を探す。それはあっさりとあるべきところから見つかった。防災用充電式懐中電灯だ。用意はいい。再び客間の電気を消し懐中電灯のスイッチを押す。点かん。畳んであったハンドルを展開しグルグル回し続ける。ようやくある程度電気が溜まったところでスイッチを押すと懐中電灯から白色光が飛び出す。それをガラスに密着させる。


 白色光が庭を照らす。誰もいない、というか誰も見えない。どこか死角にでも入り込んだのだろうか? 姿が見えない。


 さて、ここで思案のしどころである。サッシ戸を開け庭に降り懐中電灯でくまなく探して良いか? むろんウチの庭だからして夜懐中電灯を持ち庭をくまなく照らし探したとて誰に文句を言われる筋合いはない。しかし何だかよく分からない連中が庭に潜んでいるとなれば自分の家であってもこの時間に外に出るのは命取りとなる。もっともウチの庭の探索などガレージも含め一分で終わるとは思うのだが。


 結局外に出ることなくウチの中から懐中電灯で照らすに努めた。まあ〝努めた〟と言うのも大げさなのだろうけど。努めたのである。光の方向を変えたがやはり何らの異常なし。

 もうそれで終わりにした。母さんにもそのように伝えた。警察に連絡しなくて良かった、ということになった。しかしサッシ戸の恐怖である。大きなガラスだけをはめ込んだこの窓というか扉は防犯上非常に問題があるのではないだろうか? 夜中に割られて入ってこられたらどうしようもないのじゃないか?


 結局俺は二階の自分の部屋に行くことにした。無意味にテレビは点けっぱなし、電気も点けっぱなしの部屋へと。

 階段を昇りながらふいに不安に駆られる。構造上俺のウチの二階に登るなど簡単なのではないか、と。俺が一階でそれこそ無意味なことをしている隙に何者かが入り込んでやしないか。タタタっと勝手に足が速く動く。部屋のドアを勢いよく開ける。網戸はそのまま閉まったまま、部屋の中のあらゆる物の位置も様子も先ほどと同じようにしか見えない。


 俺も心配性だな、とりとめもなく思おうとする。

 テレビのスイッチを消す。何の音もしなくなる。何の声もしない。途端に記憶が俄に怪しくなっていくように感じた。確かに人間がふたり、俺の家の庭に入り込んでいたよな?

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